日経クロステック/日経アーキテクチュア
ボランティア組織の建物修復支援ネットワーク(新潟市)を主宰する
建築士の長谷川順一代表は、
2024年1月1日に発生した能登半島地震で
震度6強を観測した石川県珠洲市正院町などを、
1月5日から7日にかけて見て回った。
長谷川代表が被災地に向かった目的の一つは、
23年5月の奥能登地震後から応急・復旧を支援していた被災建物が、今回新たに起こった能登半島地震でどのようになっているかを確かめることだ。
長谷川代表は奥能登地震直後から珠洲市に入り、住人や地元の建築関係者から寄せられる被災建物の修復に関する相談を、ボランティアで引き受ける活動を続けていた。
珠洲市内は職人をはじめとする建築関係者の不足が著しく、
実務のフォローアップがなくては応急・復旧が立ち行かない状況にあったからだ。
伝統木造建築の保存に日頃から取り組んでいるので、
正院町内に残る伝統木造建築の相談が多く来ていた。
長谷川代表の助言した耐震補強工事がある程度進んでいる中で、
能登半島地震に遭遇した建物がある。
それらの被災状況は、隣接する建物よりも比較的軽く済んでいた。
耐震補強工事の一部が
能登半島地震発生直前の
23年12月に終わっていた車庫付き住宅は、
被災したものの、持ちこたえた。
1階の車庫の両袖に地震の再来に備え、
計4カ所の耐力壁と
計3カ所の挟み式方杖(ほおづえ)を設置した。
職人は当初、
外壁のモルタルを落として
構造用合板で補強することを考えていた。
その方法だと費用と工期を多く要するため、
長谷川代表が提案した既存の壁を壊さない上記の方法に見直された。
珠洲市正院町に立つ車庫付き住宅の23年奥能登地震後の状態。
基礎とモルタル壁の室内側にひびが入った。
モルタル壁の一部が脱落した
(写真:建物修復支援ネットワーク)
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同住宅の24年能登半島地震後の状態。
耐震補強工事の一部が完了していた。
1階の車庫が西側に傾き、くの字に変形したが、
左側の参道への倒壊を免れた。
門型の開口部に添え柱を追加し、
基礎を補強する工事を予定していたが、
実施前に能登半島地震後が発生してしまった
(写真:建物修復支援ネットワーク)
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同住宅の24年能登半島地震後の状態。
コンクリート敷き車庫の床に大きなひび割れが生じた。
車庫の東西方向の両袖に耐力壁を
計4カ所と参道側に挟み式の方杖を計3カ所、
それぞれ設置している。
方杖が参道側の壁の傾きを少しでも抑える効果を発揮している
(写真:建物修復支援ネットワーク)
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珠洲市正院町に立つ木造2階建て事務所の23年奥能登地震後の状態。入り口とその周りの外装材が損傷した(写真:建物修復支援ネットワーク)
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同事務所の24年能登半島地震後の状態。
奥能登地震後に入り口周りの耐力壁と、
内部の方杖を追加する耐震改修を実施していた。
外装材の留め具も締め直していたため、多少の変形に留まった。
奥能登地震の時は残っていた左右の木造家屋は、
1階部分がすべて潰れる層崩壊が起こった(写真:建物修復支援ネットワーク)
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珠洲市正院町に立つ間口の広い住宅の23年奥能登地震後の状態。
奥能登地震では大きな変形は生じなかった。
道路側建具の一部は破損したので合板を張っている。
1993年の能登半島沖地震後に、
筋交い(すじかい)と
火打ち梁(はり)を
追加する耐震補強を実施していた
(写真:建物修復支援ネットワーク)
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同住宅の24年能登半島地震後の状態。
奥能登地震後に張っていた合板が一部脱落した。
一部の柱と土台接合部が離れて、
コーチボルトで留めていた筋交いは抜けたが、
大きな滑りや変形は生じていなかった。
奥能登地震では残っていた左隣の家は、
層崩壊した
(写真:建物修復支援ネットワーク
耐震補強工事を検討中に被災
能登半島地震は奥能登地震からわずか8カ月後に発生したため、耐震改修を検討していたが、まだ着手できていなかった建物が多数ある。そのいくつかは、能登半島地震によって甚大な被害が生じていた。江戸時代に建てられたと推定される住宅と、大正時代に建てられたと推定される土蔵付き住宅がその例だ。
珠洲市正院町に立つ江戸時代に建てられたと推定される住宅の、23年奥能登地震後の状態。20分の1~10分の1程度の変形が生じた。135mm角の柱を使用している(写真:建物修復支援ネットワーク)
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同住宅の24年能登半島地震後の状態。層崩壊した。修復を検討している最中だった(写真:建物修復支援ネットワーク)
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珠洲市正院町の土蔵付き住宅の23年奥能登地震後の状態。地震で外壁に損傷が生じたため、補強計画が進められていた(写真:建物修復支援ネットワーク)
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同住宅の24年能登半島地震後の状態。層崩壊した。越冬に向けて、屋根と外壁まわりの修復工事を先行させている矢先だった(写真:建物修復支援ネットワーク)
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土蔵付き住宅は、珠洲市の耐震診断の補助制度を活用して費用の一部を賄い、地元の設計事務所が一般診断と精密診断を実施し、格子壁を用いた補強計画を進めているところだった。「地元の職人が圧倒的に少ないなかで、ようやく確保できた職人とのスクラムが組まれつつあったのに」と長谷川代表は悔しがる。
珠洲市正院町に立つ大正時代に建てられたと推定される間口の広い住宅の、23年奥能登地震後の状態。柱が一部折れて梁間(はりま)方向の建具が大破していた。道路側にほとんど壁がなく、和室が6つ設けられている。土台足固めなどの床下装置にも損傷や劣化が生じていたので、地震で壊れやすい状態だった。住人は改修するか取り壊すかを悩んでいた(写真:建物修復支援ネットワーク)
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同住宅の24年能登半島地震後の状態。層崩壊した(写真:建物修復支援ネットワーク)
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珠洲市では、奥能登地震前から群発地震が続いている。
そのため、被害が顕在化していなかった建物でも、
繰り返し揺すられることによって、
接合部が緩むなどの耐力低下が生じ、
被害の拡大につながった恐れがある。
長谷川代表は
「珠洲市のように群発地震が短期間に数多く発生している地域では、
国や自治体が危機感をもって、
既存建物の耐震診断と
補強工事を職人確保
とともに強力に進める必要がある」と訴える
能登半島地震で耐震補強効果を確認、23年の地震後と同じ住宅比較(2ページ目) | 日経クロステック(xTECH) (nikkei.com)