日本人は、欧米で評価されてからその価値に気づく」

「失われた30年」を越えて─日本が世界の現代アート市場を再び席巻する日

 

 

 

 

 

 

ニューヨーク・タイムズ(米国)

 

Text by Zachary Small

 

2024年「第60回ヴェネチア・ビエンナーレ」の日本館では、毛利悠子が代表作家に選ばれた。例年と違うのは、アーティストを支える「資金サポートチーム」が発足したことだ。米「ニューヨーク・タイムズ」紙が、この日本館史上初となる支援の取り組みに注目。日本は80年代の勢いを取り戻し、再び世界のアートシーンで存在感を発揮することはできるのか?


毛利悠子(44)は、日本政府がアーティストに求めるものは知っている、と思っていた──それは保守的で静謐なものであり、カビの生えた果実に強いこだわりを持つ反動的パンクロッカーでは決してないはずだ。

毛利は、「最初は冗談だった」と切り出す。そして、学校の理科の実験でレモンが電池代わりになるのを見た自身の記憶が、2024年に開催された国際美術展「第60回ヴェネチア・ビエンナーレ」の日本館の出品作品の提案に繋がった経緯を説明する。

日本館の毛利の展示作品は建物全体を使った大掛かりなもので、吊り下げられた電球が、いずれ朽ちる果実片に電極で繋がれている。展示は大成功を収めた。
 

毛利の展示を成功に導いた真の立て役者は、その舞台裏にいる。政府関係者、画商、財界人が経済的な支援ネットワークを築き、毛利のような日本人アーティストが国際舞台で活躍できるよう支えたのだ。それは、世界の美術マーケットを席巻した1980年代のような、文化面における日本の影響力を取り戻す取り組みの一環でもある。
 

「失われた30年」による日本美術界の低迷


1980年代の日本企業は、欧州の至宝的な美術品を購入する常連で、彼らの購買欲は美術品市場を「富裕層の趣味」から「投資手段」へと変質させる一因ともなった。強い円が、日本企業の海外進出を促す政策と相まって、ルノワール、モネ、セザンヌなどの印象派絵画の落札額は驚異的な高値をつけた。1987~1991年の公的な貿易統計によると、日本人コレクターは87億ドル(現在の通貨レートで165億ドル・約2兆5000億円)以上を美術品の購入に費やしていた。

日本人コレクターの収集熱は1990年、ゴッホの『医師ガシェの肖像』が8250万ドルで落札されたときに頂点を迎える。これは当時の美術品オークションで落札された美術品の最高額で、現在の通貨レートで約2億ドル(約304億円)に相当する。

その後、日本の金融市場は崩壊し、1990年代には「失われた10年」として知られる経済低迷が訪れる。経済低迷はさらに長期化して、「失われた30年」と呼び方を改める者も出た。長引く経済低迷のため、東京都心部の高層ビルに開館した企業運営の美術館は作品購入予算が削減され、破産したコレクターは名作絵画を次々と手放し、海外の買い手に売却した。
 

日本のアート市場の価値が11%も増加


アートとお金は日本経済の活況期にぶつかり合い、一部の日本人アーティストは世界的な注目を集めるようになった。今日(こんにち)のコレクターは1980年代ほどの購買力はないが、2024年のヴェネチア・ビエンナーレにおける毛利作品の展示のための資金を賄うだけの調達力はあった。さらに、今回は国の機関も関わっていた。
 

林保太が文化庁に入ったのは、日本が経済危機の影のなかにいた1994年で、すでに日本のアート市場を支援するプログラムは消滅していた。新しい世代のアーティストやアートディーラーを育成する有意義なプログラムを国が手掛けるまでにさらに20年を要したが、その旗振り役のひとりが林だった。

現在、文化庁の文化戦略官・芸術文化支援室長を務める林は、「文化庁は専門会議を開き、日本の現代アートを海外にどのように売り込むかという方針を決めた」と振り返り、2014年10月に日本の現代アートの海外発信促進事業計画が策定された経緯を説明した。

優先的に取り組むべき課題は多かったが、こうした長年にわたる国の取り組みは一定の成果を挙げている。それがとくによく表れているのが、美術品購入における税控除制度だ。

たとえば2018年、美術品コレクターが所有作品を美術館に最低5年貸し出し、のちに相続が発生したときに相続人が引き続き貸し出したままにした場合、当該作品の評価額の80%を相続税から免除することが決定され、さらに2021年にはこの優遇制度の適用範囲が現代アートにも拡大された。林によれば、文化庁はさらなる税制優遇措置を導入しようと、新たな提案を検討しているという。

「これまではアートのインフラ整備に取り組んできました。次のフェーズでは、これからの現代アートを盛り上げ、アート市場の活性化をさらに進めることが必要です」

ギャラリーオーナーの多くも、こうした変化が早く訪れることを期待する。訪日客数が過去最高を記録し、「Art Collaboration Kyoto(ACK)」や「アートウィーク東京(AWT)」などのイベントが開催されるなか、日本のアート界への注目度は高まっている。米国の高級アートディーラー「Paceギャラリー」が東京に進出したことも、日本のアート市場が上向いてきた兆しといえるかもしれない

 

 

 

文化経済学者のクレア・マッカンドリューが文化庁の依頼を受けて書いた報告書(「The Japanese Art Market 2024」)によると、日本のアート市場の価値は2019~2023年の4年で11%増加し、総販売額は6億1100万ドルから6億8100万ドル(約946億5900万円)へと増加した。この増加率は、同期間にわずか1%の増加率にとどまった世界市場全体と比べてはるかに高い。

ロサンゼルスに本拠を置くギャラリーの経営者で、11年前に東京の原宿地区に進出したティム・ブラムは、アート業界に前向きな変化が見られると話す。

「ここでは非常に劇的な変化が起きています。目の肥えたコレクターの数が増えているのです。日本がアジア地域で最大のコレクター層を抱えている、ということではありませんが、アジアの誰もが東京にやってきます。日本にセカンドハウスを構える中国人の顧客も少なくない」

ブラムいわく、日本人コレクターは西洋のコレクターと比べ、作品選びに慎重だという。加えて円が急落した2024年夏以降、外国籍アートディーラーに対して財布の紐が固くなってもいる。日本の美術品コレクターの多くが、いまひいきにしているのは、美術品販売の実績を持つ国内のデパート大手だ。

Paceギャラリー東京を統轄する服部今日子は、「親や祖父母にとって日本のデパートは、足を運ぶべき場所」だったと話す

 

 

 

「秋のファッションや、家に飾る絵画を紹介してくれたのがデパート。富裕層にとっては、お抱え執事みたいな存在でした」

だが、デパートは日本国内の顧客を相手にする閉鎖的なシステムで、彼らが取り扱うアーティストで国際的な注目を集める者はほぼ皆無だ。美術品コレクターの高橋龍太郎は、こんな冗談を口にする。

「よくこんなふうに言われます。『デパートがアーティストを売りはじめたら世も末だ』って」

この30年で、日本国内で最も重要な美術コレクションを築いた高橋は、2024年に、東京都現代美術館で開催された企画展に取り上げられた。精神科医としてクリニックを開業するかたわら、草間彌生作品を早期から収集したのを皮切りに奈良美智、村上隆、山口晃ら日本の現代アート作家の作品を重点的に購入することを決めた。

その後、2011年の福島原発事故後に政治的な作品を作るようになった日本のアーティスト集団「SIDE CORE(サイドコア)」といった若い作家に目を向けるようになった。だが高橋は、税制上の新たな優遇措置や欧米系ギャラリーの増加によって、日本人アーティストの生活が上向くかどうかについては懐疑的だ。高橋はこう語る

 

 

 

 

「欧米のアート界は、作品を金融商品化したために衰退しています。アートを購入する限られた富裕層に税制上の優遇措置を講じるのはナンセンス。若いアーティストが生計を立て、作品を売り込めるような恵まれた制作環境作りを探るべきです

 

 

 

日本人は、現代アートを評価できるように


毛利悠子のような日本人アーティストを支援する取り組みはまだ始まったばかりだ。たとえば、ヴェネツィア・ビエンナーレの日本館での展示に資金サポートを提供する取り組みは、著名な日本人コレクターの大林剛郎(おおばやし・たけお)の呼びかけで始まった。大林は、「美術界のオリンピック」と称される同ビエンナーレに毛利作品を出品する機会を利用して、日本で現代アート熱が高まっていることを広く訴えることができると考えた。

日本最大級の建設会社「大林組」の会長を務める大林は、アート情報メディア「Tokyo Art Beat」のインタビューで、「関係人口を増やすことが結果的にアートファンも増やすことにつながる」と発言している。

「成熟国家となった日本がその先へとブレイクスルーし、より強い経済力を発揮して国力を高めるためには、日本が元来もっている素晴らしい技術開発力に加えて、クリエイティビティが必要になってくると実感したからです

 

 

 

ベネツィア・ビエンナーレの日本館に展示された毛利のインスタレーション Photo: Casey Kelbaugh/The New York Times

 

 

 

 


毛利の場合、資金面の支援体制はあったものの、ヴェネチア・ビエンナーレの出品準備に要した時間の7割が資金調達や作品の輸送に関連する事務作業に費やされた。それでも今回の経験が将来の投資となり、次の日本人ビエンナーレアーティストが、もっと恵まれたロードマップを持てるようになることを望んでいる。
 

毛利は、海外のアートシーンに活躍の場を見いだす日本人アーティストが、ごくわずかしかいない理由を「チャンスが非常に限られているから」だと説明する。神奈川県の教員家庭で育った毛利は、大学生だった2000年代に前衛パンクバンドに加わり、生活のために新幹線車内で食品を売り、ホステスクラブでビジネスマンの接客をするアルバイトもこなしていた。

「お客さんとの会話は本当に楽しかった。そこでは、おもに人間の欲望について学びました」

その後「ヨコハマトリエンナーレ2014」に参加し、アーティストとしてのキャリアに弾みがつく。独学で英語を学び(閉鎖的な日本のアート界では珍しい)、国際的なキュレーターと繋がりを持ちはじめ、その結果、アジア、欧州、米国での知名度も高まった。

2015年、『モレモレ:与えられた落水 #1-3』で「日産アートアワード 2015」のグランプリを受賞する。毛利は東京の地下鉄の駅構内で、駅職員が水漏れを止めるためにビニールチューブや傘、防水シート、漏斗、バケツなど手持ちの品で応急処置に臨む光景を目撃した。受賞作品はそこから着想を得たキネティックアート(動く彫刻)だ。この『モレモレ』を新しいかたちにしたものが、ヴェネチア・ビエンナーレ日本館では、腐ったオレンジ、スイカ、ブドウ、リンゴ400個以上を使ったカビの生えた果物のインスタレーション『デコポンジョン』とともに展示された。

政府機関の関係者からは、毛利作品と肩を並べられるほど機知に富む、いま以上に実験的アートに特化した部門の創設に関心があるという話が聞かれる。
 

「日本人は、自国文化を正当に評価するのがあまり得意ではありません。日本の現代アートもそうです。欧米で評価されてからその価値に気づきます」と文化庁の林は言う。そして、こう付け加える。

「この習慣は変えなくてはなりません。私たちは現代アートを評価できる目を持つ必要があるのです

 

 

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