都会人ってのは、どうして、こうも馬鹿ばかりなのか。
そういうニヒリズムが、鳥山石燕には、いつも漂っている。
妖怪って本当にああいうビジュアルなんだよ。
ああいう化粧品が、こう落ちて。ああいうドレスが、こう破れて。経年劣化で、妖怪変化。
今も昔も、化粧も盛装も、あるんだよ、洗濯だって必要なのさ。
馬鹿ばかり。都会の文化なんて、すぐに破れて汚れて、はい、化け物。
いるんだよ、妖怪。
科学的に考えるんだったら静電気とか発酵とか、そういうので、本当に妖怪っぽく物品が歪曲するんだ。
そうでなくて考えるんだったら、妖怪変化みたいになっても、気功か何かで、すぐに回復したりさあ。
あるんだって、街談巷説、道聴塗説のご本尊。
詳しいことは、白澤にでも聞いてみたらいい、なんてのは、妖怪通のジョーク。
もっとリアルに考えたら、世界のオカマ博覧会が妖怪文化ってなことで。
オカマ通は、妖怪通かもねえ。はっは。
紅毛画ってのを知ってるだろうか。例の南蛮絵ってやつさ。
この鳥山石燕の予感からすれば、平塚雷鳥、島崎藤村、立原道造の「出陣」は、南蛮絵と伴に。
立原だよ、立原、一番キナ臭いのは、立原なんだ、あの無貌め。
俵屋じゃねえかなって思うんだけれど。俵屋宗達。そして、立原杏所。
妖怪ってことになるなら、松尾芭蕉も重要だ。
ったく、どうなってんだか、日本ってのは。
都会人は、馬鹿ばかり。せいぜい、セザンヌとセザールの違いでも議論してなって。はっは。
んん? 服部嵐雪に宝井其角? そうそう、そういうものだって、セザンヌとセザールの違い。はっは。
気になることがあったら、柳生の里にでも、いらっしゃい、ってね。
本阿弥光悦と由比正雪の違いでも講義してやろう。
白澤にでも、やはり聞いてみるかい? あれはあれで、妖怪通の世界じゃあ、基督みてえなもんだよ、きっと。
それとも、例の黒蜥蜴がお好みなのだろうか?
おいおい、あれもヤバイんだってさ。「美しいもののためなら、どれだけ壊れても構わない」ってなもんよ。
怖いねえ。やっぱり、セザンヌとかセザールとか、服部嵐雪に宝井其角とか、ああいうのは怖いねえ。
美意識とか美学とか、どうして、あそこまでイカレてやがるのか。
実に、実に、狩野派とは嫌われ者の芸術なりて。
わざと嫌われるように描くんだよ、そうして、競争相手と一緒にボケるのさ。
「大御所野郎が、なにくそってんだ」ってね、反抗意識のある競争を仕掛けるのが、狩野派。
都会者は、馬鹿ばかり。
差別? 偏見? 都会にも十分あるじゃないか。
強いとか可愛いとか、決め付けて生きなきゃならないなら、田舎も同然だよ?
強いとか可愛いとか、冷静に考えられるようになってから、偉そうにしやがれっての、都会者ども。
ちょっと強いのが現れたくらいで熱狂?
ちょっと可愛いのが現れたくらいで熱狂?
おいおい、それ、田舎だって。
なんだいなんだい、都会でだって、侍とか芸者が珍しいのかい?
ド田舎の地主のとこだって、そこそこ派手にやれるんだよー。
ド田舎にだって金持ちはいるのさ。
「静かなところがいい。手垢の付いてない場所がいい」
さあさあ、そんな金持ちどもは、田舎にいらっしゃい。
「評判のものを買ってみたけど、どうにも使い捨てにしなきゃならない」
あるある、田舎だったら、よくある枯渇モード。
美容砂漠の田舎らしい、ちょっと泥の混じった水が出たくらいで、神経質になっちまう。
水に泥が混じってるくらいで馬鹿にされるんじゃないかと神経質、あるよ、ある、田舎だったら、よくあること。
都会いたって、余裕ないなら田舎も同然じゃん。
盛装してたら安全圏で、皆皆で見守ろう、はいはい、田舎。
都会ってさ、ドレスが、あっちこっちで破れてても、何か事情察して、見守るんじゃない?
代わりのドレスが、どこででも手に入るのが都会なんでしょ?
破れたドレス、駄目だった化粧品、そういうのを、何かの記念ってことで保存しておけるのが都会の強みじゃない?
カネ欲しさに、ドレス着たのを付回すのが、都会の日常だと思いまーす。
はいはい、この鳥山石燕に馬鹿にされるようだったら、皆様、それは、絵本の中ってことですよ。
ちょっと殴り合いの空気を出したくらいで田舎者の化けの皮が剥がれそうだ、ってことだよ。
ほらほら、絵本のデザインって、いかにも田舎者じゃん。
あるいは、さ。ちょっと暴力的になろうとしたくらいで、化けの皮が剥がれるのが、絵本の常識。
妖怪変化と絵本のデザイン、馬鹿と天才は紙一重。