リトリートの中での気付きのキーワードに「言葉」というのがあったんです


元々の話は「言葉の伝え方」なんですけど

伝えようとする真意が伝わりにくい
どうしたら伝わるのか〜という思いをどなたもされた事があるんじゃないかしら?

そういう話ですね



言葉というもの1つ1つに乗る思いって、いろいろありますね
そのことは、昨日も少し書いたんですが


まずは思いがありますよね
それを伝える時、まぁ伝えなかったとしても
人はその思いを言葉に変換しますね
思いの形はいろいろあっても
それを言葉にすると、その言葉の意味に限定されていきます

例えばふわふわの綿
これを「思い」として
綿はいろいろな形になる事が出来ますが
それを四角い箱に詰めるとするでしょう
この、箱が「言葉」です
箱に詰めて人に渡す
これが「話す」という事です

詰める箱の形もいろいろ選択できますね
で、四角い箱を選んだら
この、元々の四角い箱
四角というエネルギーも存在するんですね
ですから、四角いエネルギーと、思いと
両方合わせて相手に送る形になるんですね


ここが、真意だけが伝わらない理由の一つだと思うんです

本当かは知りませんけど
宇宙人て、テレパシーで話すっていうじゃないですか
エネルギーだけで
綿の状態だけで箱には詰めずに相手に送るわけですね

私、いずれこうやってお互いを分かり合うっていう日はそう遠い未来じゃないなと感じたこともあるんですけど
またそれは別の話として



それから、うまく伝わらない理由のもう一つ
送られたものを受け取った側は
これが何であるのかを解釈するのに
過去の経験から検索しようとします
四角い箱に、楽しい経験のある人は楽しいと
嬉しい経験のある人は嬉しいと
嫌だなという経験のある人は嫌だなと
そういう記憶もそこに乗せます

それで、綿と箱と経験の3つがセットで解釈と繋がるので
元々、元の形状
綿の状態からはかけ離れたものになっていきますね

まだありますよ
置かれた状況による憶測的な判断
これまでプラスされたらどうなるかしら?



まぁ、どう頑張ってもこうなるんです
元の真意だけが伝わるなんて、まず難しい
それが当たり前だという事ですね

元々、人もエネルギーをエネルギーとして受け取る事も本来はできたと思うんですね
でも、基本言葉を使おうとしますから
伝わりにくいものだというのを基本設定にしておくといいですよね

でも、伝わらないんだから諦めなさいよって話ではないですよ 

確実に中に綿は入ってます
真意は込められてるんですね
という事は、相手は確かに受け取っているんです


伝える側は、受け取られている事を信頼する事がまず必要ですよね
その上で、柔軟性を持つ事です
いつかどこかのタイミングで、箱の中身は綿だったと気づく事もあるんです
そうやって、時間を待つ事も必要だったりもします


受け取る側も、中身が何なのかに興味をもって聞く姿勢も必要ですね
これは愛の姿でもあり、自分を深める行為でもありますね

言葉を言葉として額面通りに受け取る事や、真意を伝えるテクニックとして持とうとして、万人に真意をそのまま伝えようとしてもムダですね

人は一人一人、経験も持ってる言葉の意味も、性格も違いますから
共通した言葉を使っていても、共通した解釈をする事は無理なんですね


でも、それでも
それが分かった上でも、人は自分を表現したい生き物なんです


たとえ言葉が苦手でも
それを何かの形で表現する人もいます
何かの作品にしたり
行動で表現したりね

それでも同じですね

その、表現したものを受け取った人が
自分の思う通りに受け取らなかったとしても
ある人には起爆剤となり、人生を転換させるチャンスを作る事になったり
ある人には、人と人とをつなぐ接着剤になったりするんです
面白いですよね


自分が発した表現は
発せられた瞬間に、自分の手から離れて一人歩きすると、リトリートで義樹さんが言っていました

一人歩きしたその「表現となるもの」が
どのように歩いていくのか
それを面白いと思ってみるのか
それとも、「このように受け取ってもらわないとならない」とみるのか
その違いだけで、発した表現者にはストレスになったり、喜びになったりするんですね

これもまた1つのその人の経験です


私も表現するのに言葉を主に使うものとして
この部分は本当にいろいろ考えてきました
相手のことを考えず、何を表現したっていいんだ
という考え方は、私は賛成できないけれど
そこに愛とか光だとか、そういうものを見出していくと
すごく面白い体験にすることができるなぁ〜って思うようになりました


表現を発信していくことじたいに喜びを感じていきたいし
一人歩きした表現そのものの歩いていく道を
でーんと構えて見てあげたいねと思う今日この頃でした(^^)