【前回までのあらすじ】
誰かと一緒にいるということ自体が人間の活動にとって本質的なあり方であって、集団内において個人を集団に繋ぎ止める効果を持つヒエラルヒーは有効であることを紹介しました。

さて、このヒエラルヒーを維持するには、上位者の命令・指令に従うことがほぼルーチン化され、条件反射として命令には翻意しないことが定められていることが必要だと言われています。

ブラ三の世界においても強い組織力を発揮する同盟には、前もってきめ細かいことが共有されています。特に17、18ゲームにおいては、遠征において組織力の差が如実に表れているようです。21世紀の日本の会社組織を見ても最も高い給料をもらう社長をトップに平社員まで上下の関係が位置付けられていて、その組織が大きければ大きいほど、専門的な部署に分かれて、分業で仕事が進められています。

「人々が協同で活動するとき、権力は生まれ、四散する瞬間に権力は消えるものである」どうやら私たちは、誰かと一緒にいるということそれ自体が人間の活動にとって本質的なあり方で、すでに権力を発生させる条件を備えているといえるようです。

では、なぜ、この権力が、ほかのものよりも優れて、社会的協力を導くのでしょうか。単にマネジメントを効率的に進めることができるということではないようです。

ドイツ社会学者マックスウェーバーは、「権力」というものが人間のもつ力の一つの源泉であることを、人間の本質的特性として認めているようです。

ウェーバーの「支配」を次のように分類しました。
1 王への忠誠、王からの安堵というような関係
2 絶対的な超人による支配ー被支配関係
3 現代的な民主的な官僚組織による合法的支配

この官僚組織があらゆる産業社会組織の中でも一つの典型として常にみることができ、感情的でもなく、強い支配を強いる組織でもない。純粋に技術的で、中立的で、計算可能な規則をもち、薄い人間関係を要求していて、ルールの定めた権限の範囲内のことしか行ってはいけない、とされています。

どうですか。最強のプロ集団。マンガの悪の軍団もカリスマリーダーがいるにもかかわらず、こんな感じだし、中央省庁の官僚組織もこういうイメージを多くの方が持っているんじゃないでしょうか。実際は、現代においても、こういう協力がある一定レベルまでは最強の組織であることを多くの方が自身の経験で理解できるのではないでしょうか。当然、硬直的な組織になったり、文書主義で柔軟な決定ができなくなるケースが指摘されることも多々あります。それでも強い。

ブラ三はゲームで、エンターテイメントとして個人が参加しています。強くなって楽しみたい、でも人間の本質的特性として、誰かと協力してプレーしたくなる、そして競合に勝つためには、なんと!ある程度感情を捨て、プロとして行動しなくてはならないのです。なんて不可逆なことなんでしょうw

現代社会では王政のような絶対的に強い権力を貫くことは困難になってきています。ブラ三でも成熟鯖では、絶対王者は存在していません。近代的な権力というのは、有効性においてそれ以前の時代とは極めて異なっていて、強い権力の働く世界ではなく、弱い権力の働く世界へと移行したのです。弱い権力であっても広い権力であることによって、かえって、全体への影響力が増したのだと言えるのです。

参考文献
坂井素思、2014、「社会的協力論」放送大学教育振興会、p94-103