【前回までのあらすじ】
個人主義の利益追求以外に、利他主義があり、その中でも他者を助けることによって、感情的な報酬を間接に得るとする「warm-glow(感情的満足)」を紹介しました。

今回は、個人主義と集団主義の中間に位置するコミットメント問題について考えてみたいと思います。

社会には、個人が合理的に行動するけれども、それがうまく解決されなくて、むしろ非合理的な感情にまかせて行動する方が社会的にうまくいく場合があることを経済学者ロバートフランクは示しました。人間の道徳感情は、協力行動を「義務的な関わり合い」に没入させ、協力の参加者に対して、あたかも鎖のように縛り付け、協力に導くような効能があると考えました。つまり個人が抱くコミットメントによって、個人が短期的には得られないが、長期的には得られるような利益を獲得する可能性があるとしたのです。

ここでは、2つのコミットメントについて紹介します。


二人の友人がパートナーシップを結んでレストランを開く事例がある。一人は経営を、もう一人は料理を担当する。もしレストランの儲けを巡って争い、双方ともに自己利益のみを追求したらならば、片方は経理をごまかし、もう片方は手抜き料理をして自分の儲けを増やすことも簡単にできてしまうだろう。ここでパートナーシップの相手を合理的な自己利益追求型の人間であると仮定して、その相手は必ず自分を欺くに違いないから、その時の対抗措置を考えておかねばならない、と考えるならば、それは「愚かな合理主義者」になってしまい、せっかくの双方のチャンスを逃してしまうだろう。このようなことを慎重に検討するような利己主義者であれば、そもそもそのような合理主義の経営者は、資金を出そうとしないだろうし、また合理的なパートナーで付き合いの薄い人同士ならば、自分が騙される前に、先に相手を騙した方がよいという考え方が合理的である。もっとも現実は逆の傾向を見せ、このような将来に続く長期的な問題については、必ずしも「理性的」に考えて問題を解決することはしない。




本書で登場した中でも、わたしの好きな話を一つここで紹介します。二人の人物が登場します。
A氏は、素敵な鞄をもっていました。その鞄の価格は2万円でした。また、A氏は知り合いのB氏がその鞄を手に入れたいと常々思っていることを知っていました。A氏はある日、その鞄を盗まれてしまいます。B氏の仕業であることにA氏は気づきます。裁判を起こせば、B氏から鞄を取り戻すことが出来ますが、そのためには仕事を休まなくてはなりません。優秀なビジネスマンであるA氏は一日に3万円の報酬を受け取っています。裁判のために仕事を休めば、2万円の鞄は取り戻せるかわりに、仕事による3万円の報酬が受け取れません。
人間が自己利益追及モデルで行動をするのであれば、A氏は裁判を起こすことは絶対にないので、B氏は安心して鞄を盗むことができます。しかし、A氏が自己利益を犠牲にしても、鞄を取り戻したいと考える人間である(つまりコミットメント・モデルによる行動をする)、という評判であれば、B氏は鞄を盗むべきではありません。
つまり、ここではA氏が「公正性」の感情を持っているという評判が、未来に起こり得る災難を回避させうるということになります。「私はそういう行動をとります」というコミットメントが、非常に重要であることがお分かりいただけるでしょう。

下記より引用(2016.5.15取得 http://mtscience8848.blogspot.jp/2015/04/rh.html)
昨日まで知らないを今日知るために
日々新しく得た知識、体験の備忘録  ~読書、登山、時々研究~



参考文献
坂井素思、2014、「社会的協力論」放送大学教育振興会、p80