30年以上(???)くらい前は、
LAの中心地、になかったので、
その時、LAから、北へ、車で1時間(半???)くらいの、
(シックス・フッラグス・マジック・マウンテンの御近所)
ヴァレンシア Valencia
まで、ドライヴかたがた、食べに行ったのを、覚えておりますし、
年に、最低2~4度は、仕事の展示会(トレードショーなど)で
”大・嫌いな街” ラス・ヴェガスへ行った際にも、
必ず、食べに行っておりました。
大形チェーン店では、世界一おいしいハンバーガーです。
(数店舗経営の、おいしいお店は、NYでも、ありましたが、10数年前にも、つぶれてしまいました)
(今の田舎の、疎開先でも、街に出ますと、遠くても行きます)
”シェーク・シャック” ----は、どうなの?と思うでしょうが、
15年以上前に、1号店(マンハッタンの、マジソン・スクウェア―・パーク)
が、できて、
初日(簡単に、数分で、待たずに食べられました)
に、行きました。
おいしかったので
5日後(???くらい)に行きますと、
”もう、評判を聞き、超・混み過ぎて、追いつかないので、
手段を変えて、(熟慮の末だと思いますが)
”半分とか3分の1とか、3分の2とか????
までに、バーガーのパテに、”火を通して置いて(プリクック)”
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オーダーが来たら、焼けていない分だけを、調理する?
という手段に変えてからは、
「いっぺんに、まずくなり」
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ましたが、
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その後も、チャンスを上げ、
3~5回位行きましたが、
行列は、長くなるばかりと、
オーナー(中の上クラスのレストランを、約5軒くらい経営)
が、NYでは、評判の良い方
(普通では、どこの先進国でも、通常は考えられない、超・大都会の公共の公園に、
飲食店を出す許可----などは、考えられませんが、
(東京の、動画で見ますと、、井之頭公園や、日比谷公園などは、あるそうですがーーー何しろ、許可も、開店も、超・大昔なのでーーーー話や常識は、違います)
当時の、マンハッタン中の、噂では、-----
経営者は、1年前から、ヴォランティアで、花壇を作り始め、評判を良くしておいたーーーーという戦術でした―――――”功を奏して”
あんな、マンハッタン一の、
最高の場所に、開店できたわけですーーーーと、言う、噂でした????)
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でしたので、
猶更、メディアでもバックアップして、評判を上げましたが
”味は、回復せず、ひどいままでした”
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(話も、所、かわって、日本での支店ですが、
神奈川県の湘南地方に行った際、
行こうとしましたら、”つぶれた、後” でした。)
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そんな(アメリカや、マンハッタンなどの)中での、競争の、
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In & Out バーガーですが、
30数年間(私にとってーーー)、
今だに、大型チェーン店で、世界一おいしいバーガーです。
秘密は
”Shake & Shack"
や、他の競合店などとは違い、
1) どの段階であっても、”冷凍”しない
(肉や、魚類は、絶対に、どの段階においても、冷凍しては、いけません)
2) オーダーを、受けてから、焼き始める
3) 良い品質の、生の肉
(グラスフェッドで、ホルモン剤や、抗生物質などの不使用の、お肉、など、----)
を使う
4) あの、”サウザンド・アイランド風の”
ドレッシング(ソース)が、マッチするのです
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同年に誕生したマクドナルドとはまったく異なる道を歩む
家族経営のインアンドアウトはいかにしてハンバーガーの聖地となったのか
ロサンゼルス・タイムズ(米国)
Text by Stacy Perman
時は1948年。
第二次世界大戦は遠ざかり、ロサンゼルスではドライブイン・レストランが全盛期を迎えていた。
ドライブインの数が自動車の数に匹敵すると言われたこの街で、ドライブインは明るいネオンサインや気まぐれな建築、広大な駐車場、コスチュームを着たカーホップ──車の窓に取り付ける特製のトレイで客に給仕する従業員──を備えたお出かけの場所となっていた。
しかし、ハリーとエスターのスナイダー夫妻が最初のインアンドアウト・バーガー(註:In-N-Out Burger。「イナナウト・バーガー」と発音)をオープンした当時、ボールドウィン・パークのフランシスキート通りとガーベイ通りのわずかな土地しか持っていなかった。ハンバーガー御殿を建てる資金もなかった。しかし、ハンバーガーをひとつひとつ丁寧に作り、時間をかけて、歴史を変えたのだ
今月、インアンドアウト・バーガーは75周年を迎える。最初の顧客はロサンゼルス郊外に住む地元の人々だったが、それから数世代を経て、映画スターからトラック運転手、ミシュランの星付きシェフまで、インアンドアウトの名物「ダブルダブル」を想像するだけで誰もがうっとりしてしまうほど、がっちりと心を掴んできた。
ドライブスルー方式の先駆け
アマチュアの電子機器マニアだったハリーは、双方向スピーカーフォンシステムを考案した。車で来店した客は厨房に繋がったスピーカーに向かって注文を告げ、その後、ハンバーガーを受け取って去っていく(車内でハンバーガーを食べるときに衣服を汚さないように、膝の上に敷く肉切り紙が配られた)
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