古代ローマ人の何が「特にすごい」のか? ギリシア人、フェニキア人を圧倒した「こだわりの特異点」。

現代ビジネス

ポエニ戦争を戦ったローマの将軍スキピオ。Photo/gettyimages

 

 

 

 

 

コロッセオやフォロ・ロマーノなどの大遺跡、ポンペイで発掘される古代人の暮らし――古代ローマはいつも現代人を魅了する。メソポタミアからローマ帝国まで、古代文明を新視点で描く好評のシリーズ「地中海世界の歴史〈全8巻〉」(講談社選書メチエ)の最新刊・第5巻は、いよいよローマ文明に分け入っていく。さて、人類の長い歴史の中でローマ人の何が特に「すごい」のだろうか。

 

 

  【写真】ローマvs.カルタゴ

 

 

 

 

 

知性ではギリシア人にかなわないが…

ローマの建国伝説、ロムルス・レムスと雌狼の像。カピトリーノ美術館蔵

 

 

 

 

ローマ史研究の第一人者・本村凌二氏が、1人で4000年の歴史をたどる「地中海世界の歴史」。ギリシア人やマケドニア人、さらにフェニキア人、ペルシア人、ユダヤ人…など、さまざまな人々が行きかった地中海世界。そのなかで、なぜ、ローマ人だけがあれほど強大な国家を築くことができたのか。 1月刊行の第5巻は、都市国家ローマの建国伝説から、前2世紀に地中海の覇権を握るまでが描かれる。タイトルは、『勝利を愛する人々――共和政ローマ』だ。 「この巻で読んでいただきたいポイントは、ほとんどこのタイトルに集約されています。とにかくローマ人は「勝ち」にこだわるのです」(本村氏) ――いやいや、人間は有史以来、いつも戦争をしていたんだし、「勝ち」にこだわるのは当然では? と思ってしまうが、ローマ人の「こだわり方」は歴史上でも特筆すべきものだったらしい。 「ローマはとにかく相手に打ち勝つこと、その領土を自分のものにするという欲望が強かった。戦争と領土的野心が結びついたのは、ローマ人の登場以降のことでしょう」(本村氏) 単に敵国にダメージを与える、戦利品や利権を得る、というだけでなく、「勝って領土とすること」へのこだわりは、ローマ人に始まるのではないか、というのだ。 では、古代の人々は、「勝利」以外に、どんなことにこだわっていたのだろうか。本書のなかで、本村氏はギリシアの哲人・プラトンの著作から紹介している。 〈かつてプラトンが、その著書『国家』のなかで「知を愛する人」「勝利を愛する人」「利得を愛する人」を人間の基本的な3分類としたのは、都市国家ローマがイタリアを統一するずっと以前のことだった。しかしこの3類型にそれぞれ、ギリシア人、ローマ人、フェニキア人をあてはめると、ずいぶんとしっくりきてしまう。〉(『勝利を愛する人々』p.224) 学問にしろ芸術にしろ、

 

 

知的活動にかんしては、ローマ人はギリシア人に頭が上がらなかった。

 

 

荘重さが漂うギリシア悲劇や、

人間と世界の真理に迫ろうとするギリシア哲学はもちろん、

ローマの博物館を飾る彫像の傑作も、

そもそもギリシア人の作品を複製したものが少なくない。

 

 

しかし――、 

〈とにかくローマ人は武勲にこだわる一方、他方では規律・組織を重んじる。そのうえで絶大なる軍事力を築き上げることができた。その軍事力にしても、あくまで彼らは「勝利する」ことにこだわっていた。その点で、ローマ人は古代のさまざまな民のなかでも傑出していたのではないだろうか。〉(同書p.224)

 

 

 

 そして、建国伝承に語られる紀元前8世紀半ばから、

長い時間をかけてイタリア半島をほぼ制圧したローマ人は、

前3世紀半ば、いよいよ海へと乗り出す。

 

この時、ローマの前に立ちはだかったのが、

プラトンのいう「利得を愛する人々」だった。 

〈「利得を愛する人」とはどのような人々なのだろうか。

 

 

たちまち目に浮かぶのがカルタゴ人である。

 

 

今日でこそ、

 

ギリシアとローマに比べれば、

カルタゴは一歩も二歩も引けを取るように見える。

 

 

しかし、前3世紀の地中海世界を見わたせば、

海洋国家カルタゴは

北アフリカを拠点に海上交易で儲けに儲けた。

 

事実のほどはともかく、

ギリシア人にもローマ人にも

「ずる賢いカルタゴ人の輩(やから)」と見なされていたらしい。〉

(『勝利を愛する人々』p.255) 

 

 

カルタゴは、

前9世紀末に

フェニキア人が建設した国だ。

 

フェニキア人といえば、

もともと東地中海沿岸、現在のレバノンあたりを本拠地とし、

船の建造に適した木材・レバノン杉に恵まれて海上交易で活躍した人々である。

 

シリーズ第2巻で

「人類最大の発明」のひとつとして紹介した

「アルファベット」を開発したのもフェニキア人であり、

 

まさにローマ人・ギリシア人に並ぶ地中海世界の主役といっていいだろう

 

 

 

 

 

 

ローマにとって「忘れがたい年」

イタリア半島を制して海に乗り出そうとするローマと、

 

フェニキア人の国家カルタゴの確執は100年にわたり、

 

その戦争は「ポエニ戦争」と呼ばれる。

 

カルタゴはすでに、

シチリア島やイベリア半島など、

西地中海一帯に勢力を広げていた。 

〈イタリアの新興国ローマとの覇権をかけた競い合いは、どちらが勝利するかわからないほどだった。というよりも、フェニキア人の伝統にさかのぼるカルタゴの国力が優るというのが、おそらく当時の人々の現状認識だったのではないだろうか。〉(同書p.255) 

 

 

 

 

ポエニ戦争は3次におよび、

一時は象の部隊を率いたハンニバル軍がローマに迫る。

 

しかし前146年、

スキピオ率いるローマ軍は、

ついにカルタゴを滅亡させる。 

 

 

 

「この戦争では、ローマだって負ける可能性はあったわけです。実際、カンナエの戦いでは、名将ハンニバルに徹底的に敗れている。でもこの戦争で「利得を愛する人」が勝っていた場合、

 

はたしてローマ人のような帝国を築くだけの持続性があったかどうか…。

 

 

ローマは何度負けても立て直す人々ですから、

とにかく勝つまで戦い続けたのかもしれません」(本村氏) 

 

 

この年、前146年は、ローマにとって忘れがたい年となった。

 

ローマはカルタゴを滅亡させ、

マケドニアを属州化し、

ギリシアの有力都市コリントスを破壊した。

 

 

イタリア半島からみて、

 

西にはカルタゴ勢力圏があり、

 

東にはマケドニア・ギリシア勢力圏があったが、

 

そのすべてがローマの手中におちたのだ。

 

 

ローマは「世界帝国」への扉を開いたのである。 

 

このころ転機をむかえたのは、

地中海世界だけではなかった。

 

 

ユーラシアの東側でも、

漢王朝が武帝(位前141-前87)による最盛期にさしかかりつつあった。 

〈世界史の潮流のなかでみれば、漢帝国とローマ帝国は古代の最終段階にほぼ同時に出現し、それぞれの文明圏を政治権力によって統合し、一つの歴史世界として実現した。この意味において、まさしく「帝国の古典時代」とよべるだろう。それは、ユーラシア大陸の西にある地中海世界では、前146年に幕を開けたのである。〉(同書p.246) 

 

 

 

 

※関連記事

 

〈「祖国」こそが唯一最大の発明品。古代ローマ人と日本の「武士道」〉、〈ローマ人が徹底的に抹殺した「エトルリア文明」とは〉、著者がローマ史の楽しみを語るインタビュー〈前編〉〈後編〉もぜひお読みください。

 

学術文庫&選書メチエ編集

 

 

古代ローマ人の何が「特にすごい」のか? ギリシア人、フェニキア人を圧倒した「こだわりの特異点」。(現代ビジネス)