イタリアは地中海に突き出した長靴型イタリア半島、および周辺の島(サルデーニャ島シチリア島など。コルシカ島はフランス領)から構成されている。東はアドリア海、西でティレニア海リグリア海、南でイオニア海地中海に面している。国境を接する国としては、大陸部では西側をフランス、北側をスイスオーストリア、東側をスロヴェニア。アドリア海を挟んで、クロアチアアルバニアギリシアなどとも地理、歴史的に結びつきが強い。キリスト教カトリック教会の治めるバチカン市国があるが、これはイタリアの首都ローマが周囲を囲んでいる。他にもアドリア海近くのサンマリノ共和国を包み込むように接する。さらに、スイス領内には飛び地として面積1.7km²ほどのカンピョーネ・ディターリアを持つ。


領土内北部ではアルプス山脈が東西に弧を描き、国境を成している。国境にはマッターホルンや、モンテローザモンブランのような高峰があり、イタリアの最高点はフランスとの国境線上のモンブラン頂上付近にある。アルプスは北西部で分岐し、イタリア半島を縦断するアペニン山脈を形成する。アペニン山脈はイタリア半島の気候をアドリア海側とティレニア海側とで非常に異なったものにする役割を果たしている。特にアドリア海側は寒冷であり、海岸部ではときにボラ(冬の北東季節風)の影響が及んで冷たい潮風が吹きつける。また火山国でもあり、とくに南部ではしばしば地震が起こる。エトナ山ヴェスーヴィオ山等が有名で、エトナ山はヨーロッパ最大の活火山であり、ほとんど常に噴火している。時には大きな噴火を起こすこともあるが、特別に危険な火山とは見なされておらず数千人が斜面と麓に居住している。イタリアには多くの川があるが、ポー川アディジェ川テヴェレ川が上位三位の長さを持つ。テヴェレ川はアルノ川源流近くに源を発し、ローマ市内を抜けて流れることで有名である。



[編集] 立法


イタリア議会は、元老院(上院)と代議院(下院)で構成される両院制(二院制)である。元老院は、任期5年の民選議員(315議席)、および終身議員(現在8名)とで構成される。大統領経験者は本人が拒絶しない限り、終身議員たる資格がある他、科学や芸術などの分野で国の名誉を高めた功労者の中から大統領が指名した者が終身議員となる。一方、代議院は全630議席で、任期5年の民選議員によって構成される。また日本では衆議院の優越が認められているが、イタリアでは両院の権能は完全対等、双方とも大統領によって解散されうる。



[編集] 憲法改革案を否決


2006年6月25-26日、憲法改革案を問う国民投票が行われ、開票の結果、60%を超す反対で否決された。改革案は、退陣したベルルスコーニ右派連立政権が2005年末、野党・中道左派勢力の反対を押し切って議会を通過させたもの。改革案の中味は、議会の解散権を大統領から首相に移し、保健や教育、警察などの権限を国から州に委譲するというもの。開票結果は、反対が61.7%。そのうち、南部で74.8%、中部で67.7%、北部で52.6%の多数を占めた。投票率は53.6%であった。


[編集] 題名


現在では一般に『源氏物語』と呼ばれている、この物語が作られた当時の題名が何であったのかは明らかではない。古写本には題名の記されていないものも多く、また記されている場合であっても内容はさまざまである。『源氏物語』の古写本の場合、冊子の標題には「源氏物語」ないしはそれに相当する物語全体の標題が記されている場合よりも、それぞれの帖名が記されていることが少なくない。古い時代の写本や注釈書などの文献に記されている名称は大きく以下の系統に分かれる。



  1. 「源氏の物語」、「光源氏の物語」、「光る源氏の物語」、「光源氏」、「源氏」、「源氏の君」などとする系統。

  2. 「紫の物語」、「紫のゆかりの物語」などとする系統。


これらはいずれも源氏(光源氏)または紫の上という主人公の名前をそのまま物語の題名としたものであって、物語の固有の名称であるとは言い難いことや、もし作者が命名した題名があるのならこのようにさまざまな題名が生まれるとは考えにくいため、これらの題名は作者が命名した題名ではない可能性が高いと考えられている[1]


紫式部日記』、『更級日記』、『水鏡』などのこの物語の成立時期に近い主要な文献に「源氏の物語」とあることなどから、物語の成立当初からこの名前で呼ばれていたと考えられているが、作者を「紫式部」と呼ぶことが『源氏物語』(=『紫の物語』)の作者であることに由来するならば、その通称のもとになった「紫の物語」や「紫のゆかりの物語」という名称はかなり早い時期から存在したと見られることなどから、源氏を主人公とした名称よりも古いとする見解もある。なお、「紫の物語」といった呼び方をする場合には現在の源氏物語54帖全体を指しているのではなく「若紫」を始めとする紫の上が登場する巻々(いわゆる「紫の上物語」)のみを指しているとする説もある。


なお、『河海抄』などの古伝承には、「源氏の物語」と呼ばれる物語が複数存在し、その中で最も優れているのが「光源氏の物語」であるとするものがあるが、現在「源氏物語」と呼ばれている物語以外の「源氏の物語」の存在を確認することは出来ない。そのため池田亀鑑などはこの伝承を「とりあげるに足りない奇怪な説」に過ぎないとして事実ではないとしている[2]が、和辻哲郎は、「現在の源氏物語には読者が現在知られていない光源氏についての何らかの周知の物語が存在することを前提として初めて理解できる部分が存在する。」として「これはいきなり斥くべき説ではなかろうと思う」と述べている[3]


なおこのほかに「源語(げんご)」、「紫文(しぶん)」、「紫史(しし)」などという漢語風の名称で呼ばれていることもあるが、漢籍の影響を受けたものでありそれほど古いものはないと考えられており、池田亀鑑によればその使用は江戸時代を遡らないとされる[4]



[編集] 概要


詳細は「源氏物語各帖のあらすじ」を参照


54帖より成り、写本・版本により多少の違いはあるもののおおむね100万文字に及ぶ[5]長篇で、800首弱の和歌を含む典型的な王朝物語。物語としての虚構の秀逸、心理描写の巧みさ、筋立ての巧緻、あるいはその文章の美と美意識の鋭さから日本文学史上最高の傑作とされる。ただし、しばしば喧伝されている「世界最古の長篇小説」という評価は、2008年現在でも源氏物語千年紀委員会による「源氏物語千年紀事業の基本理念」において源氏物語を「世界最古の長編小説」としているなど[6]一般的な評価であるとはいえるものの、中村真一郎の説のアプレイウスの『黄金の驢馬』やペトロニウスの『サチュリコン』につづく「古代世界最後の(そして最高の)長篇小説」とする主張[7]もあり、学者の間でも論争がある。20世紀に入って英訳、仏訳などにより欧米社会にも紹介され、『失われた時を求めて』など、20世紀文学との類似から高く評価されるようになった。


物語は、母系制が色濃い平安朝中期を舞台にして、天皇の皇子として生まれながら臣籍降下して源氏姓となった光源氏が数多の恋愛遍歴をくりひろげながら人臣最高の栄誉を極め(第1部)、晩年にさしかかって愛情生活の破綻による無常を覚えるさままでを描く(第2部)。さらに老年の光源氏をとりまく子女の恋愛模様や(同じく第2部)、或いは源氏死後の孫たちの恋(第3部)がつづられ、長篇恋愛小説として間然とするところのない首尾を整えている。


文学史では、平安時代に書かれた物語は『源氏物語』の前か後かで「前期物語」と「後期物語」とに分けられる[8]。後続して作られた王朝物語の大半は『源氏物語』の影響を受けており、後に「源氏、狭衣」として二大物語と称されるようになった『狭衣物語』などはその人物設定や筋立てに多くの類似点が見受けられる。また文学に限らず、絵巻(『源氏物語絵巻』)、香道など、他分野の文化にも影響を与えた点も特筆される。



[編集] 構成


『源氏物語』は長大な物語であるため、通常はいくつかの部分に分けて取り扱われている。



[編集] 二部構成説、三部構成説


白造紙』、『紫明抄』あるいは『花鳥余情』といった古い時代の文献には宇治十帖の巻数を「宇治一」、「宇治二」というようにそれ以外の巻とは別立てで数えているものがあり、この頃すでにこの部分をその他の部分とは分けて取り扱う考え方が存在したと見られる。


その後『源氏物語』全体を光源氏を主人公にしている「幻」(「雲隠」)までの『光源氏物語』とそれ以降の『宇治大将物語』(または『薫大将物語』)の2つに分けて「前編」、「後編」(または「正編」(「本編」とも)、「続編」)と呼ぶことは古くから行われてきた。


与謝野晶子は、それまでと同様に『源氏物語』全体を2つに分けたが、光源氏の成功・栄達を描くことが中心の陽の性格を持った「桐壺」から「藤裏葉」までを前半とし、源氏やその子孫たちの苦悩を描くことが中心の陰の性格を持った「若菜」から「夢浮橋」までを後半とする二分法を提唱した[9]


その後の何人かの学者はこのはこの2つの二分法をともに評価し、玉上琢弥は第一部を「桐壺」から「藤裏葉」までの前半部と、「若菜」から「幻」までの後半部に分け、池田亀鑑は、この2つを組み合わせて『源氏物語』を「桐壺」から「藤裏葉」までの第一部、「若菜」から「幻」までの第二部、「匂兵部卿」から「夢浮橋」までの第三部の3つに分ける三部構成説を唱えた。この三部構成説はその後広く受け入れられるようになった。


この他に、重松信弘による「桐壺」から「明石」を第一部、「澪標」から「藤裏葉」までを第二部、「若菜」から「竹河」までを第三部、宇治十帖を第四部とする四部構成説や、実方清による「桐壺」から「明石」を第一部、「澪標」から「藤裏葉」までを第二部、「若菜」から「幻」までを第三部、「匂宮」から「夢浮橋」までを第四部とする四部構成説も存在する。


このうち第一部は武田宗俊によって成立論(いわゆる玉鬘系後記挿入説)と絡めて「紫の上系」の諸巻と「玉鬘系」の諸巻に分けることが唱えられた。この区分は武田の成立論に賛同する者はもちろん、成立論自体には賛同しない論者にもしばしば受け入れられて使われている。(「紫の上系」と「玉鬘系」はそれぞれ「a系」と「b系」、「本系」と「傍系」あるいはそれぞれの筆頭に来る巻の巻名から「桐壺系」と「帚木系」といった呼び方をされることもある。)


また第三部は「匂兵部卿」から「竹河」までのいわゆる匂宮三帖と「橋姫」から「夢浮橋」までの宇治十帖に分けられることが多い。


上記にもすでに一部出ているが、これらとは別に連続したいくつかの巻々をまとめて



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