自分自身を信頼するのに

人を信頼するのに


信頼できる材料がなければダメなんだろうか?

こういう事が提供されるなら信頼できます

そうでなければ信頼できません


そういう基準で信頼関係を作ろうと思っても信頼なんかできない


自分の状況も相手の状況もその時々によって変化し

いつも一定の状態になることなどない

それを分かったうえで、何を確定的な基準とすることができるのだろう?


状況や言葉では無理だろう



結局、「信頼する」と決める自分自身がいて

確定的な覚悟があるだけなんだろうな


自分が信頼したからといって、相手も信頼しなければ、その信頼に意味はないのか?

いや、そういう自分自身との信頼関係が成立しているわけだから、そこに意味は存在する


大丈夫

もっと信頼して大丈夫

信頼するごとに、私は自由になる

あなたは自由になる