中国がマレー半島に造ろうとしている巨大運河 莫大な通行料をエサにタイ領に進出か

デイリー新潮

習近平国家主席

 

 

 

 

 総額35兆円。中国が「一帯一路」構想でバラまいた金の合計である。この10年、チャイナマネーは世界を席巻し、鉄道や高速道路などのインフラが各地に築かれた。総仕上げとして狙うのは太平洋とインド洋を結ぶ大運河。作家の早瀬利之氏が中国の野望を徹底分析する。 

 

 

 

【写真を見る】中国3隻目の新型空母「福建」  ***

 

 

 

 

 中国の習近平国家主席の掲げる「一帯一路」構想が10年を迎えた。  知られているように一帯一路によって造られたインフラは、どれも巨大で圧倒されるばかりだが、その“総仕上げ”ともいわれている構想がある。10万トン級の空母が緊急通過できる大型運河をマレー半島に通すというものだ。場所については、タイとミャンマー南端の国境に近い「クラ地峡」と、そこからさらに南に行った「ソンクラー」ルートの2説がある。いずれもタイ領だ。  ソンクラーは1941年12月8日、陸軍のマレー半島攻略戦で上陸作戦を立てた南方総軍第25軍作戦主任参謀の辻政信(当時中佐)が、自ら乗り込んで上陸に成功した海岸地帯である。ソンクラーのあるタイランド湾からマラッカ海峡までの幅は約100キロ。一方のクラ地峡は幅約50キロと、マレー半島では一番細い地帯である。西部には深い谷があり、国立公園が広がっている。日本でいえば千葉市から勝浦までぐらいの距離だ。この一帯はスズ鉱山が多く、大英帝国は日本陸軍の奇襲を受けて撤退せざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 

なぜマレー半島に運河を必要とする? 

 マレー半島に運河を通す構想は新しいものではない。マラッカ海峡を経由せずに、太平洋からインド洋に直接抜けるアイデアは17世紀から存在した。2000年代に入ると中国がタイの退役軍人らで作る「タイ運河協会」と組んでタイ政府に対しロビー活動を行ってきた歴史もある。  現在、タイ政府は運河の代わりにクラ地峡の東西に高速道路や油送管を通す「ランドブリッジ構想」を掲げているが、運河を支持する動きはタイの中国系企業の間では相変わらず根強い。すでに測量が行われたという情報もある。  なぜ中国はマレー半島に運河を必要とするのだろうか。それを理解するには一帯一路の成り立ちを振り返る必要があるだろう

 

 

 

資源と運搬ルートの確保

 人口14億人を抱える中国は巨大な内需と生産力を常に満たす必要がある。それには、あらゆる手段で物資を手に入れる一方、販路を確保しなくてはいけない。  習主席がカザフスタンを訪問した際、「中央アジアから欧州へ延びる陸路構想」(一帯)を提唱したのは10年前の9月。翌10月にはインドネシアにおいて、東南アジアやインド、アフリカを経て欧州に至る「二十一世紀海のシルクロード」(一路)を打ち出した。二つを合わせて「一帯一路」となるわけだが、それを支えるため国際金融機関「アジアインフラ投資銀行(AIIB)」が15年に設立される。  一帯一路は米オバマ政権(当時)が提唱した環太平洋経済連携協定(TPP)に対抗するための貿易圏構想ともいわれ、以来、これに参加を表明する国は、南米、アフリカも含めて150カ国にも及んでいる。参加国の事情はさまざまだが、中国にとっては資源と運搬ルートの確保が大前提だ。  防衛研究所中国研究室の飯田将史室長が言う。 「すでに中国はロシアからの天然ガスの輸送ルートを構築していますが、南側からのルートも確保しようとしています。具体的にはパキスタン、ミャンマーといった友好国に、インド洋につながる物流設備を造っている。また、ミャンマーでは天然ガスの生産も始まっていて、すでに石油・ガスのパイプラインを、シットウェという西部の港町まで通しています」  飯田室長によれば、パキスタンにおいて一帯一路構想は浸透しており、中国とを結ぶ高速道路が稼働している。イラン国境に近いグワダル港で石油・鉱石などの物資を陸揚げし、中国の援助で竣工した道路(グワダル東湾快速道路)から、中国本土に物資を運ぶのだ。

カンボジアに中国軍

 同様のインフラ開発はタイ、カンボジアでも起きている。3年前にカンボジアを視察した技術力で定評のある中堅ゼネコンの幹部・秋田次郎氏(仮名)によると、 「カンボジアの港湾に行くと『一帯一路』と書かれた中国語のデカい看板と中国企業名だらけでした。すでに港湾は完成しているはずで、まるで中国国内の港のような光景でした」  そのカンボジアでは、最近になってタイランド湾に面したリアム海軍基地に中国の船が頻繁に出入りし、中国軍の専用施設の建設が進められているとの疑惑を米国防総省が指摘している。  タイでは、前政権のチャンオチャ首相時代から、中国―バンコク間の高速鉄道敷設が計画されている。すでに鉄道は2021年、ラオスの首都ヴィエンチャンまで延びている。中国からラオスには直接乗り入れができ、ラオスの主力産品である果物も出荷され、昆明、重慶へと運ばれるなど人と物資の交流が始まっている。高速鉄道は将来、約500キロ南のバンコクまで延伸される計画で、5年後の開通が予定されている。メコン河支流の架橋工事が難航しそうだが、前出の秋田氏によると、 「中国の架橋工事、防錆ワイヤー技術はもともと私どもの技術をパクッたものですが、今では世界トップクラス。その進歩は侮れません」

 

 

 

 

 

 

 

タンザニアに中国の「政治塾」

 南アジア、インド洋への足掛かりをつくった中国は、さらに触手を伸ばしている。インド洋に浮かぶ島国モルディブ共和国だ。9月30日に実施された大統領選挙で、野党候補のムイズ氏(45)が、親インドの与党モルディブ民主党のソーリフ氏を下して、親中国の人民国民会議政権が復活したのだ。ムイズ氏は強権政治を敷きつつ中国の一帯一路構想の下でインフラ整備を進めたヤミーン前大統領の支援を受けており(9月30日付共同通信)、中国にとっては、これでアフリカまでのシーレーンを確保したに等しい。  アフリカではどうか。グローバルサウスの最大地域でもあるアフリカでは、すでにケニアに英字紙の「チャイナ・デイリー」の現地法人を立ち上げている。メディアというよりも中国政府の情報機関紙である。  また、タンザニアには昨年2月に中国の「政治塾」なるものがオープンした。一説では元京セラ会長の稲盛和夫の経営塾を参考にしたともいわれる。すでに、過去6カ月間で120人の政治家が中国に招かれ、中国経済の発展を学んでいるとも伝えられている。

中国が神経質になる理由

 かくも目覚ましい中国の一帯一路構想だが、最大のネックがある。それがマレー半島だ。  一般に海路で太平洋からインド洋に抜ける際、船はシンガポールまで南下し、狭いマラッカ海峡を北上しなければならない。その場合、中国が一番恐れているのは米軍によるシーレーンの封鎖である。具体的にはマラッカ海峡のシンガポール側の出入口を閉じられてしまうことだ。  笹川平和財団・海洋政策研究部の小森雄太主任研究員は、 「米中両国にとって、互いの空母の通航は相手への大きな影響が想定されます。最近もシンガポールにアメリカの空母が寄港するなど、親米的な態度を示しており、中国がより神経質になっているようです」  と指摘する。  ちなみに筆者は29歳の時、知人がオーナーの貨物船に船員として乗船し、高知港からシンガポール経由でマラッカ海峡を通り、スマトラ島のメダン港までセメント袋2千トンを運んだことがある。当時はベトナム戦争の最中で、貨物船は台湾沖のバシー海峡を出て2日後には、2機の米軍偵察機にマークされてしまった。私は甲板で裸になり、シャツを振り回して「オレはニッポン人だ!」と叫んだものだ。  夜になると船は南十字星を追って南沙諸島を一直線に南下。吃水線ぎりぎりまで船体を沈めた大型タンカーを遠くに見たかと思うと、空っぽの大型タンカーに追い越されながらシンガポールを目指したのを覚えている。  ところが、マラッカ海峡に入ると景色は一変する。小島が無数に出現し、しかも海峡の入口が狭い。海を小山のように盛り上げて進んで来るタンカーが次々と現れては横をすれ違う。  1970年代の日本のタンカーは大きくても7万~8万トン。船と船の間は手を伸ばせば届きそうな距離だが、今では15万トン級の大型コンテナー船が絶えず航行している。そんな場所に、米空母が一隻でも居座ったら中国籍のタンカーや資源運搬船は身動きできまい

 

 

 

中国艦船による妨害行為の多発

 中国が神経を尖らすのは、マラッカ海峡だけではない。南沙諸島も同じである。 「ここにきて、政権が変わったフィリピンでは、アメリカを呼び戻す動きがあります。コラソン・アキノ政権時代に議会の反対により、アメリカ軍は撤退しましたが、かつては横須賀基地と同等以上の規模であったフィリピン海軍のスービック基地の再活性化を進めています」(前出の小森氏)  これに対するけん制なのか、10月22日、フィリピンが南シナ海で実効支配するアユンギン礁に物資を運んでいた補給船に中国海警局の艦船が衝突。また、中国海上民兵が乗り込んだ船舶がフィリピン沿岸警備隊の巡視船に体当たりするという事件も起きた(10月23日付東京新聞)。  アユンギン礁はパラワン諸島の西にあり1999年からフィリピン軍が駐留している。10月に入ってからの中国艦船による妨害行為の多発には、中国海軍のいら立ちが見え隠れするようだ。

4~5年で完成

 話を運河に戻そう。中国では、すでに第3空母の「福建」が進水し、近いうちに試験航海する見通しだ。  先述の飯田氏によると、 「『福建』は8万トン級の最新式空母です。艦載機の発射装置はアメリカなどと同じ電磁式カタパルト式。技術はあらゆる手段でアメリカから盗んだといわれています。福建という名前からして、福建省を基地にするかもしれませんが、2隻目の空母『山東』は海南島を基地にしていることから、『福建』の母港は南シナ海全域をにらんだ基地になる可能性もあります」  南シナ海をにらみ機動性のある基地が必要なら、先述のカンボジアのリアム基地も想定される。もし、中国の空母が寄港するようになれば、マレー半島に運河が欲しくなるのは自明なことだ。インド洋へ抜けるスピードが速くなるからだ。  先述の秋田氏は、 「マレー半島の地盤は、さほど硬くはなく、両側に仕切りを作って内側を掘り、最後に海水を流し込む。中国の技術なら4~5年で完成する」  と語る。  もし、運河が現実のものとなれば、当事国のタイが受けるメリットはどのようなものがあるだろうか。中国資本を利用して工事を行い、完成後はスエズ、パナマ運河と同等かそれ以上の通行料を取ったとする。ちなみに、パナマ運河の年間収入は6千億円前後。  先述の小森氏によると、 「かりに開通しても当面は赤字でしょうが、長期的には航路短縮などのメリットが考えられます」  一般の商船も、従来のシンガポール経由より4~5日短縮できるとなれば、マレー運河経由に切り替えることが考えられる

 

 

 

 

自前で国内線の旅客機を製造

 ところで一帯一路構想は陸路と海路だけだろうか。ここにきて筆者の耳に日本の産業界から、気になる情報が飛び込んできた。 「中国は電気自動車部品を国内調達で賄うと決定したのに続いて、国内線の旅客機もほとんどを自国技術で製造し、アメリカ連邦航空局(FAA)や欧州航空安全機関(EASA)の認可なしで飛ばすと決めたようです」  情報源は明かせないが、中国が自前で製造する予定の国産旅客機はなんと約2千機。ボーイング社の年間受注台数の3倍近い。  防衛大学校の田中宏巳名誉教授(近代日本軍事史)は、 「中国は以前にも旅客機製造を計画し、海外からも引き合いがありましたが今回、全て自前で賄うとは驚きです。アメリカの認可なしでは本来難しく、日本の三菱飛行機はFAAの認可が取れずに頓挫しました。しかし、広い中国国内を飛ばすだけならFAAやEASAの認可は必要ない。すでに1200機のオーダーが入ったとの情報です。ボーイング社やエアバス社は痛手になるでしょう。ただし航空エンジンの開発は簡単ではなく、とりあえずイギリスのロールスロイスかアメリカのエンジン(P&W)を使うでしょう。それもいずれ国産化するでしょうが、日本が一機も造れていないのと対照的です」  旅客機を自前で造れるのなら、東南アジアばかりか、アフリカ諸国からのオーダーもあり得る。一帯一路は空にも広がっていることを忘れてはいけないのだ。

不良債権は15兆円

 かくも世界中に網を広げている一帯一路だが、相手国にとってそれは、対等な関係になるとは限らない。昨年9月時点で中国が「一帯一路」関連で直接投資した金は累計35兆円(政府発表)。そのうちスリランカ、ラオスなどに対する不良債権は約15兆円とも推測されている。  事実上、中国に高速鉄道を造ってもらったラオスは債務が国内総生産を超え、「債務のワナ」にはまったままだ。中国が代償として求めてくるものは、運営権を譲渡したスリランカのハンバントタ港の例を見るまでもない。そして、超大国同士であるはずの中国とロシアの関係もしかり、だ。  この10月、「一帯一路の国際フォーラム」で、プーチン大統領は習主席との「蜜月ぶり」を誇示してみせた。その一方、中国のガス需要の増加の見込みがないのに、ロシアはモンゴル経由の天然ガス供給契約の早期合意を目指しているとも報道されている。主導権は明らかに中国が握っているように見える。折しも来日したヒラリー・クリントン元米国務長官が10月19日のフジテレビのインタビューで「中国はロシアを従属国化しようとしている」と予言していたのが印象的だ。  かつて、大日本帝国は「北守南進」に国策の舵を切り、世界を巻き込んで暴走を始めた。「一帯一路」が、そうならない保証はどこにもない。中国はこの地球をアメリカと二分する腹らしい。 早瀬利之(はやせとしゆき) 作家。昭和15年、長崎県生まれ。昭和38年、鹿児島大卒。著書に『タイガー・モリと呼ばれた男』『石原莞爾 満州ふたたび』『敗戦、されど生きよ』などがある。石原莞爾平和思想研究会副会長。 「週刊新潮」2023年12月14日号 掲載

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