新しい封建領主とは誰か?

ヤニス・バルファキス「資本主義は死んだ。テクノ封建制、万歳!」

 

 

 

 

 

アンハード(英国)

Text by Yanis Varoufakis

 

資本主義は死んだと経済学者で元ギリシャ財相のヤニス・バルファキスは言う。だが、いかにして死んだというのか? われわれはどうなるのか? 英論壇メディア「アンハード」でバルファキスが挑発的に論ずる。


一昔前、

高齢の

 

フリードリッヒ・フォン・ハイエク

 

が小粋に自分の経験談を語り、そこから社会主義の計画経済に対する厳しい批判を始めるのを聴いたことがある。

ハイエクは茶目っ気を効かせてこう語った。

「先日、ある店に入りましてね。で、店を出たとき私が手に持っていたのは、それまで自分が欲しいとは夢にも思ったことのないモノだったんですよ」

 

 

 

 

ハイエクは資本主義を擁護する人のなかでも、きわめて頭が切れる論者のひとりだ。市場を慈愛にあふれた創造主とみなし、その働きを人間が作ったシステムで再現するのは無理だと考えていた。

冒頭の小話のポイントは、市場に入るまで人は自分が何を求めているのかも知らないというところだ。それならば、社会が何を求めているのか、政府の役人にわかるはずがない。そんなことは誰の手にも余るのだからという風に話は続く。

市場を単にモノの適正価格を効率的に見つけられるシステムだと賞賛する人は、がさつな主流派の経済学者でしかない。ハイエクのような思想家たちは、そんな経済学者を歯牙にもかけなかった。

ハイエクのような思想家たちにとって、市場はもっと偉大なものだった。それは私たちの想像力を解き放ち、私たちの好みや趣味の形成に加担するものだった。そんな市場に、余計な首を突っ込むのは、とんでもないことだった。

いわんや市場に代わる何かを作るのは、おこがましいもいいところだった。中央集権型のシステムの欠点は、非効率なところだけではなかった。私たちの生まれながらの気質の自由な発達を損ねるとみなされたのだ。

 

 

 

 

だが、ハイエクの時代とは異なり、いま私たちの好みがもはや市場で形成されていないとしたら、どうだろうか。

 

 

 

「テクノ封建制」


ハイエクの死の翌年、私が父のコンピュータを、まだ誕生して間もないインターネットに接続しようとして格闘していたときのことだ。父がふと口にした問いは、勘所を押さえていた。

「これでコンピュータ同士が話せるようになったわけだろ。これによって資本主義は転覆できなくなったのかい? それともこれによって資本主義のアキレス腱が露呈するのかい?」

 

 

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