なぜゼレンスキーは国民の信頼厚いザルジニー総司令官の「解任」に動くのか
記者会見するウクライナ軍のザルジニー総司令官=2023年12月、キーウ(写真:ロイター=共同)
なぜゼレンスキーは国民の信頼厚いザルジニー総司令官の「解任」に動くのか(JBpress) - Yahoo!ニュース
(国際ジャーナリスト・木村正人) ■
「大統領府はザルジニーが政治的な発言をしていると懸念している」
【写真】2022年7月28日、ウクライナ最高議会で、ワレリー・ザルジニー少将(右)と握手するゼレンスキー大統領
[ロンドン発]ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領(46)が1月29日、ロシア軍との壮絶な戦いを指揮するウクライナ軍のワレリー・ザルジニー総司令官(50)に退任を求めたが、総司令官はこれを拒否したと左派系英紙ガーディアン(30日付電子版)が報じた。ウクライナ軍の反攻が不発に終わり、2人の関係は一段と悪化している。
ウクライナの野党議員で総司令官の盟友とされるオレクシイ・ゴンチャレンコ氏はガーディアン紙に「29日、ゼレンスキーはザルジニーに退任を求めたが、総司令官はそれを拒否した。対立の原因は人格の衝突だ」と明かした。「解任は悪い考えだと個人的に思う。大統領府はザルジニーが軍事ではなく政治的な発言をしていると懸念している」
29日、ザルジニー総司令官更迭の観測がソーシャルメディア上で拡散した。これに対しウクライナ国防省は「事実ではない」と一蹴した。しかしゴンチャレンコ氏は「国内世論と西側諸国の反応を見極めた上で、ゼレンスキーはザルジニーを解任し、国防相の支持を得て後任の総司令官を指名するだろう」と軍部と文民の対立を煽る。
英誌エコノミスト(30日付電子版)も「ゼレンスキー大統領が数週間にわたる緊張状態のあと、29日にザルジニー総司令官を解任しようとしているというウワサがキーウを駆け抜けた。
ウクライナで最も人気のある人物を更迭することは深刻な論争を呼び、ウクライナとロシアの戦争における極めて重要な瞬間を意味する」と指摘している。
■ 後任候補はシルスキー陸軍司令官かブダノフ情報総局長
ザルジニー総司令官の解任騒動は今回が初めてではない。エコノミスト誌が確認したところでは、29日夕、ゼレンスキー大統領はザルジニー総司令官と会談し、解任を決めたと伝えた。国家安全保障・国防会議長官ポストを提示されたザルジニー総司令官は断った。ゼレンスキー大統領はザルジニー総司令官の説得に失敗した。 エコノミスト誌によると、後任候補としてオレクサンドル・シルスキー陸軍司令官(58)と国防省のキリーロ・ブダノフ情報総局長(38)の名があがっている。シルスキー陸軍司令官は2022年、首都キーウと北東部ハルキウの戦いで目覚ましい勝利を収めた。しかし昨年は東部ドネツク州の激戦地バフムートにこだわり、有能な指揮官を失ったと批判された。
通常の軍隊を率いたことがないブダノフ情報総局長は土壇場で総司令官の打診を辞退したとされる。米政治専門紙ザ・ヒル(30日付電子版)は「総司令官の解任は間違いだ。ウクライナは非常に微妙な時期に、戦闘経験豊富で尊敬を集める指揮官を失うことになる」という米陸軍退役軍人アドリアン・ボネンバーガー氏の寄稿を掲載している。
「ザルジニーが解任されるとしたら、いくつもの小さな理由と、反攻の失敗という大きな理由がある。彼とゼレンスキーの些細な争い、ザルジニーのカルト化した人格、戦略を巡る意見の相違はザルジニーが兵士や部下から集めている尊敬に比べると些細なものだ」とボネンバーガー氏は指摘する
■ 「ウクライナの支配層にかつての団結の面影はない」
「戦争で将軍が解任されるのは軍隊を統率したり組織したりする能力がない場合に限られる。反攻に失敗したというだけでいま解任するのは間違いだ。ゼレンスキーを脅かしているという理由で解任するのも間違いだ。国内および国際政治の焦点は健全な防衛力を維持するために必要な兵員と武器をザルジニーに提供することだ」(ボネンバーガー氏) 総司令官が就任したのは21年7月。当時、ゼレンスキー人気は軍内部で低迷していた。若くて民主的で、北大西洋条約機構(NATO)基準の導入に前向きだったザルジニー総司令官の誕生は体制刷新の青写真にピタリと当てはまったと米シンクタンク、カーネギー国際平和基金のサイトにコンスタンチン・スコルキン氏は寄稿(昨年11月30日付)している。
「ゼレンスキーとザルジニーの対立は必然的なものではなかった。しかしウクライナの支配層にかつての団結の面影はない。戦闘が長引けば長引くほど、キーウはより積極的に非難する相手を探している。最も危険な分断線はゼレンスキー大統領とザルジニー総司令官に象徴される“文民当局と軍当局の矛盾”である」(スコルキン氏) ザルジニー総司令官が政界入りを公言したことはない。しかし22年4月に自分の名前で慈善財団を設立したことが政治的すぎると批判された。フェイスブックに妻とのツーショット写真を投稿するたび、政界入りの意思表示との観測が官庁街に流れる。大統領職への信頼度がこの1年で84%から62%に低下する中、ザルジニー総司令官の信頼度は88%と高い。
■ 英雄的なウクライナ軍と才能のない文民当局の対比
「将軍の一部と国家愛国主義的野党は英雄的なウクライナ軍と才能のない文民当局を対比させることで政治的資本を得ようとした。一方、大統領府はかつての前線兵士たちが軍出身者を国のトップに据えることを望むようになることを懸念している。ザルジニーは理想的な候補者だった」(スコルキン氏)。反攻の失敗が軍部と文民当局の不和を一段と強めている。 ザルジニー総司令官はエコノミスト誌(昨年11月1日付)に「NATOの教科書通りなら4カ月もあれば(ロシア軍が築いた防御帯を突破して)クリミア半島に到達し、戦うことができた。しかし、おそらく深く美しい突破は起こらないだろう」と前線が膠着状態に陥っている現実をあまりに正直に認めたため、ゼレンスキー大統領に叱責された。 英大衆紙サン(同月20日付)に総司令官との意見対立を問われたゼレンスキー大統領は危機感を露わにした。「軍人が政治をやることを決めるなら、それは彼の権利だ。しかし政治や選挙を念頭に戦争を指揮するのであれば、前線においても軍人としてではなく政治家として振る舞うことになる。将軍たちが政治に関与することは国家の統一を危うくする」 キーウ国際社会学研究所(KIIS)の世論調査(昨年12月4~10日、18歳以上のウクライナ国民1200人)によると、ロシア軍の猛攻を食い止めるウクライナ軍へのウクライナ国民の絶対的信頼は1年前と変わらない96%。ザルジニー総司令官も88%の信頼度を得ている。これほど人気のある総司令官を切るとなるとゼレンスキー大統領も返り血を浴びるのは必至だ
■ 信頼度は総司令官92%、情報総局長60%、陸軍司令官33% ザルジニー総司令官、シルスキー陸軍司令官、ブダノフ情報総局長の3人の名前を挙げてそれぞれの信頼度を尋ねたところ、ザルジニーは92%、ブダノフが60%、シルスキーが33%。ザルジニーは西部、中央、南部、東部の4つの地域でも90%を超える信頼度を誇っていた。ブダノフ、シルスキー両氏が後任人事の打診を断ったとしても何の不思議もない。 ザルジニー総司令官に対するウクライナ国民の信頼度は絶大だが、回答者の43%がゼレンスキー大統領との間に何らかの意見の相違や摩擦があるかもしれないと考えていた。しかし「非常に深刻」ととらえているのは8%だけで、35%は「それほど深刻ではない」と答えた。対立があるとは思っていない人が39%と一番多かった。 ザルジニー総司令官の退任の可能性について、回答者の72%が否定的な見方を示し、肯定的な回答者はわずか2%だった。21%は中立的な見方を示していた。ゼレンスキー大統領がザルジニー総司令官を解任して交代させた場合、ゼレンスキー大統領を信頼している回答者の中でも71%が否定的な見方を示し、肯定的だったのはわずか3%だった。 KIISのアントン・フルシェツキー所長は「ウクライナ国防軍とその司令部は国民の強い支持を維持している。ウクライナ国民は軍司令部と政治指導部との協調的かつ建設的な協力を期待している。その過半数が大統領を信頼し、59%が大統領と総司令官の両方を信頼している」と指摘する。 「ザルジニー総司令官退任の可能性について、特にゼレンスキー大統領を信頼している人々の間で率直に否定的な態度が見られる。政府関係者は総司令官に対するネガティブなメディアキャンペーンを続けている。ザルジニー総司令官に対する批判は、むしろ総司令官本人ではなく、ウクライナの政治力全般に悪影響を及ぼすだろう」 ウクライナに対する欧州連合(EU)の500億ユーロ(約7兆9000億円)支援はハンガリーのオルバン・ビクトル首相の反対で停滞し、2月1日の緊急首脳会議でオルバン首相がEU側の恫喝や懐柔策に折れてようやく承認された。米国の610億ドル(約9兆円)支援も米下院で多数を占める共和党の反対で暗礁に乗り上げる。窮地に追い込まれるキーウから鳴り響く不協和音にロシアのウラジーミル・プーチン大統領は高笑いしているに違いない。 【木村正人(きむら まさと)】 在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争 「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。
木村 正人