ジェイミー・ダイモンさん自体は、
誰もが尊敬をし、
学ぶわけですが、
この記事だけに関して、それが、
ある国の、ある産業の、ある規模の、
ある時代の、
などなど、
直接は、比較や参考にできませんが、
勿論、この人へのインタヴューですから、
(元GEのCEOだった、”あの、ジャック・ウェルチさん”の本を読むのと同じような、楽しみがあります)
読むだけでも、非常に、楽しいわけで、
もっともっと、百倍くらい、永遠に、彼の人生(仕事、私生活、心情その他)
について、読み続けたいです。どんな映画や本や、エンタメ以上に
(といいますか、今は99%、くだらないといいますか、つまらない、エンタメや映画などが多すぎますので)
大変、面白い読み物(インタヴューです)です。
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まあ、そうなんですが、
比較がチープで申し訳ございませんが、
恋愛などと同様で、千差万別で、十人十色で、個別個別によって、
状況、状態など、あまりにも違いすぎます。
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企業それぞれ、
業界各々
時代についてもそうですし、
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一般論が、非常に、難しいので、
まとめて書くのは、ほぼ、無理です。
各々の企業
(と、その時代/時流)について、
観察、調査、分析、討論、現場それぞれからの意見、業界内での立場や意見、
などなど、
何十億通りもあり、
相違しますので、
こういう記事も、
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他の産業(規模や、国や、州や、都市や、時代、etc)
では、それほど、参考になるようで、なりません。
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それはまるで「要塞」
“米国金融界の獅子”
ジェイミー・ダイモンに
聞く「強い企業の作り方」
ル・ポワン(フランス)
Text by François Miguet
金融界で段違いの影響力を誇る、
JPモルガン・チェースの
CEOジェイミー・ダイモン。
シティグループという金融コングロマリットをゼロから作り上げ、
破綻寸前の銀行を救った彼は
いま、
大恐慌下でもビクともしない「要塞」のような金融大帝国を率いている。
その卓越した経営手法から、
彼が考える「世界のリスク」まで、
仏誌「ル・ポワン」が余すところなく聞いた
新社屋が体現するもの
高級ブランドが並ぶ5番街と劇場街のブロードウェイを除くと、ニューヨークで名高い通りといえばパーク・アベニューが筆頭に挙がる。
ここには富豪一族の邸宅や金融機関が集まっており、数十億ドルが瞬時に動く。
だから全米一の銀行JPモルガン・チェース(以下、JPMC)が、
この通りのグランド・セントラル駅の近くに
新社屋を構えたのは、
当然といえば当然だった。
新社屋の高さは423メートル(エッフェル塔より123メートル高い)。
私たちは落成前のこの茶色と黒の摩天楼を、
一足先に覗くことができた。
柵の向こう側で私たちを待ってくれていたのは、
JPMCの不動産事業の統括者デービッド・アリーナだ。
同社の約7000件の物件の管理をしているという。
「巨獣のようなこのビルの内臓部へようこそ。フランスのシャンゼリゼ大通りとは少し違うかもしれませんが、ここがニューヨーク最大のビジネス街の中心なのです」
幅122メートル、奥行き60メートルのエントランスは、やがてイタリアのシエナから船で運ばれてくる大理石で覆われるという。
30億ドルを
投じたこの事業の規模が伝わる。じつに壮大なのである。
「私どものCEOのジェイミー・ダイモンが、
弊社のキーワードとなる単語を
『パワー、
要塞、
エレガンス』と
いった具合に1語ずつ挙げてリストにして、
それを英国人建築家のノーマン・フォスターに渡して、
建物の構想を練るのに使ってもらいました」とアリーナは言う。
私たちは荷物用エレベーターに乗り込み、59階まで上がった。数ヵ月後には、ここに受付とレストランができているとのことだが、現時点では、四方から風が吹き込む打ち放しコンクリートの空間でしかない。オレンジ色のプラスチックの薄いネットの向こう側には、虚空が広がっていた。
「どうです。ここはエンパイア・ステート・ビルディングよりも高いんですよ」
ホワイトハウスがまず電話をかける男
JPMCのCEOジェイミー・ダイモンは、
2025年末落成予定のこの新社屋建設事業に心を傾けてきた。
空調から照明、カーペットに至るまで、
すべてが彼の承認を受けたものだという。
ダイモンの新しいオフィスからは
マンハッタンが一望できるだけでなく、
その階下では、
全従業員30万9000人のうちの1万人が働くことになる。
ジョン・ピアポント・モルガン(1837-1913)が
153年前に創業したJPMC。
その銀行を
20年間率いてきたジェイミー・ダイモンのキャリアの集大成であり、
その支配の象徴ともいうべき建築物である。
青い目をしたダイモンは、
単なるウォール街の狼ではない。
米国の金融界における獅子といえばいいだろうか。
2008年の金融危機を耐えて、
いまも米国の大手金融機関のCEOを務め続けているのは、
ダイモン以外にはいないのだ。
サブプライム・ローン問題、
新型コロナウイルス感染症、
2023年のシリコンバレー銀行の破綻など、
米国の経済に衝撃が走るとき、
ホワイトハウスがまず電話をかける相手がダイモンだ。
そのダイモンは68歳になったいまでも、
金融業界で記録的な利益を次々に出している。
2023年にJPMCが出した利益も、過去最高の496億ドルだった
とにかく別格の存在
2024年5月、フランスのマクロン大統領がヴェルサイユ宮殿に米国の主要な銀行家を集めて会合を開いたことがあった。このときもマクロンが何かにつけ最初に発言を求めたのは、「友人のジェイミー」だった。
テーブルには、ブライアン・モイニハン(バンク・オブ・アメリカ)、デービッド・ソロモン(ゴールドマン・サックス)、テッド・ピック(モルガン・スタンレー)などの大物も集結していたが、誰も首席格のダイモンを差し置いて発言することはない。
どの基準で見ても、誰もダイモンに遠く及ばないのだから仕方がない。まずは影響力が段違いなのだ。ブルームバーグの最新のデータによれば、JPMCの総資産は4兆1430億ドル。2位のバンク・オブ・アメリカより8850億ドル(約140兆円)も多い。自己資本利益率も21%で、主要な競合金融機関の平均13%を引き離している。
株価を見ると、JPMCの時価総額は6821億ドルで、バンク・オブ・アメリカの2倍だ。欧州大陸第一位のフランスの銀行、BNPパリバと比べれば約8倍だ。BNPパリバのCEOジャン=ローラン・ボナフェは、ダイモンに次の賛辞を贈る。
「ジェイミーは、金融業界における破格の人物です。その強みは、自分の周りに仲間を集めるのが巧みなところです。優れたチームを作れると、遠くまで行けますからね。思慮深さを失っていないのも見事です」
フランス最大のPEファンド「アルディアン」の創設者ドミニク・セヌキエは、ダイモンを次のように評する。
「普段は経営者に心底敬服することのない私ですが、ジェイミーは数少ない例外です。この業界では珍しく、人の話に耳を傾けてくれますし、思いやりもあるんです」
地上最強の銀行家になって、
2023年だけで3600万ドル(約57億円)という
銀行家として世界最高水準の報酬を得るには、
何をすればいいのか。
度重なる金融危機を切り抜けて
20年弱で総資産を4倍に増やすのには、
どんな秘訣があるのか。
なぜ銀行家なのに、
核兵器の拡散や
人工知能(AI)に
関心を抱くのか。
私たちは
ジェイミー・ダイモンにインタビューをして、
これらの問いに答えてもらうことにした。
ナポレオンの信奉者であるダイモンは、
マクロン大統領から授与されたレジオンドヌール勲章を
機会があるたびに身に着けるという。
そんな彼が、
自分の帝国の扉を開き、
成功の秘訣のいくつかを私たちに明かしてくれたのである
“米国金融界の獅子”ジェイミー・ダイモンに聞く「強い企業の作り方」 | クーリエ・ジャポン
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「失墜した男」が新天地で発揮した手腕
“地上最強の銀行家”が破綻寸前の銀行を救うために使った「3つのメソッド」
ル・ポワン(フランス)
Text by François Miguet
愛読書はマルクスとフロイト
米国では「スーパー・ジェイミー」の異名を持つジェイミー・ダイモンだが、最初から「世界各地で1日10兆ドルをリアルタイムで動かす銀行」のCEOだったわけではない。
出身はニューヨーク市のクイーンズ区。『マイ・フェア・レディ』の初演がブロードウェイであった1956年に生まれた。だが、ミュージカルより数字の話をするのがダイモン家の家風だった。彼は子供時代を次のように振り返る。
「子供の頃は、自分が銀行家になるとは想像もしていませんでした。でも、父のセオドアも祖父も株式仲買人でした。祖父はギリシャから移民として米国にやって来た人で、中等教育を修了していませんでした。私はどんな職業に就きたいのか、よくわかっていませんでしたし、お金にもそこまで興味を持っていませんでした。ただ、人生で成功したいとは思っていましたし、何らかのかたちでリーダーになりたいとも思っていました」
思春期は読書三昧で過ごした。とくに読んだのがマルクスとフロイトだった。だが、血筋は争えない。
「16歳か17歳のときに、父からある会社の年次報告書と財務諸表を渡されてね。『これを分析して、自分だったらその会社に投資するかどうかを教えてくれ』と言われたんです。ワクワクしました」
数々の大手銀行を蹴って就職したのは…
マサチューセッツ州のタフツ大学で心理学と経済学を学んだ後、ボストン・コンサルティング・グループに入社し、そこで2年間、働いた。
その2年間は死ぬほど退屈だった。それでハーバード・ビジネス・スクールに進学することに決め、そこで頭角を現した。
同期89人のなかには、後にメディア・コングロマリット「NBCユニバーサル」のCEOとなる人物もいたが、その人の話によれば、ダイモンは入学最初の週からクラスを驚かせたという。教授が黒板に書いた計算の間違いを指摘したからだ。
やがて妻となる女性ジュディ・ケントと出会ったのも、このキャンパスでのことだった。学業の成績も上位5%に入った。まだ26歳だったが、ゴールドマン・サックス、モルガン・スタンレー、リーマン・ブラザーズなど、ウォール街の金融機関がダイモンを競って採用しようとしていた。だが、彼はそういったオファーをすべて断る道を選んだ。
父親の古い友人であるサンディ・ワイルが、自分の右腕にならないかと話を持ち掛けたのだ。当時、ワイルはアメリカン・エキスプレスの社長だった。高額の報酬を提示してダイモンを雇おうとする銀行は多かったが、ワイルが約束したのは、活躍の場だった。
ダイモンが下した選択は、当たりだった。なぜならワイルは、金融の天才だったからだ
成功と失墜、そして再起
ワイルとダイモンの2人組は10年間、次々に大きな仕事を手掛けていった。
2人は1985年に
アメリカン・エキスプレスを離れて、
自分たちの組織を起ち上げると、
獲物となる金融機関を次々に買収していった。
ガルフ・インシュアランス、
プライメリカ、
ドレクセル・バーナム・ランバート、
シェアソン、
トラベラーズ、
エトナ・ライフ・アンド・カジュアルティ、
ソロモン・ブラザーズ……。
こうしてゼロからできあがったのが、
シティグループという金融コングロマリットだった
23歳差のこの2人組の役割分担ははっきりしていた。
年配のワイルが大局を見通し、若いダイモンがそのビジョンの実行役を担った。
ところが1998年のある日、
メンターだったワイルが突如、
弟子のダイモンを
公開処刑の憂き目に遭わせた。
自分の地位が脅かされていると感じたのだろうか。
ダイモンを解任して、
会社から追放したのだ。
金融業界人が必ず目を通す英国の雑誌「エコノミスト」は、
ダイモンを「失墜した男」と評した。
それは群衆の前で十字架にかけられるような話だった。
ビジネス界の寵児となっていた42歳が、
見事なアッパーカットを見舞われたのだ。
だが、彼はいつまでもウジウジするタイプではなかった。
まずは米国のホームセンター大手「ホーム・デポ」の経営をしないかという打診があった。
ダイモンは断った。
DIYは、何もわからなかったからだ。
すると今度はシアトル在住のジェフ・ベゾスという早口でまくしたてる男性が、
「アマゾン」という自分が起ち上げた超有望スタートアップの経営をしないか
と持ち掛けてきた。
ダイモンはこれも断った。
自分の得意な業界ではなかったからだ。
再起を期した舞台は、
やはり銀行業だった。
2000年3月、
彼はシカゴに移り、
当時、リテールバンキング部門で全米第5位だった
「バンク・ワン」を
率いることを承諾したのだ
3つの「ダイモン・メソッド」
破綻の瀬戸際に立っていたその銀行を
再建した
ダイモンの手腕は、いまもビジネススクールで教えられている。
当然だ。
ダイモンがこのとき、
その恐るべきメソッドを実践したからだ。
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ダイモンCEOに聞く「世界のリスク」
「中国は恐れるに及ばないし、
中露のラブストーリーは本物じゃない」
ル・ポワン(フランス)
Text by François Miguet
莫大な額の投資先
2023年、シリコンバレー銀行が破綻して市場にパニックが生じると、
ウォール街の獅子は、
その機に乗じて、再び獲物を仕留めてみせた。
経営が破綻したファースト・リパブリック銀行を、
たった48時間で、
106億ドルで手に入れたのだ。
しかも、それをバイデン政権が支援したのである。
そんなJPMCに追いつくのは簡単ではない。
チャンスがあれば、
経営が不安定な金融機関を飲み込むから、
というだけではない。
自分たちの競争力を維持するために、
莫大な額の投資をしているのだ。
とくにその投資が向かうのは、
次に来る転換点を誰よりも早く見抜くためのツールだ