【前回までのあらすじ】
個人主義の自己利益追求は1回限りの「囚人のジレンマ」に見るように限界があることがわかりました。私たちは、常に自己利益を優先する判断をするわけではないのです。

利他主義とか他愛主義と言われる行動がある。



たいていの人は、他人の役にたとうとしていると思いますか、それとも、自分のことだけに気をくばっていると思いますか?



統計数理研究所が1953年以来5年ごとに「日本人の国民性調査」という社会調査を継続実施しているものに上記の設問があります。

日本人は「利他的」、過去最高の45% 初めて「利己的」上回る 国民性調査

と報道されたようです。

利他主義とは、厳密には、完全に他者志向の動機付けであって他者の福利が向上することだけを目的とするものです。しかしボランティアグループの幹事の方に「なぜボランティアをするんですか」と動機を聞くと割と、「やっていると自分も楽しい」「やりがいがある」「感謝されると嬉しい」といった回答を耳にします。実は、利他主義モデルでは、実質自分にとって利益がなくても、あたかも利益があったかのように考えるものと知られています。Jアンドレオーニは、利他主義の中でも他者を助けることによって、感情的な報酬を間接に得るとする「warm-glow(感情的満足)」と呼びました。まったくのリターンを求めない純粋な利他主義に対して、間接的で「不純な」利他主義は、たとえ実質的な利益が生じなくても、ときには「自己満足」「自己犠牲」が、相手との協力を選択することを説明してくれます。


動機が純粋であろうと、不純であろうと、「協力」が起こればいいじゃないか!と思いますが、利他主義は、利己主義に脆いことがわかっています。つまり全員が利他主義であれば全面的なよい協力モデルになるが、一人でも利己主義が混じることによって、利己主義者の行動を互いにチェックし、抑制することができません。このモデルでは、利己主義者を排除できないならば、合理的な個人行動が公共の共有財産を荒廃させる「共有地の悲劇」や、初期的な占有者がすべての果実を独占してしまうwinner-takes-all(勝者独占)状態になり、利他主義モデルは滅びてしまうのです。

ブラ三は、ゲームなので、基本的には、プレイヤーはエンターテイメントとしてゲームに参加していると考えるのが自然です。(業者などは仕事として参加しているかもしれませんが、どちらも自己の欲求をみたす為に参加している点においては変わりがありません。)ブラ三は、最終的には7つ城を集めることで、1君主でそれを実現することは難しいので、同盟を組んで、1同盟でも難しい場合は、共闘など同盟間の外交などにより大規模な協力に発展していきます。参加の成り立ちから考えると、自己利益を優先した合理的判断が優勢を占めると予測されますが、6年も続く複数回ゲームなので、完全な自己利益を優先した判断ばかりではないことを皆さんも経験があるのではないでしょうか。

最後に経済学者ローバートフランクが「オデッセウスの鎖」で「コミットメント問題」を提起しました。

目の前にある自己利益追求の誘惑に対して、この短期的な判断をひとまず停止して、長期で、より協力的な関係を引き出すことが可能か

と問うたのである。少し長くなったので、次回に続きます。


参考文献
坂井素思、2014、「社会的協力論」放送大学教育振興会、p78-80