日本人の知らない 米国でもいまだ合法な児童婚や、多妻婚、人身売買、民兵組織、多くのカルト集団

 

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下が、”AI” の誇張で、

 

日本人に多く見られる概念とか、誇張ですが、

 

 

アメリカなどの方が、超本音と建て前が多い、嘘の社会です。

 

 

「本音と建前」は、何かしらに対する人の感情と態度との違いを示す言葉です。日本人論によく見られる概念で、日本的な価値観に固有

 

 

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廃止を阻む人たちが多数いる驚きの現状

米国でもいまだ合法な“児童婚”の廃止を求めるサバイバーたちの戦い

 

 

 

2019年、マサチューセッツ州議会に対して児童婚廃止のロビー活動をおこなうサバイバーたち Photo: David L. Ryan / The Boston Globe / Getty Images

 

 

 

ガーディアン(英国)

 

Text by Alaina Demopoulos

米国では2000年以降、数十万の児童婚が発生している。多くの州では、明確に禁止する法律すら整っていないのだ。児童婚のサバイバーたちを中心とした、根絶に向けた運動は進展しているものの、いまだに児童婚を維持しようとする人もいる。米国の現状を英紙「ガーディアン」が取材した。

 

 

 

抜け出すまで23年


コートニー・コズニックが夫となる男性と出会ったのは16歳の時、デトロイトの喫茶店でのことだった。彼女は彼を救世主だと感じた。アルコール依存症により職が見つからない母のもとで、彼女は貧しい暮らしをしていたが、彼は安定を約束してくれた。そしてその2ヵ月後、彼はプロポーズをしてきた。

彼は28歳で、コズニックよりも10歳以上年上だったが、誰も結婚に反対する人はいなかった。それに彼は、彼女が未成年であっても合法的に結婚する方法を知っていた。彼女の

 

母親から許可をもらいさえすればよいのだ。それでだめだった場合も、結婚に関してそれほど法律が厳しくない

 

オハイオ州まで行けばよい

コズニックの母親を説得することは容易だった。その男性は洗練されていてフレンドリーな印象で、コズニックに対して「よりよい道徳教育」ができるとも話したのだ。「妻に対して『道徳教育』を受けさせると言う夫はおかしくないですか?」と、現在47歳になったコズニックは言う。「私は結婚前に充分に教育されているべきだったのです」
 

1993年の結婚式の日、ティーンエイジャーのコズニックが年上の男性と結婚する様子を10人のゲストが見守った。相手の家族もほとんどが出席したが、ひとりの例外があった。「彼の叔父は司祭で、何十年にもわたって家族全員の結婚式でその役割を果たしましたが、私たちの結婚は年齢の差を理由に認めてくれませんでした」と、コズニックは回想する。

コズニックは夫とのよりよい生活を求めていたが、それは新婚初夜、彼が初めて身体的暴力を振るってきたことで打ち砕かれた。「ほぼその瞬間から、結婚生活を抜け出したいと思いました」

しかし、夫は家計のすべてを管理し、彼女が誰と会話するかまで監視していた。6年後、彼女がついに離婚を申し出ると、彼は長子を連れて州外に逃げ、彼女の気が変わるまで戻ってこないと言いはなった。

彼女たちは結局23年の結婚生活を送り、4人の子供をもうけたが、別れることになったのは、コズニックがこっそりと初めてのクレジットカードを作ってからのことだった。カードの5000ドル(約75万円)の融資枠を、離婚のための弁護士費用に充てた。

コズニックは現在では、子供の頃に結婚をすることなど、あってはならないと理解している。2023年6月、全米の児童婚サバイバーで作る団体、「アンチェインド・アット・ラスト」は、彼女の地元ミシガン州でロビー活動をおこない、児童婚を非合法化することに成功した。コズニックはこれに参加した

 

 

 

 

多くの州で「合法」


児童婚とは、一方、または双方が18歳未満の結婚を指す。

 

現在、

 

米国の37の州で合法となっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

連邦法で禁止されていないため、選挙権、飲酒権、そして宝くじを買う権利もない人が、親の同意さえあれば結婚できる状態があるのだ。

いくつかの州では結婚年齢の下限を決めているが、その幅は15歳から18歳までとなっている。

 

カリフォルニア州、

ニューメキシコ州、

オクラホマ州では、

最低年齢を決めておらず、

 

 

ミシシッピ州では、最低年齢要件を判事の判断で免除できる。

多くのサバイバーが、結婚生活のなかで窮屈な思いを経験してきたという。コズニックのように、相手に経済的に頼り切りになってしまうケースもある。また、親が共犯者となって強制的な結婚を進めるケースもある。

多くの州では、

婚姻中の相手であれば強姦罪が成立しないため、

搾取者がこれを利用し、

性的虐待をくわえるという法の抜け穴になっているのだ。

 

 

アンチェインド・アット・ラスト設立者のフレイディ・リースは言う。

「児童婚は、児童への強姦の抜け道となっているのです」
 

18年間で30万人


ジョージ・メイソン大学の公衆衛生学で教鞭を執るジュムカ・グプタ准教授は、ジェンダー暴力と児童婚に関する研究をおこなっている。グプタの研究対象は米国ではないが、そのサバイバーに関する普遍的な結論をいくつか見つけ出している。

「児童婚をした女性の場合、18歳以降に結婚した女性と比べて、出産の問題、無計画な妊娠、メンタルヘルスの問題などを抱える可能性が高くなっています」とグプタは言う。また、18歳未満で結婚する女性は教育を中断する率が高く、自分でお金を稼ぐ能力が低くなるとも指摘した。

 

 

 

米国政府は児童婚を人権侵害だとみなしており、「介入が最も必要とされ、最も結果を出す可能性が高い地域、国、コミュニティ」に対して、最大530万ドル(約8億1000万円)の支援を拠出する。しかし、米国の例外主義により、ここでの「地域」は南側諸国と結びつけられ、国内には目が向けられないだろうとグプタは話す。「もちろん、国内でも蔓延しているのですが」

アンチェインド・アット・ラストの調査によれば、2000年から2018年のあいだに、米国では30万人近くの未成年が結婚している。

 

そのなかには、10歳で結婚した例もあった

 

このうち78%は成人の夫を持つ少女なので、

活動の支援者らは、

未成年女子を年上の男性から守ることを主張の中心としている。

2024年に入るまでに、サバイバーたちは3つの州で児童婚を違法とすることに成功した。2030年までに米国で児童婚を根絶するという目標に向けて、着実に前進している。

だが、リースは無関心という課題があると語る。「議員たちに関心を向けさせ、結婚もほかのあらゆる契約と同じように18歳になってからでないとできない、というシンプルかつ常識的なことを伝えるという一歩が、とても難しいのです」

活動の支持者たちは、一見奇妙な集団からの反発も受けている。リプロダクティブ・ライツの論争に児童婚を利用しようとする右派政治家、そして児童婚の擁護が若者の権利を守ることだと主張する左派政治家だ

 

 

 

100年前から問題視


米国では、19世紀半ばに人々が思春期を無邪気さと結びつけるようになり、保護する必要を感じるようになるまでは、児童婚が問題視されることはなかった。

カンザス大学教授で、『米国の児童婚―米国における未成年と結婚の歴史』(未邦訳)という著書があるニコラス・L・シレットは言う。「そのようになってから、人々は児童婚を異常だと認識するようになり、規制すべきだと考えるようになりました」

その時代の女性の権利運動家の草分けであるエリザベス・オークス・スミスは、家族の圧力により16歳で結婚したことを「生涯にわたる大きな過ち」と書き記した。その頃は、10代女性が結婚することは珍しくはなかった。その後、スミスは少女には自由な合意形成はできないとして、米国の結婚可能年齢を当時の成人年齢である21歳に引き上げるよう運動した。

ところが、児童婚が正当化されるような状況もあった。10代の女性が婚外子を産むよりは、児童婚をしたほうが尊いと親たちは考えたのだ。

「児童婚は、婚外性交渉撲滅の手段に使われたのです」とシレットは語る。「私生児として生まれたことが法的に不利だった時代には、人々はそれを望みませんでした」

 

 

 

米国の公共放送サービス、PBSがまとめた国勢調査のデータでは、1930年代までは17歳女性の10%が結婚していた。

1937年、テネシー州では22歳のタバコ農家であるチャーリー・ジョンズが、9歳の隣人ユニス・ウィンステッドと結婚している。このカップルは、国民的な人気者となった。「ライフ」誌はこの夫婦を撮影するためにカメラマンを送り、新聞にはウィンステッドが人形を持って夫と一緒にポーズを取っている様子が掲載された。「ニューヨーク・タイムズ」紙によれば、その人形はジョンズからの結婚祝いであったという。

これに困惑したテネシー州の議員たちは、すぐさま結婚の最低年齢を16歳に定めた。(なお、ウィンステッドは1997年にジョンズが亡くなるまで結婚生活を過ごした)

1年後、この物語は脚色され、『幼妻』というB級映画になった。搾取的な結婚から間一髪で逃れる少女の物語となっている。映画の冒頭のクレジットはこうだ。

「『はるか遠い場所』の人々の風習をドラマ化するにあたり、我々はそれらをバカにしたり、擁護したりといういずれも意図していない。ただ、我々の作品が児童婚の廃止の一助となれば幸いである」
 

米国における児童婚のピークは1950年代のベビーブームで、ちょうど米国社会では家庭的な中流階級文化が推進されていた頃であった。シレットによれば「それ以降は減少の一途をたどった」という。だが彼は、地方の貧困地区の少女においては、いまだによく見られるということも付け加えた。

「児童婚は、高校を出て大学進学を考えているような中流階級の子供においては起こりません。貧困層において見られるのです」

 

 

 

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