シリア反体制派の指導者ジャウラニとは何者か? 「物腰柔らかいカリスマ」の怖さ

配信

 

 

クーリエ・ジャポン

12月8日、首都ダマスカス陥落後に演説するHTSの指導者アブ・モハメド・アル・ジャウラニ Photo by Balkis Press / ABACAPRESS.COM

 

 

 

 

内戦が続いていたシリアで12月8日、

 

反体制派

 

首都ダマスカスを制圧し、

 

父子2代で半世紀以上に及んだアサド政権は崩壊した。

 

 

バッシャール・アサド大統領は

家族とともにモスクワへ逃れ、

亡命を認められたと

 

ロシアメディアは伝えている。 

 

 

【画像】シリア反体制派の指導者ジャウラニとは何者か? 「物腰柔らかいカリスマ」の怖さ 

 

 

シリア内戦は2011年に始まったが、

ここ数年はこう着状態にあった。

 

ところが、この10日余りで反体制派が一気に首都まで進軍し、

あっという間に首都を陥落させた。

いったい何が起こったのか?

 

 

 

 

イランとロシアの支援が手薄になった隙を突いた

反体制派が北部で大規模な攻勢に出たのは11月27日。

 

シリア第二の都市アレッポを制圧すると、

 

中部の要衝ハマや

 

ホムスなどを

 

次々と支配下に置き、

 

南部のダマスカスまで到達した。 

 

 

 

中東カタールのメディア

アルジャジーラ」によれば、

 

反体制派の進軍に直面した政府軍の兵士たちは自ら武器を捨てて逃げ出したという。

 

 

政府軍の士気が低下していた理由としては、

 

内戦の長期化による経済の疲弊や

アサドの恐怖政治に対する不満などが挙げられる。 

 

 

とはいえ政府軍の弱体化は何年も前から指摘されており、

アサド政権はこれまで

イランやロシアの軍事支援に依存しながら反体制派を封じ込めてきた。

 

 

だが今回はそうした後ろ盾も助けに駆けつけなかったと、

アルジャジーラは報じている。 

 

 

ロシアはウクライナとの戦争で手いっぱいであり、

 

シリアでアサド政権を支えてきたイランの代理組織ヒズボラも

 

イスラエル軍との戦闘で勢力が衰えているからだ。

 

反体制派はその隙をうまく突いたといえるだろう。

 

 

Courrier Japon

 

シリア反体制派の指導者ジャウラニとは何者か? 「物腰柔らかいカリスマ」の怖さ(クーリエ・ジャポン)