A) ノーベル賞をもらう経済学者や、ネットの評論家より、、
 
 
B) 現実の世界で、真に、裕福なお金を稼いで、(その個人としては、経済的に)
ハワイなどにしょっちゅう行って、幸せに見える人間や、
 
 
 
あるいは、
 
C)  この記事の、ロシア女性のように、
今日現在、”破綻しないロシア経済”
を維持している天才人間のほうが、
 
「真に頭が良いのであろうか?」
 
人生の勝ち組なのであろうか?
 
「やせたソクラテスより、太った豚の方が勝利者なのか?」
 
 
 
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はなしは飛びますが、
 
日本では、常に、首相が、
 
その身だしなみ、
 
常識的に、国の恥とならない程度の、
 
いや、少しは誇るべき程度レヴェルの、身だしなみとファッションが必要です。
 
ヘヤ―
 
ファッション、
 
など、専属の人間がいるべきだと思うのですが、
 
そういう人を雇う、ことに対しての、
 
予算が無駄使いだとして、
 
国民や、メディアや、野党が、99%、反対すると思いますが、
 
日本の首相は、しょっちゅう、髪が寝ぐせだったり、
 
贅沢ではなく、スーツなどの洋服が、少し貧弱だったり、
 
 
どうして日本人は、国家のトップの人間が、
 
”格好悪くても気にしない”
 
という国民なのでしょうか?
 
日本はすべてにおいて、反対派の、
 
少数派の意見を、過剰に、気にし過ぎております。
 
悲しいかな、
 
世界で、日本の首相の、スーツのデザインや、流行が、世界で一番遅れております。
 
こういう所が、日本国民の世界でレヴェルの低いところです。
 
女子スポーツでも、同じで、
 
女子スポーツは、長いヘヤ―の髪型やお化粧なんか。
 
そんなことを気にしていたら、世界一にならないよ!
 
というのが、未だに、日本に、99%、根強く残っております。
(女子陸上選手の多くや、女子サッカー選手の多くなどなど)
 
 
女性スポーツ選手と政治家は格好悪くてもいいんだ、
 
というのが日本国民の大多数です。
 
悲しい日本、
 
世界のいなかっぺ日本
 
 
 
片や、”真のバランス的な美” というものを、努力を惜しんで、
エルメスのバーキンなどに、固執し、自分の、
垂れたお尻や、体を鍛えることを忘れたり、
 
片や、
自分の、学歴や、境遇を嘆くかのごとく、
大都会の繁華街で、暴力団の支配下の飲食店で、
客引きの仕事や、
あるいは、闇バイトなどで、雇われた犯罪にあける人生を送っている結構ハンサムな若者達
 
全て、行きつくところは、
 
広い意味での、”教育”で、
 
如何に、日本には、十二分な予算で、真のしっかりした教育制度が、必要か、
 
感じさせられる、今日この頃です。
 
 
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優秀なテクノクラート」の実像

ロシアの戦時経済を支える「ルーブルの守護神」の中銀総裁とは何者か

 
ロシア中銀総裁エリビラ・ナビウリナは、巧みな金融政策でルーブルの崩壊を食い止めてきた Photo: Bloomberg Creative Photos / Getty Images
 
 

 

1843マガジン(英国)

 

Text by Kate de Pury

西側諸国による制裁によってロシアの経済は崩壊し、すぐに戦争は終わるだろうという予想に反し、ロシアは戦時経済体制をすばやく組み立て、国民の生活水準の急速な悪化を防いでいるという。そのために力を尽くした重要人物として、ロシア中央銀行のエリビラ・ナビウリナが挙げられる

 
 
 
 
 
 
プーチンの忠実な部下に見える彼女は、もともとはリベラル派出身で、ロシアを世界経済に統合することに力を尽くしてきた。いま、プーチンの野望を支える彼女は変節してしまったのか、あるいは「プーチン後」を見据えた使命感で職にとどまっているのか。謎多き人物の実像に英誌「1843マガジン」が迫る
 
 
 
 
 

2023年8月14日、モスクワは不安に包まれていた。ウクライナのドローンが市内の建物を攻撃していた。数週間前に反乱軍を率いて首都へ向かったエフゲニー・プリゴジンはまだ野放しになっていた。だが、その暑い月曜日にモスクワ市民を最も不安にさせたのは、自国の通貨ルーブルの状態だった。

世界のエネルギー価格の動きに敏感に反応して通貨の価値が上がったり下がったりするのを見ることは、ロシアの国民的娯楽だった。ところが、1ドル100ルーブルよりもルーブル安になると、人々は心配しはじめた。これ以上は許容できないと考えるラインよりも下落するなか、険しい表情でパソコンの画面にかじりつく人もいた。中央銀行の「利口なプロ」たちはどこで何をしているんだ? とみんな不平を漏らした。

この数年、ロシア人たちに特に信頼されてきた「利口なプロ」が一人いる。 ロシア中央銀行の総裁を務める、60歳のエリビラ・ナビウリナだ。
 

眼鏡をかけ、まさにテクノクラートという風貌のナビウリナは、謙虚な物腰の裏にすさまじい知識と行動力を隠している。ロシアで最大級に影響力のあるリベラル派経済学者の愛弟子だった彼女はこの11年の任期中、それまで共産主義かカオスかのいずれかしか知らなかったロシアの経済を、オープンで、安定的で、ほどよく統制されたものに育ててきた。

ナビウリナはその存在だけで市場を落ち着かせられるような、世界でも数少ない中央銀行総裁の一人で、ウラジーミル・プーチン大統領の地政学的野望がもたらしたいくつもの事件にも手際よく対処してきた。

2014年 プーチンのクリミア併合を受けて 西側がロシアに広範囲の制裁を課すと、ナビウリナはその後のルーブル信用危機を最小限のダメージで切り抜けた。データに基づく決定、および圧力のなかでもリベラルな経済政策にこだわる姿勢は、当時のIMF総裁クリスティーヌ・ラガルドから「中央銀行をうまく歌わせることができた」と称賛された。

そのような賛辞は、2022年にロシアがウクライナに全面侵攻を開始すると聞かれなくなった。欧州におけるロシア産原油とガスの販売停止を含む、前例のない制裁がロシアに課せられた。

ナビウリナは、経済を守るために自分が留任しなければ部下たちが逮捕されてしまうのではないかと恐れているという噂だが、動機が何であれ、彼女はロシアの銀行が最初の衝撃を逃れる手助けをした(そしてしばらくすると、ロシアの巨大な石油・ガス企業は欧米以外の新規顧客を開拓するのが驚くほど上手いと判明したのである)。
 

プーチンを批判する人たちは、ナビウリナらテクノクラートも、その後続いたウクライナでの流血の共犯者だと考えている。
 

通貨を守るため、本来の方針を捨てた


ところが2023年8月頃、ロシア経済の回復力は先細りになったようだった。中国がロシア産の原油を購入したことが、西側の制裁の影響を緩和する一助となったものの、中国の景気後退でエネルギー消費が落ち込み、ルーブルを圧迫したのだ。

ナビウリナは焦って通貨を守ろうとはしなかった。できるだけ通貨を自立させるのが彼女の本来の方針だったからだ。

介入しなかったことは激しい批判を招いた。国営テレビの司会者ウラジーミル・ソロヴィヨフは、「くそったれの中央銀行」が「どうしてルーブルの価値がここまで下がり、海外で笑いものになっているか」を説明すらしていないと激怒した。

2023年8月14日の昼には、プーチンの経済顧問マクシム・オレシュキンがさらに踏み込んだ声明を出し、通貨下落の責任をはっきりと中央銀行に押しつけるとともに、ルーブルを一時的に押し上げるために金利を引き上げる必要があったと示唆した。 少なくとも政府の暗黙の了解がなければ、これほど大物二人がナビウリナを攻撃することはなかっただろう。
 

だが実際は、オレシュキンの声明が発表される直前、中央銀行は翌日に緊急会合を開く旨をウェブサイトに掲載した。ナビウリナが対策に乗り出そうとしているというこの証拠だけでも、ルーブルの動向を反転させるのに充分だったと見え、その日の終値は1ドル約98ルーブルに落ち着いた。まだ安いが、きわめて重大とされる1ドル100ルーブルの基準よりは上がったのだ。

それを維持しようと、ナビウリナは一連の大幅な金利引き上げを実施した(金利は2023年5月現在、16%という驚くべき水準だ)。彼女はまた資本規制にも同調した。それは彼女がこれまで経済においてやろうとしていたことすべてに矛盾する、保護主義的な措置であった。

資本規制はプーチン本人からの命令だ。プーチンは2023年10月、ロシアの輸出業者に海外で得た利益をルーブルに交換することを義務づけた。ナビウリナは当初、この政策を公に批判し、「短期的な解決策にしかならない」という非常に異例なコメントをしていた。
 

戦争終結後の希望?


ナビウリナの友人たちによると、ナビウリナはプーチン大統領に率直に意見を述べることのできる数少ない側近の一人であり、プーチンに高く評価されているという。

意外に思えるプーチンとナビウリナのパートナーシップは20年続いており、さまざまな危機を乗り越えてきた。2022年以降はナビウリナのマクロ経済の巧みな舵取りによって、プーチンは戦争のための資質を増やす余裕を持てた。2024年の大統領選挙では、プーチンはロシア経済が欧州で最も急速に成長していると喧伝したが、それはあながち間違いでもなかった。

しかし、軍事力の要求と常に変化する制裁の影響によって、ナビウリナの仕事はますます困難になっている。戦争のための支出によって経済は成長し続けているが、危険なレベルにまでインフレが進む可能性が高まった。最近、ナビウリナは透明でほどよく規制された自由な市場という、彼女の初期の夢から遠ざかるような経済・政治体制の確立に取り組んでいる。
 

「ナビウリナはプーチンに、これが間違っているとは言えません。そのため、私が30年間やってきたことが破壊され尽くしています」と、かつてナビウリナとともに仕事をしていたロシアの経済学者コンスタンティン・ソニンは述べる。

「彼女は持ち前の洞察力を使っておらず、プーチンの言うことをただ実行しているだけです」

ナビウリナが自分の仕事を嫌々やっているという表向きの証拠はない。しかし、ロシアのビジネス界の内部では、ナビウリナが定期的に辞表を提出しているが受け取りを拒否されているという噂がある。関係者たちは、プーチンが彼女の退任を望む前に、彼女が自分で退任してしまうのは危険すぎると述べている。

ナビウリナが何をしようとも、プーチンの戦時経済はいずれかの時点でツケを払わされるだろう。だが、ナビウリナはその瞬間を遅らせるために不可欠な存在だ。

米国国家安全保障会議でロシア情勢に関するアドバイザーを務めていたフィオナ・ヒルは、ナビウリナが戦後ロシアと世界経済の架け橋になる可能性すらあると考えている。
 

「遅かれ早かれ戦争が終わり、西側諸国がロシアとのビジネスを再開するとき、ナビウリナこそがまともに取り引きできる相手だと西側諸国には思われるかもしれません」

そのときまで、ナビウリナはロシアを正しい進路に保てるだろうか。そして、国家主導の戦時経済が定着するなか、ナビウリナのようなテクノクラートは「愛国者」たちを押し戻すだけの力を持っているのだろうか?

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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かつては自由主義経済と民主主義を目指していたエリビラ・ナビウリナ Photo: Maksim Konstantinov / SOPA Images / LightRocket / Getty Images

まるで「シェイクスピア悲劇」の登場人物

心のなかでは、まだ民主主義を信じている? ロシア中銀総裁が持つ二面性

 
 

ナビウリナの「城」であるロシア中央銀行 Photo: Vlad Karkov / SOPA Images / LightRocket / Getty Images

 

 

 

 

激動の時代に「自由主義経済」に魅せられる


エリビラ・ナビウリナは1963年、ヨーロッパロシアの東端の都市ウファで生まれた。そこは石油の町で、巨大な製油所で働く労働者の住宅が立ち並ぶ、典型的なソビエトの都市であった。公共施設の建物には「レーニンは永遠に生きる」といったスローガンが飾られていた。

ナビウリナはタタール人労働者の家庭の出身だ。父親は運転手で、母親は工場で働いていた。イスラム教徒のタタール人はロシアで最大のマイノリティだが、依然としてロシア文化の主流からは外れているとみなされている。勉強熱心だった10代の頃、ナビウリナはオペラや詩、特にフランスの作家ポール・ヴェルレーヌの作品を愛好した。

1980年代初頭に名門モスクワ大学に入学できたときが、彼女にとって大きな転換点だった。モスクワに到着した当時、このソ連最高レベルの大学における経済学のカリキュラムは、まだ統計と共産主義のイデオロギーに重点を置いていた。1985年、ナビウリナは共産党に入党したが、それは野心のある人なら誰もが通る道であった。
 

ところが変化の兆しが現れており、しかもそれは国のトップから起こっていた。若き新指導者ミハイル・ゴルバチョフは、ソ連が経済的な破綻の瀬戸際にいることを理解していた。そこで彼は側近たちに、市場経済への道筋を描くように頼んだ。その側近の一人が、ナビウリナの経済学の教授エフゲニー・ヤシンだったのだ。

ヤシンは経済の改革とともに政治の改革もおこなわなければならないと信じていた。ヤシンが思い描いた理想のロシアとは「開かれた市場を持つ現代国家、かつ権力の交替が起こる民主政治国家」だったと、ヤシンの伝記を書いたアンドレイ・コレスニコフは言う。共産主義体制下で禁止されていた考えが、いまや公然と議論されるようになったのだ。

ナビウリナはヤシンの友人であり同僚の経済学者であったヤロスラフ・クズミノフと知り合い、やがて結婚した(二人の間には息子が一人いる)。どこかの時点でナビウリナは共産党を抜け、ヤシンやクズミノフを中心に結成されたリベラル派経済学者のグループに加わった。そこには1990年代にロシアの国営産業の民営化を統括することになるアナトリー・チュバイスや、ナビウリナの同級生で親友となったヤシンの娘イリーナも含まれていた。

自由市場へ向かうロシアの初期の試みは傷をもたらした。ソビエト崩壊後のロシアの初代大統領ボリス・エリツィンは計画経済の解体を急いだ。政権の経済担当副首相イゴール・ガイダルは、移行を加速させるために「ショック療法」を開始した。

ガイダルは輸入に対する規制を撤廃し、国営産業の急速な民営化を命じた。そのような措置は新興のオリガルヒにとっては恩恵だったが、一般市民は政府の統制と補助金がなくなったことによる物価の急上昇に直面した。
 

1994年、ガイダルの人気がなくなるとエリツィンはヤシンを経済発展大臣に任命し、市場経済への移行を予定通り進めさせようとした。ナビウリナはこの指導教官のチームに加わった。

しかし、ショック療法の悪影響を止めるには手遅れだった。ハイパーインフレのサイクルが定着し、ルーブルは暴落し、1998年、ついにロシアは対外債務不履行に陥った。民主化によって新たに独立したメディアは、モスクワの凍える寒さのなか、歩道に横たわり持ち物を売ろうとする高齢の市民の悲惨な写真を報道した。

ヤシンは危機が最高潮に達すると解任され、ナビウリナも彼とともに政府を去った。

ナビウリナはここで貴重な教訓を学んだ。ロシアの改革には限界があるということだ。彼女は依然としてロシアには市場経済が必要だと考えていたが、既存のシステムを破壊するのではなく、作り直すことによってのみ市場経済は発展できると信じるようになった。

「彼女はロシアのシステムの歪みをよく理解し、それを受け入れることができたので、そのシステムの内部で働くのにとても適していました」とロシア専門家のヒルは言う。
 

ロシアの政界で出世しつつあった元KGB職員もまた、1990年代の経済危機の展開を見守っていた。ナビウリナと同じようにその人、プーチンも、同じことを二度と繰り返さないと決意していた

 

 

 

初期プーチンとの利害の一致


プーチンは1990年代初頭にサンクトペテルブルクで政治的駆け引きに明け暮れ、出世の機会を最大限に利用した。1997年、エリツィンの側近がプーチンを大統領府の役職に任命した。1999年には首相に昇格、そしてエリツィンが辞任すると大統領代行にまで登りつめた。

ナビウリナの周囲にいるリベラルな経済学者のなかには、この元KGB職員ならば現実的に同盟関係を結べる相手になると考える人もいた。1999年、その一人であったゲルマン・グレフは、自身のシンクタンクで研究者グループを結成した。そのグループの一員となったナビウリナは、大統領選に立候補していたプーチンの経済計画を作るように依頼された。

そうして、2000年が目前に迫るなか、大統領候補プーチンは自身のビジョンを発表した。彼は1990年代の経済的な惨状を容赦なく列挙し、投資と(強い国家によって管理される)市場改革を呼びかけた。

プーチンの演説は、混乱の時期に苦しんだ何百万人ものロシア人に共感された。直近のチェチェン戦争で煽った民族主義的な感情と相まって、プーチンは大統領選での勝利を確実にした。彼はグレフを経済発展貿易相に指名し、ナビウリナはその副大臣として政府の職に復帰した。

 

 

 

 

 

 

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1843マガジン(英国)

 

Text by Kate de Pury

 
 
 
(プーチン体制の経済を、支える、「鉄の女」)
 
 
 

さまざまな解釈を呼ぶファッション


ロシア中央銀行の建物はクリーム色とベージュのネオルネサンス様式の宮殿で、最後の皇帝によって19世紀後期に建てられた。現在、中央銀行はほかのロシアの機関にはほとんどない、一定の独立性を享受しており、金利の設定と銀行の規制の権限を有している。

建物の周りを囲む錬鉄製のフェンスは、ナビウリナの帝国の国境を示すものだ。中央銀行の仕事に詳しい有識者によると、彼女はほとんどの時間を敷地内で過ごし、ヘアサロンや衣装室やドライクリーニングサービスを仕事場に設置しているという。

ナビウリナは決して洒落ているとは言えないが、見た目に気を使っており、彼女の服装は金融界や物好きなロシア人女性たちの詳しい考察の対象となっている。彼女は派手でけばけばしい服装は避け、「隠れ富裕層」的な服装を好む。
 

「初期の頃、彼女は田舎の会計士のような格好をしていました」とロシアのファッション業界の関係者は言う。 だが現在では、ナビウリナは超富裕層向けのデザイナー、 ロロ・ピアーナの控えめなデザインのスーツを買っているという。

そのスーツのさりげない魅力は、目を引くジュエリーによって引き立てられている。ナビウリナは金利に関する決定をブローチの種類によってほのめかしているようで、たとえば鷹を模した陶器製のブローチは、有識者から見ると彼女の決定をはっきり示すものだった。ウクライナ侵攻開始後、彼女は喪服のような黒い服を着ているのを頻繁に目撃されている

 
 
 

謙虚だが厳しい上司


2013年に中央銀行の責任者に就任した後、彼女は中央銀行を最高レベルの経済学者たちが集まってくる職場に変えようとした。まず彼女は若く能力の高いチームを作った。その多くはデータ収集と分析の最新手法の導入に一役買った副総裁のクセニア・ユダエワのように、西側諸国で訓練を積んだ人たちだった。

多くの「賢く才能ある人々」がナビウリナに強い忠誠心を抱くようになったと、ウクライナ戦争開始直後に銀行を去った元同僚のアレクサンドラ・プロペンコは証言する。

「ナビウリナはたしかに、職場環境の有害性を減らすことに大きく貢献しました。彼女が率いる職場は、交流を重視し、完全にフラットではないにしても、垂直的ではありませんでした」
 

ある友人は、ナビウリナとほかの著名なロシア人経済学者たちの違いを以下のように指摘する。

「ナビウリナは謙虚で礼儀正しく、自己中心的ではありません」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心のなかでは、まだ民主主義を信じている? ロシア中銀総裁が持つ二面性 | クーリエ・ジャポン (courrier.jp)