「パレスチナ紛争」を語る日本人に欠けている視点パレスチナをこんなにしたのは誰なのか
高橋 宗瑠 : 大阪女学院大学・大学院教授(人権・平和
一気に国際的な注目を集めているパレスチナ紛争。理解していなければ大きな誤解をしてしまいがちな歴史的背景とは(写真:Ahmad Salem/Bloomberg)
10月7日のハマスの攻撃後、パレスチナ紛争はまた一気に国際的な注目を集めています。イスラエルによる大規模なガザ爆撃で一般市民の犠牲はますます増加し、近日中に地上軍でガザに侵攻することが予想されています。
多くの報道では7日まで平和な毎日があり、ハマスの一方的で理不尽な行動によってそれが破られたかのように描かれていますが、本当にそうでしょうか。歴史的背景を理解しないと、大きな誤解をしてしまいがちです。
そもそも「パレスチナ紛争」とは?
「古代からアラブ人とユダヤ人が住んでいて、宗教的な理由から紛争している」と思い込んでいる日本人は少なくありませんが、そもそもその出発点からしてそうした見方は誤りです。
20世紀初頭から、アラブ系パレスチナ人が暮らすパレスチナ(当時オスマントルコ領)に、「2000年前、ここは我々の先祖の土地だった、よってここにユダヤ人だけの国家を作る」と、シオニズム(ユダヤ人国家建立の思想)を信奉するヨーロッパのユダヤ人が移住してきたのが、現在のパレスチナ紛争の始まりです。
数千年前にパレスチナで暮らしていたユダヤ教徒と、現在のヨーロッパのユダヤ人の人種的なつながりは極めて希薄と指摘されており、数千年前のことが現代の土地所有権に直結すると考えるのには無理があります。しかし、シオニストはイギリス、そしてのちにアメリカという大国をバックにつけて、強引に計画を進めようとしました
1947年後半から1948年のイスラエル建国宣言後の「第1次中東戦争」の間にユダヤ人自警団(後のイスラエル軍の母体)が武力でパレスチナ人を追放して、パレスチナ人人口の3分の2が難民となってパレスチナ内外に逃れることを余儀なくされました。
イスラエルは現在に至るまでパレスチナ難民の帰還をいっさい許さず、世界中から募ったユダヤ人移住者にそれらの家や土地を分配しています。難民の帰還の権利は国際的に認められており、いくつもの国連決議などでも明文化されていますが、イスラエルは頑なに拒否しています。
国際法違反の入植活動を続けている
そして1967年の「第3次中東戦争」でパレスチナの残り(東エルサレムを含む「西岸」と「ガザ」)を軍事占領したあとも、一貫して、パレスチナ人を追放して土地を収奪して、国際法違反の入植活動、国際人権基準を無視した抑圧を続けています。
ユダヤ人はあらゆる意味で優遇されて人権が保障され、パレスチナ人は法律に基づいても権利が守られない状況で、例えばヨルダン川西岸のユダヤ人入植者にはイスラエルの通常法、パレスチナ人にはイスラエルの軍法が適用されます。
昨今、アムネスティ・インターナショナルやヒューマンライツウォッチなど世界的に著名な国際人権団体がついにイスラエルの差別的な政策を、人道に対する犯罪である「アパルトヘイト」と認定したほどです。
すなわち、パレスチナ紛争は外国人の植民地支配に対する、民族の独立運動と理解する必要があります。独立運動にはさまざまな形態がありますが、当然武力抵抗もその1つです。
「暴力はいけない」と考える日本人は少なくないのですが、植民地支配に対する抵抗は国際法で正当と認められており、パレスチナ民族の当然の権利といえます。もちろん、今回のハマスの攻撃は戦闘員でなく一般市民を狙ったもののようなので、国際法違反として批判されてしかるべきです。しかし、個人的に暴力を推奨するつもりはもちろんありませんが、話し合いだけで独立できるほど、世の中は甘くありません
今回の攻撃を起こしたハマスは、国際的に認められているパレスチナ自治政府に対して、ガザを武力で制圧して「実効支配」しているテロ集団、と描かれています。しかし、これも背景をよりよく理解する必要があります。
占領後パレスチナ人の抵抗、そしてイスラエルの弾圧などが続きましたが、1993年に突然、独立運動の主体であるパレスチナ解放機構とイスラエルとの間に「オスロ合意」が発表されました。
その合意は、解放機構は武力抵抗を放棄して、西岸とガザにおいてのみパレスチナ国家建立に向けた交渉を開始するというものです。そして、期待されるパレスチナ国家の下準備として、西岸とガザで「パレスチナ自治政府」が設立されて、限定された自治権を行使することが決まりました。
パレスチナ人にとって「オスロ合意」は青天の霹靂
一見して解決に向けた大きなステップに見えますが、詳細を見ると、パレスチナ側に対して不利なものといえます。そもそも一般のパレスチナ人にとってオスロ合意は青天の霹靂であり、パレスチナ全土独立という目標が民主的に決定したわけではありません。
そして、自治政府がイスラエルと協力して、パレスチナ人の活動家などを逮捕して拷問するようになると、多くのパレスチナ人に「植民地支配者が押しつけた傀儡政権」とみなされるようになります。実際、オスロ合意後イスラエルによる違法な入植活動はますます促進され、植民地支配はむしろ強まったと指摘されています。
2006年、パレスチナ自治政府の選挙が行われます。イスラエルや欧米諸国は自治政府の主流が勝つものと高をくくりますが、ふたを開けてみると、オスロ合意の譲歩を否定するハマスが圧勝します。世界中で民主主義の大切さを説き回る欧米ですが、民主的に選ばれたハマス政権をボイコットして、自治政府への資金提供を打ち切ります。
そして欧米は自治政府をけしかけて、武力でハマスを弾圧させしようとするのですが、短い内戦にもハマスは勝ち、自治政府は本拠地だったガザから西岸に逃げ込みます。西岸とガザの分断統治が生じたのは、このような経緯です
自治政府主流派が西岸に逃げ込むと、イスラエルがガザを完全に封鎖し、人の往来や物資の輸出入を原則的に禁止します。45平方キロメートルに200万人ほどいるガザは、「青空監獄」と呼ばれるようになりました。
伝統的に漁業や農業を営むガザ市民ですが、近海への漁が禁止され、ボートが出ていくとイスラエルの軍艦に攻撃されるようになりました。そしてイスラエルとの境界線に大きなフェンスが建てられ、1キロメートル以内に接近すると狙撃されることがあるため、近くの農地なども使用不可能になりました。
ガザは「後退」している状態
ただでさえガザは1948年にパレスチナの別の地から追放された難民が多い地域で、封鎖で経済が完全に破綻し、失業率は46%、人口の8割近くが国連の食糧支援を受給しているありさまです。
インフラを維持するための機械部品などの輸入をイスラエルが許さないため、爆撃された水の処理施設も発電所も次第に使えなくなり、安全な飲料水もなく、電気の供給も日によっては8時間ほどしかありません。
「発展(development)」でなく「後退(de-development)」の状態で、2012年に国連が発表した報告書では、「2020年にはガザは人間が住める状況でなくなる」という予測さえ発表されたほどです。
2005年以降ガザ内にはイスラエル兵は駐屯しておらず、イスラエルの植民地もありません。そういう意味では、いたる所にイスラエルの植民地があって、軍隊の検問所がある西岸と様子が異なるのですが、ガザの上空にはつねにイスラエルのドローンや監視気球が飛んで、ハマス関係者(および近くにいた一般市民)が空爆などによって殺害されることも少なくありません。200万人が生殺し状態に置かれているのが実情ですが、国際上ではガザは西岸同様イスラエルに軍事占領されているパレスチナの地とされています
悪化の一途をたどる西岸の情勢も、無視できません。殺害や正当な理由のない逮捕や拷問なども、西岸に暮らすパレスチナ人にとっては日常茶飯事と言えます。今回のハマスの攻撃の背景には、このようなイスラエルによる封鎖や抑圧、国際法違反や人権侵害があります。
平和的に抗議するパレスチナ人を狙撃
ガザの難民には、境界線近くの家を1948年に追放された家族の人が多数います。本人たちがソーシャルメディアに投稿した動画などを見ると、7日の攻撃に参加したハマスの戦闘員には、境界線近くの家を1948年に追放されたそのような家族の出身者が少なくないとようです。
難民の彼らは、一時的にも自分の家に帰ることがイスラエルに許されていません。イスラエルによって「侵入者」との烙印を押されていますが、彼らにしてみると、自分の土地を取り戻す意識が強いのは当然と言えます。
一般市民を狙い撃ちするのはもちろん看過できませんが、それはハマスだけでなく、イスラエルも同様です。封鎖後今までも数回あったガザへの大規模侵攻で合計4000人近くものパレスチナ人の犠牲が強いられており、イスラエルは国際法を無視して、非戦闘員や、発電所、水処理所など民間施設の攻撃などを繰り返しています。
2018年3月から2019年12月までほぼ毎週イスラエルとの国境近くで大規模な抗議集会が行われましたが、イスラエル兵は実弾で平和的に抗議するパレスチナ人を狙撃し、合計200人以上が殺害されました。
この度のガザの空爆もイスラエルは「正確さより破壊力が優先」と公言して、一般市民の犠牲をいとわない絨毯爆撃とさえ言えます。避難所になっている国連の学校や、イスラエルが出した避難命令で逃れる市民も爆撃されています。そして、何よりも過酷な封鎖自体が集団懲罰であり、国際法違反といえます。
今回の攻撃でいつにも増してイスラエルに露骨に肩入れする欧米は、政治的、そしてとくにアメリカは軍事的支援を強化しています。また、幾分か後退する可能性が強いですが、アラブ諸国にも長年の方針を転換して、イスラエルと国交を正常化する国が出てきています
しかし、欧米でもアラブ諸国でも、その行動が必ずしも民意を反映していないことを理解する必要があります。ソーシャルメディアの効果もあって、イスラエルの人権侵害はより大勢の人に知られるようになり、市民の意識調査でも「イスラエル離れ」が顕著になっているといえます。
実は、イスラエルの国際的孤立はもう始まっています。同じくアパルトヘイト国家であった南アフリカの方針を転換させたのは、世界各国の市民による、広範囲な国際的ボイコット運動でした。
南アの企業、そして南アと提携する他国企業がボイコットされました。最初は抵抗していた欧米主要国でしたが、市民からの圧力についに屈することになり、国際的な経済制裁へと発展しました。
日本企業に求められている視点と姿勢
南アと同じような、市民によるイスラエルボイコット運動も、国際的に展開されています。イスラエルで事業する企業の撤退が続出する中で、今回のハマスの攻撃で「パレスチナ人は決して屈しない」ことが改めて示されたと言えます。パレスチナ人の正当な権利を尊重する根本解決が図られない限り、国際的なボイコットはますます強まるものと予想されます。
日本もとくに第2次安倍政権時から、イスラエルと関係を強化しています。政府主導で「イスラエルと提携を」と進められており、レピュテーションリスクを懸念する日本の企業から私に、「占領に加担していないイスラエル企業と組めないものか」と相談が寄せられることがあります。しかしイスラエルのあらゆる企業(少なくとも日本企業と提携できる企業)や研究機関などが占領に加担しているのが実情です。
イスラエルの入植者人口は70万人で、イスラエルのユダヤ人人口の11人に1人ほどに当たります。植民地はもはや地方都市で、金融機関や商業施設など、イスラエルの主要企業がすべ事業しています。大学などの研究機関も軍隊の委託研究を多くしており、ハイテクのスタートアップも、多くが軍事技術の民間転用です。経済全体が入植政策、そして軍事と一体化しているので、日本の企業の期待と裏腹に、「クリーンなイスラエル機関」などありません。
近年「ビジネスと人権」に注目が集まり、企業が寄付活動などでなく、人権侵害に加担しない重要性が認識されるようになっています。場合によっては、イスラエルと提携する日本企業がボイコットの運動のターゲットになりうると、しかと認識する必要性があります
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