9.11跡地を任された建築家・槇文彦氏が死去、晩年は「新国立競技場」に異論

星野 拓美
 

日経クロステック/日経アーキテクチュア

 
 
 
 世界的な建築家の槇文彦氏が2024年6月6日、老衰のため死去した。95歳だった。槇総合計画事務所(東京・渋谷)が同月11日に発表した。
 
槇氏は千葉市内の大規模複合コンベンション施設「幕張メッセ」(1989年)や
 
米ニューヨークの超高層ビル「4ワールド・トレード・センター(4WTC)」(2013年)などの設計で知られる。
 
 
1993年にプリツカー賞、
 
2001年に日本建築学会大賞を受賞。
 
13年には文化功労者に選ばれるなど国内外で高い評価を得ていた。
 
 
 

 近年は、「横浜市役所」(20年)や

 

東京・芝浦で進行中の再開発事業「BLUE FRONT SHIBAURA(ブルーフロント芝浦)」のデザインなどを担当していたが、

 

21年3月に槇総合計画事務所の代表を退任し、自宅で静養していた。

写真は日経アーキテクチュア創刊40周年の特別企画でインタビューに答える槇氏。2016年に撮影(写真:山田 愼二)

写真は日経アーキテクチュア創刊40周年の特別企画でインタビューに答える槇氏。2016年に撮影(写真:山田 愼二)

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空から見た「幕張メッセ」。大屋根の部分が国際展示場、おわん形の屋根が幕張イベントホール(写真:三島 叡)

空から見た「幕張メッセ」。大屋根の部分が国際展示場、おわん形の屋根が幕張イベントホール(写真:三島 叡)

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2020年に竣工した「横浜市役所」ではデザイン監修を担当した。横浜市役所は地下2階・地上32階建て。低層部のアトリウムは休日も開放され、市民の憩いの場になっている(写真:安川 千秋)

2020年に竣工した「横浜市役所」ではデザイン監修を担当した。横浜市役所は地下2階・地上32階建て。低層部のアトリウムは休日も開放され、市民の憩いの場になっている(写真:安川 千秋)

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 槇氏は1928年、東京都生まれ。

52年に東京大学工学部建築学科を卒業後、

米国のクランブルック美術学院と

ハーバード大学大学院の修士課程を修了した。

 

東京大学では丹下健三(1913~2005年)、

ハーバード大学大学院では

都市計画を得意とするスペインの建築家ホセ・ルイ・セルト(1902~83年)に学んだ。

 

建築にとどまらず、都市の在り方にも思考を巡らせる槇氏の活動の原点となった。

 

 

 

 設計活動を開始するとすぐさま頭角を現し、

 

「名古屋大学豊田講堂」(1960年)で日本建築学会作品賞を初受賞した。

 

65年に槇総合計画事務所を設立。

 

「立正大学熊谷キャンパス」(68年)で毎日芸術賞、

 

東京・代官山の複合施設「ヒルサイドテラス」(69~92年)で

芸術選奨文部大臣賞、

 

「京都国立近代美術館」(86年)でBCS賞、

 

大分県中津市の火葬施設「風の丘葬斎場」(97年)で村野藤吾賞など、

 

受賞は数知れない。

 

 

 代表作には上記の他、

 

東京・南青山の複合施設「SPIRAL(スパイラル)」(85年)や

 

「東京体育館」(90年)などがある。

 

 

 

「ヒルサイドテラス」を南側から見下ろす。1992年に6期が竣工するまで、約25年かけて街並みを形成していった(写真:三島 叡)

「ヒルサイドテラス」を南側から見下ろす。

 

1992年に6期が竣工するまで、約25年かけて街並みを形成していった(写真:三島 叡)

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大分県中津市にある火葬施設「風の丘葬斎場」。建物は葬斎場ホール、葬斎場の待合棟、炉室のある火葬棟の3つから成る。ランドスケープと一体になった建物だ(写真:吉田 誠)

大分県中津市にある火葬施設「風の丘葬斎場」。

建物は葬斎場ホール、

葬斎場の待合棟、

炉室のある火葬棟

の3つから成る。

ランドスケープと一体になった建物だ(写真:吉田 誠)

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国立競技場に隣接する「東京体育館」。地下2階・地上3階建てで、延べ面積は約4万4000m<sup>2</sup>。折り紙を連想させる大屋根が特徴だ(写真:日経クロステック)

国立競技場に隣接する「東京体育館」。

 

地下2階・地上3階建てで、

延べ面積は約4万4000m2

折り紙を連想させる大屋根が特徴だ

(写真:日経クロステック)

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 93年のプリツカー賞受賞は、師である丹下健三に次いで日本人2人目の快挙だった。同年、国際建築家連合(UIA)ゴールドメダルも受賞し、世界的建築家としての地位を不動のものにした。

 

 槇氏が手掛けたプロジェクトの中で、世界で最もよく知られるのは4WTCだろう。2001年9月11日の米国同時多発テロ事件で崩壊した世界貿易センタービル(WTC)跡地に立つ。高さ約300mの超高層ビルだ。

 

 

 外観上の特徴は、特殊加工を施したガラスカーテンウオール。ステンレスやアルミのように反射し、空や風景を映し出す加工とした。槇氏は設計の意図を、「いかにデザインを静かにできるか考えた」と説明している。歴史的な事件の現場である「グラウンド・ゼロ」にふさわしい建築デザインとは何か。都市が歩んだ歴史を踏まえて、その地にたたずむ建築の姿を模索した末に、導き出した答えだった。

 

 

米ニューヨークの超高層ビル「4ワールド・トレード・センター」。外装のガラスが空や風景を映し出す。天気や季節、時間帯などによって建物の表情が大きく変わる(写真:Tectonic、Maki and Associates)

米ニューヨークの超高層ビル「4ワールド・トレード・センター」。外装のガラスが空や風景を映し出す。天気や季節、時間帯などによって建物の表情が大きく変わる(写真:Tectonic、Maki and Associates

 

 

9.11跡地を任された建築家・槇文彦氏が死去、晩年は「新国立競技場」に異論 | 日経クロステック(xTECH) (nikkei.com)

 

 

9.11跡地を任された建築家・槇文彦氏が死去、晩年は「新国立競技場」に異論 | 日経クロステック(xTECH) (nikkei.com)