2020年 8月17日
私のお姉ちゃんは天国にいきました。
当時姉は、19歳でした。
高校3年生の夏休み
夜中の12時頃
眠りに入ろうとしていた時
自宅のインターホンが連続でなりました。
母が出ると、警察の方から
「娘さんが事故にあって危ない状態です。病院まで来てください。」
事故?なにしてんの、って思った。呆れている感情に近かった。
母は1人で病院に行こうとした。
「私も行く」
「でも、(姉の名前)がどういう状態か分からんとよ?」
って言われた。
そんな大袈裟な。って心の中で思った。
不安にもなった。
私は高校の部活の練習着を部屋着にしていた。そのまま外に出た。
その日は母はお酒をのんでいて、母の知り合いの方が車で自宅まで迎えに来てくれた。
私と母は後部座席に乗った。
私は車の中で、当時付き合っていた人にLINEを送った。
「(姉の名前)が事故って病院行ってる😢」
不安で不安で仕方なかった。
病院に向かっている途中、病院から母の携帯に電話がかかってきた。
「もう無理だって。」
母はそう言って電話を切らないまま、呆然としていた。もう助からないから、心臓マッサージを止めてもいいかの確認の電話だった。
母は私の手を握ってきた。
私は握り返すことはできなかった。
深夜、病院について、姉が居る部屋に案内された。
私が部屋に入ろうとすると、母は私の腕をひいた。
その部屋に入ろうとしなかった。
姉は機械で心臓マッサージをされていた。
強くて、痛そうだった。
医者や看護師さんが3、4人、姉を囲んでいた。
ドラマでみる光景。心拍計の音が鳴り響いていた。
日付が変わって8月17日の1時45分
医者は、ご臨終です。と言った。
手を合わせていた。
やっと、母と私は姉が居る部屋に入った。
母は膝をついて、泣き崩れた。
私は理解ができていなかったのか、涙が出なかった。
だって。
姉の顔は、いつもどおり寝ている時の顔だったから。
ただ、寝ているだけと思えた。
名前を呼んで、起こせば、起きそうだった。
それから、待合室で母と2人で待っていた。
白い蛍光灯がまぶしかった。
その時のことはあまり覚えていない。
ただ、呼吸することが苦しくて、私は横になった。
母は座って、頭を抱えていた。
朝の4時頃、父に私は電話をかけた。
何回かかけた後、父は電話に出た。
「(姉の名前)が、亡くなった」
父は、深いため息を何回かついた。
私と父は、ずいぶん久しぶりの電話だった。
またかけるからと一旦電話を切った。
あまり覚えていない。
たしか、数分後父から電話がかかってきて
俺も病院に行っていいか、お母さんに聞いて
と言われた。
父と母は離婚をしていたからだ。
父に病院の場所を送った。
姉が居る部屋に母とふたりで居る時、父が病院についた。
父は姉を見て、部屋に入る前に一旦立ち止まった。
姉の顔を見て、父は泣き崩れた。
父と母が姉の顔を撫でながら、大きな声で泣いていた。
その姿を見て、私は、泣いた。
でも姉はなんだか幸せそうに見えた。
少しだけ羨ましかったのかもしれない。
父と母が一緒に居るところは、8、9年振りに見た。
あの光景は今も私の脳裏に焼き付いている。
霊安室に通された。
姉は白い服を着て、白い布が顔にかかっていた。
父と母と私は姉の前で椅子に座った。
母はずっと姉の顔を撫でていた。
私は俯いていた。
お昼頃、自宅に帰った。
父に送ってもらった。
その日の夜、お通夜が執り行われた。
お通夜の場所は覚えていない。
薄暗い畳の部屋で、姉は横になっていた。
母は、1個下の妹と私に、姉の手を握らせた。
少し固くて、冷たかった。
冷たかった。
しばらくして、祖父母や親戚や従兄弟が来た。
「(姉の名前)ちゃんが寝てる」
祖母は涙声で少し笑った声で、そう言いながら畳の部屋に入って、姉に一目散に駆け寄った。
2個下の従兄弟は、和室に入ってきた瞬間私に、「大丈夫?」ときいてくれた。驚いた。
私は頷いた。
「なんで(姉の名前)を死なせるの」
大きな声だった。
「すみません。」母は泣きながら言った。
従兄弟のお母さんが母に寄り添っていた。
まさに、地獄絵図 だった。
おじいちゃんは何も言わずに、姉の前で手を合わせていた。
姉の友達や先生がたくさん来た。
泣いていた。過呼吸になっている先輩も居た。
封筒を持ってきてくれている先輩に、お母さんは、受け取れない、と言って、笑顔で話していた。
親戚がお店で軽食を買ってきてくれて、
従兄弟達と食べた。
明るい雰囲気だった。
お通夜の日の夜の事は、あまり覚えていない。
次の日
お葬式
高校の制服を着て行った。
姉が火葬される前、母は親戚に支えられながら、酷く泣き叫んだ。
うるさい程、響いていた。耳を塞ぎたくなった。
父がボタンをおした。
待合室室でみんなで待った。
たしか、ご飯を食べた。
何を食べたかは覚えていない。
母はずっと、ずっと、ずっと泣いていた。
「水分が足りなくなるから飲み物だけでも飲まないと。」そう言われていたが、母は飲まなかった。
数時間経って、
姉は骨になった。
順番に納骨した。
私は踵(かかと)の骨を納骨した。
涙が止まらなかった。
隣に居た祖母に「もう泣かないの」
と言われた。
そんなの無理だった。尚更涙が溢れた。
ロビーで、父が
「(私の名前)またね」と言って微笑んだ。
父は帰って行った。
涙が出た。みんなが居たからぐっと堪えた。
母が小さくなった姉を抱えて、
母のお友達の車で自宅まで送ってもらった。
しばらく食事をとれなかった。
姉が食べれないなら、私も食べたくない
と思った。
数日後母がスーパーでお寿司を買ってきてくれた。
4日ぶりくらいの食事だった。
人生で1番美味しいお寿司だった。
涙が出る程美味しかった。
姉と一緒に食べたかった。
食べたかった。
またふたりで、回転寿司に行けると思ってたよ。
あの日が最初で最後だなんて思わんかったよ。
私はしばらく高校に行けなかった。
行ける訳なかった。
でも、家に居るのもしんどかった。
姉が亡くなって2週間経った頃、
久しぶりに高校に行った。
登校中のバスの中、涙が止まらなかった。
何もしていなくても、涙が出た。
止まらなかった。
保健室に行った。
友達が飴とか、お菓子をくれた。
それからも、朝起きて、制服を着れた日は
いつものバスに乗った。
途中で降りずに、終点まで行った。
バスを乗り換えて、少し歩いて海に行って、音楽をきいていた。