キスの起源から唾液に含まれる8000万個の細菌まで

あなたの知らない「キスの科学」──なぜ私たちは口づけを交わすのか

 
 
Photo: Getty Images
 
 

 

ガーディアン(英国)

 

Text by Donna Lu

 

なぜ人間はキスをするのだろう? このふだん何気なくやっている行為について真剣に考えてみたことはあるだろうか? キスを歴史的、科学的、社会学的に考察してみたら、想像以上に深い世界が広がっていた。

 

「最古のキス」は4500年前?


人々は大晦日の真夜中にヤドリギの下でキスを交わす。おとぎ話ではキスはカエルを王子に変え、お姫さまを魔法の眠りから目覚めさせる。私たちはキスで仲直りをして、結婚を誓い、そして『ロミオとジュリエット』のロミオに限っては、キスで命を落とす。

私たちの文化におけるキスの重要性は極めて高く、その言葉は唇が触れ合わない行為にさえ使われている。たとえば、まつ毛で触れ合う「バタフライ・キス」や、鼻を擦り合わせる「エスキモー・キス」(イヌイット文化では「クニク」と呼ばれている)などだ。

キスにまつわる最古の記録は4500年前の古代メソポタミア(現在のシリアとイラク)まで遡り、楔形文字の文献によれば、親愛の情を表す日常的な動作だったらしい。
 

数千年経ったいまでも、キスの正確な起源は議論の的になる。最近発表された新説によれば、キスは進化の過程で類人猿の毛づくろい行動から派生したという。

私たちがふだん何気なくやっている(時に、夢中になったり評価したりもする)この行為は、いったいどのように生まれたのだろうか?
 

フロイト「母乳を吸う快楽への回帰だ」


世界的に有名な英国の進化心理学者ロビン・ダンバーは、2012年の著書『愛の科学』(未邦訳)で次のように述べている。

「幼少期のコンプレックスへの強いこだわりで知られるフロイトは、キスが母親の乳房を吸う快楽の記憶に関係しているという説を唱えた。だが、それは説得力に欠ける。もし本当にキスが母乳を吸うことへの回帰であるなら、なぜその行為そのものをおこなわないのか?」

また、口づけは、キスフィーディング(前咀嚼)、つまり噛み砕いた食べ物を乳児の口に舌で押し入れる行為から発展したという説もある。「それはキスの前段階として考えられます」とダンバーは言う。
 

一方、英ウォーリック大学の准教授で進化心理学者のアドリアーノ・ラメイラは、前咀嚼だけではキスという特殊な動作、つまり「かすかな吸引運動をともなう唇の突出」を説明しきれないと指摘する。

「前咀嚼では人はたしかに唇を突き出しますが、何かを口から出すのであって、口に入れるわけではありません」

それよりもラメイラは毛づくろい(グルーミング)に注目しており、キスはグルーミングの名残りだと推測する前述の新説を発表した。

「グルーミングは、類人猿において家族や友人の間で最も頻繁におこなわれています。グルーミングの行為者は寄生虫やゴミを見つけると毛をつかみ、突き出した唇を近づけ、軽く吸い取るような動作をします」

キスをする霊長類は人間だけではない。とりわけ情愛深い動物であるボノボは、情熱的に舌を絡め合うことで知られている。チンパンジーも、けんかの後にキスや抱擁を交わす様子が観察されている。

とはいえ、類人猿でみられるキスの大半は、一方がもう一方に対して、口でつつくような軽いものだとダンバーは言う。
 

「類人猿はグルーミングの際、かなり頻繁に口を使います。これが人間のキスのルーツの一つであることは間違いないですが、どのように現状のキスに至ったのか、まだわかっていません」
 

「キス婚活」でわかる相手の情報


キスには何が秘められているのか? 

まず、10秒間の情熱的なキスではおよそ8000万個の細菌が交換される。体のなかで最も感覚豊かな部位の一つである唇を合わせることで、脳に触覚情報がどっと流れ込み、ストレスホルモンであるコルチゾールのレベルが低下する。

唾液にはテストステロンが含まれており、キスは潜在的な配偶者の性欲を無意識に刺激する手段だと指摘する人類学者たちもいる。

「キスによって唾液中のタンパク質やその他の細胞が交換され、相手の免疫システムや健康状態について非常に正確な情報が得られることは間違いありません」とダンバーは説明する。
 

彼の研究によると、恋愛的なキスは配偶者になるかもしれない相手の適性を評価したり、カップル間の親密感を助長したりする役割を果たす可能性があるという。

26組のカップルを対象にした別の研究では、キスの頻度を増やすとコレステロール値が改善され、ストレス軽減や関係満足度の向上にもつながることが明らかになっている。

そんなキスに「正しいやり方」はあるのだろうか? 

厳密にはないが、「正しい傾向」みたないものはある。度重なる研究の結果、ほとんどの人は恋人とキスをする際に頭を右に傾ける傾向があることが判明しているのだ。研究者らは、これを胎児期から備わる右側への先天的な嗜好の反映ではないかとみている。

ただし、この右側への偏重は恋愛とは無関係のキス(たとえば親子間のキスなど)には見られず、そうしたキスでは左側に傾ける傾向がある。このことから、頭を傾ける方向は先天的なものではなく、後天的に学習された行動だという説もある

 

 

 

 

 

世界にはキスをしない文化圏もある


オーストリアの民族学者イレネウス・アイブル=アイベスフェルトが、1970年代におこなった研究によると、キスは既知の文化の約90%に存在するという。

この結果は、性的ではないキス(大人から子供へのキスなど)が普遍的である可能性を示唆していると、ネバダ大学ラスベガス校の人類学者ウィリアム・ヤンコヴィアック教授は述べる。

「人間は子供の世話をするように進化してきました。それはどの文化でも同じです。そしてキスは、親が子供に関心を示す多様な方法のなかの一つだと思います」

一方、恋愛的なキスについては、進化の産物だと考えない研究者もおり、ヤンコヴィアックもその一人だ。もしカップル間のキスが進化の結果であるなら、性的ではないキスのように、事実上普遍的な行為になるはずだと彼らは主張する。

2015年、ヤンコヴィアックの研究チームが世界168の文化圏を調査したところ、恋愛的なキスが存在するのは半分以下の46%にすぎないことが判明した。「このように普遍的でないという結果は、文化的な行為として発見・再発見された行為であることを示唆しています」
 

その例として、ヤンコヴィアックはブラジルの先住民であるメヒナク族を挙げる。彼らはヨーロッパ人がキスをするのを目撃したとき、その行為に嫌悪感を抱いたという。

ヤンコヴィアックの研究はまた、キスが気候や肌の露出度とも相関関係がある可能性を示した。北極圏周辺の11の文化集団のうち、9つでロマンティックなキスが普遍的にみられたが、熱帯や亜熱帯地域の対象集団ではキスの慣習がなかったという。

「衣服を着た生活環境では、顔しか触れる部位がありません」とヤンコヴィアックは指摘する。「人間は感触をともなう接触を好むようですが、必ずしも唇が接触ゾーンである必要はないのです

 

あなたの知らない「キスの科学」──なぜ私たちは口づけを交わすのか | クーリエ・ジャポン