パルクロノミクス

「美貌格差の経済学」が

 

えぐり出す

 

“アグリー”な真実

 

 

 

 

 

 

 

 

タイムズ(英国)

 

Text by Tom Whipple

 

イケメンや美女は性的魅力の面で有利なだけでなく、経済的にも成功しやすいと聞いて驚く人はさほど多くないだろう。だが容姿のせいで住む場所まで変わってくるとすれば? こうした「美貌格差」は是正されるべきなのか。美貌の経済学「パルクロノミクス」を研究してきた経済学者に、英紙「タイムズ」の科学記者が聞く。


英国ロンドンには「不細工フィルター」があることを証明するつもりなど、ダニエル・ハマーメッシュにはなかった。

ましてや、この大都市が英国中のセクシーな人たちを飲み込みつつ、さほど美しくもなく、成功もしていない住民を吐き出していると結論づけることになろうとは思ってもみなかった。ハマーメッシュによると、後者は「ウェールズのようなところに移り住む」。

だが、ハマーメッシュはその発見に驚いたのだろうか。彼が生涯をかけて研究してきたのは、「パルクロノミクス」──しばしば隠れた、そしてしばしば議論の的になる、美貌の経済学だ。
 

美貌という、世界最後の許容された偏見であり、稼ぎから健康、寿命まですべてに影響する偏見について調べてきたハマーメッシュは、その発見に大して驚かなかった。

米国テキサス大学オースティン校の教授だったハマーメッシュは、ウェールズで何が起きているのかを見いだすべく、非常に独特で、非常に有益なデータセットを分析した。

もしかすると、このデータセットに含まれている読者もいるかもしれない。英国で1958年3月3日〜9日に生まれた人は、育ちと老化の影響を調べた、ハマーメッシュの長期研究に登録されていた可能性が高い。そしてこの人たちが7歳のときに、担任の教師が奇妙な依頼を受けた可能性も高い。

1965年のある日、教師たちのもとには、英国の「全国子供発達調査」から公式文書が一通送られてきたはずだ。それは依頼書だった。生徒たちの容姿を評価してくれないかというものだ。

教室の前から生徒たちをこっそり凝視していた教師には、生徒の容姿を評定する選択肢があった。魅力的、魅力に欠ける、並、そして「異常な容貌」──最後の選択肢は、評定尺度のどこに位置するのか何も指針が与えられていなかった。
 

研究者らは美貌の客観的な基準を何も提供しなかった。それが必要だとは誰も考えなかったのだ。左右対称性、骨格のよさ、色艶のよい顔、スリムさ。「一目瞭然」であることは、研究に次ぐ研究が示してきた。

そんなわけで、先生たちはその調査にチェックマークを付けたあとは、いつもどおりの生活を続けた。こうして集められた回答は、ファイルキャビネットのどこかでほこりをかぶっていた。

だが、評定された本人たちは、異常な容貌だろうとなかろうと成長し、学校を卒業して、大学に行った、もしくは行かなかった。結婚した、もしくはしなかった。仕事をして、引っ越しして、地方に移り、引退した

 

 

 

 

美貌」という人生の順風


ハマーメッシュは、被験者たちの人生の道筋を見たときに何が言えるのか、すでに見当がついていた。われわれは誰もが自分の運命の船長ではあるが、それぞれに与えられた風に乗って航行するのだ。

過去50年で世界中から集めたデータから浮かび上がってくるのは、魅力的な容姿という順風に恵まれるとはどういうことか、また、魅力のなさという激しい逆風のなかで人生の旅に乗り出すとはどういうことかをめぐる構図だ。
 

魅力的な人のほうが稼ぎはいい。ある計算によれば、美男子は40歳時点での平均昇給が、就労経験が5年長いのと同程度になることが示されている。

魅力的な政治家のほうが勝つ可能性も高い。ドイツでのある研究では、候補者間の魅力の差異が、投じられた票の3%に影響したとの結果が出ている。米国での研究では、人々が州知事選の結果を、候補者たちの短いテレビ映像を見ただけで予測できることがわかった。

事実、美貌はどんな仕事を選ぼうとも役に立つ。

魅力的な殺人犯は死刑判決を受けにくいことが、ある米国の研究で示されている。念のためにいうと、魅力的な人はそもそも殺人犯にもなりにくい。

逆に、魅力に欠ける法律家は訴訟弁護士になりにくい。陪審員たちに揺さぶりをかけて、不細工な依頼人を有罪にさせないためには、最高の顔面を陪審団に向けたいものだ。

例を挙げればキリがない。友人関係、結婚、自尊心と、どれも容姿と関連する人生の領域だ。どこであれ、その違いは小さくとも、明白だ。ハマーメッシュは言う。
 

「魅力的でなければ、やることなすことほぼすべてにおいて不利になります」

ハマーメッシュの最新の研究では、それが人生そのものにさえ当てはまるようだということが示されている。最も魅力に欠ける人は、少なくとも米国ウィスコンシン州のサンプリングデータでは、寿命が1〜2年ほど短い。

それほど驚くべきことではないとハマーメッシュは言う。地位もお金も幸福もすべて寿命に影響することはわかっているからだ。ハマーメッシュは言う。

「人生でわれわれは理不尽な運という礫(つぶて)や矢に苦しみます。ここでいう理不尽な運とは、とても不細工に生まれ育つ人もいるということなのです」
 

容姿は人が暮らす場所にまで作用する?


魅力のなさがほかの身体的特徴と変わらないのであれば、その保護は法律で定められるかもしれない。だが、そのためには、マーティン・ルーサー・キングみたいな人が立ち上がり、不細工な子供のために夢を語る必要があるかもしれない。容姿の美醜は、語られざる偏見なのだ

 

 

 

 

 

 

このことが、1958年に生まれた英国人の子供たちに関係してくる。この研究では、子供たちが生涯にわたって追跡され、何千人ものデータが誕生から死没まで集められたのだ。

ハマーメッシュはこの被験者たちについて、その人生から健康、富にいたるまで熟知している。彼の研究の目的は、このデータを使って幸福を研究することだった。

彼の予想どおり、幸福度は、人生の始めで魅力的と評価された人たちのあいだでより高かった。しかし彼は、その人たちがどこで生まれ、どこに行きついたかに関する情報も持っていることにも気づいた。

理論上ではわかっていたので、このデータで明らかになったことに何も驚きはなかった。魅力的な子供たちは経済的に成功しやすく、それゆえに、経済的に成功する場所に住む可能性がより高いことがわかったのだ。

その影響は、こうした影響の大半と同じく、個々人のあいだでは目に見えないほど小さく、集団レベルでようやく目立つものだった。だとしても、それが実際的に意味することはなお、少し不愉快な気持ちになるものだった。ハマーメッシュは言う。
 

「南東イングランドが美男美女を惹きつけ、不細工な人たちを寄せ付けていなかったのです」

ハマーメッシュがこの現象を見たのは、これが初めてではなかった。

米国ウィスコンシン州で実施した同様の長期研究では、被験者たちの高校の卒業写真をファイルに添付した。何十年も経って、被験者たちはなおセクシーさを評価されていたが、生徒がセクシーであるほど、卒業後にウィスコンシンを出ていく可能性も高かったのだ。
 

容姿とセックスとお金に共通していること


自分の見解が嫌がられていると感じることもあるとハマーメッシュは言う。

「人々は侮辱的だと受け取ります。そんなことに取り組むべきでないというのです。収入とか性生活について話すみたいなものです。あまり多くを語りたくない話ですよね」
 

だが、容姿がセックスとお金と共通していることはほかにもある。

「われわれは常にそのことを考えています。道を歩いているときも絶えず──」

ハマーメッシュ自身は、それほど魅力的ではない。かといって魅力に欠けているわけでもない。しかし、あからさまに人の容姿を評価することに私は慣れていない。そんなふうに書くことは、恐ろしく無礼だと感じる。

人の容姿を評価するのは、自分がやるようなことではない。でも、無理してやってみれば、すでにそういうことをやってきたと気づく。それどころか、自分は人の容姿を常に評価しているのだ。

ハマーメッシュは、老人男性としては並だ。私は自分を並以上だと思っているので(そんなふうに言うのも気まずいが、それは完全に自覚してもいることだ)、魅力は(年相応に)有利に働いているはずだ。
 

ハマーメッシュは私の彼に対する評価に同意する。

「多くの研究で使われる5段階評価でいえば、私は3だと思う」

では私の自己評価はどうか。私の自己肯定感をあっさり撃ち落とすかのように、ハマーメッシュは言う。

「あなたも3ですね」
 

容姿差別にも法的基準を作るべき?


米国の法学者デボラ・ロードは2010年、

 

 

「きれいならいいのかービューティー・バイアス」

 

 

 

という本を書いた。そのなかでロードはこう論じている。
 

「見た目によって科されるペナルティは、われわれの大半が想定する、または正当化できると見なすものをはるかに超えている」

法律家としては、解決策がひとつあった。われわれ人間が差別するほかの任意の特徴に用いられるのと同じ解決策だ。法律が介入すべきだとロードは論じたのだ。

醜さという特定の不利益に関して法的基準を作るのは、それほど奇妙な発想ではない。じっさい、それはすでに起きていることだ。

ハマーメッシュも

 

 

『美貌格差ー生まれつき不平等の経済学」

 

 

 

 

 

という本を書いている。

 

彼がパルクロノミクスを研究しはじめると、予想外の関心を法律家たちから示されるようにもなったのだ。

法律家たちは、おもに犬に噛まれるなどの事故で外見が損なわれた依頼人たちと一緒に、ハマーメッシュのもとにやってきた。人々がやってきたは、ハマーメッシュの言葉でいえば、「支払われるべきお金があった」からだ。
 

その人たちが知りたがったのは、傷のある顔による所得上の不利益はどれくらい見込めるのかということだった。その計算をして、法廷で論証することがハマーメッシュのちょっとした副業になった。

では、われわれはどうしたらいいのか。
 

魅力のなさに対する差別は理不尽か


ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスのティム・ロイニック教授は、われわれがこれをそのまま、ひとつの機会として見るべきだと考える。

「成功したいし、正しいこともしたいという企業は、過小評価されている人たちを常に雇うべきです。こうした人たちは価値相応に支払われていないからです」

ということは、書面上では同じに見えても、直接会うと同じには見えない応募者が2名いた場合、魅力的でない人物を採用したほうがよい結果につながるかもしれないのだ。
 

こうした考え方については反論もある。それが一因で、ハマーメッシュは不細工差別に対する法律が時期尚早だと考えている。

魅力のなさに対する差別は理不尽なものだとわれわれは自然に思い込んでいる。

だがもし理不尽でないとすればどうなのか。

魅力的な軍司令官、

 

魅力的なアメフトのクォーターバック、

 

魅力的な教授が

 

総じてよりよい結果を得ていることを示す研究はいくつもある。

 

それはその人たちがより賢いとか、

より速いとか、

より勇敢だからではなく、

より尊敬されるからだ。

 

ハマーメッシュは言う。

「重大な問いは、美貌には生産性の効果があるのか、ということなのです」

米国の教授であるハマーメッシュは、

社会が評価する、知性という遺伝的な幸運の恩恵を受けてきた。

 

 

もしかすると美貌も知性と同じように、

 

ランダムで不公平なものなのかもしれない。

 

まさに人が美貌を評価するがゆえに、

 

 

美貌には価値があるのだ
 

「この考え方が変わるのを見たいものです。でも、私やあなたが生きているあいだにそうなるとは思えません。われわれは堂々巡りしており、敵は自分自身なのですから

 

 

 

 

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