防弾車から見たキーウは平和そのもの‥林外相同行記

 

産経新聞

集団埋葬地となった聖アンドリュー教会の献花場所に向かう林芳正外相(中央)=9日、ウクライナ・ブチャ(原川貴郎撮影)

 

 

 

 

昨年2月のロシアによる侵略開始後、日本の外相として初めてウクライナを訪れた林芳正外相に同行し、9月9日、キーウで一連の外交日程を取材した。交戦中の国ではあったが、市内で目にしたのは家族連れやカップルらが楽しそうに街を歩く、ごく普通の休日の光景だった。ウクライナによる反転攻勢など、戦闘に関する連日の報道から受けるイメージとのギャップをどう整理すればよいか。 

 

 

 

 

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「移動中は防弾車に乗車してもらいます。車には警護も1人同乗します。さすがにミサイルが当たればどうしようもないですが、撃ち落としたドローンの破片が当たった場合、普通車よりは大分、ましですから」 外務省から事前にこんな説明を受けた際には、「一体、どんなところに取材に行くのだろう」と身構えた。 

 

 

 

 

 

■寝台列車で9時間 ポーランドから寝台列車に揺られて約9時間。

 

 

9日午前8時ごろ、キーウ近郊のネミシャイェヴェ駅に着くと、オフロード型の防弾車と屈強な警護員がスタンバイしていた。 林氏の乗る車と車列を成して最初に訪れたのは、ロシア軍が侵略を始めた直後の昨年3月、多数の民間人を虐殺したブチャにある聖アンドリア教会だった。林氏は犠牲者の集団埋葬地となった敷地内で献花後、教会の建物内で虐殺された市民やその隣で涙を流す家族の写真に目を落とした。 「同じ人間が同じ人間にこのようなことができるのか」-。林氏は憤りをみせた。 その後、再び防弾車に乗ってキーウ市内に入った。外相会談が開かれた外務省や、日本が供与した不発弾対策クレーン付きトラック24台の引渡し式が行われた非常事態庁など、頻繁に市内を移動した。 わずかな取材の隙間を縫って、昨年10月10日の露軍による大規模なミサイル攻撃による傷跡も取材した。近くの発電所を狙った露軍のミサイルが外れ、着弾して損壊した高層ビルは修復工事が進んでいた。しかし、同じく被弾した付近のビルは、修復も取り壊しもされないまま、野ざらしになっていた。 ただ、移動中に防弾車の窓から見えたのは、ベビーカーを押す若い夫婦や中心部の独立広場で写真を撮るカップル、ダンスの練習をする高校生ぐらいの若い女性のグループ-といった面々だ。屋外のソファで酒を飲みながら、音楽ライブを楽しむ人々ら、およそ「交戦中」のイメージとはかけ離れた光景ばかりが目に付いた。

 

 

 

 

 

 

 ■防空システム構築

 「今年5月は頻繁に空襲警報が鳴って、1カ月のうち20日間程度はシェルターに入りました。しかも、警報が鳴るのはたいてい深夜の2時から4時ぐらいだから、さすがにこたえました」 在ウクライナの日本大使館関係者は数カ月前を状況をこう振り返った。現在は防空システムが構築され有効に機能しており、キーウの危険度は以前と比べかなり低減しているという。 日ウクライナ外相会談に先立ち、林氏が献花した戦没者慰霊の壁の近くで、東部ドニプロ出身の男性(40)に、戦時下で休日を楽しむ市民らの気持ちを代弁してもらった。 「ロシアが侵略を始めたときは、市民も何をどうしたらいいのか分からなかった。でも、侵略から1年半以上過ぎ、人々はそうした中でも生きていかなくてはいけないと考えるようになった。生きていくには楽しみも必要です」 「以前と違い、今は防空システムもある。ready for anything(準備はできている)という感じです」 侵略が長期化する中で、考え方に変化が生まれたということだろうか。 「今日は空襲警報が鳴らず、ラッキーでしたね。うるさいときは本当にうるさいですから」 日本大使館の職員らはこう語っていたが、約14時間の滞在中、空襲警報は発令されず、そうした体験をする機会はなかった。バロック様式の大聖堂など荘厳な宗教建築が立ち並ぶ美しい街並みを見ながら、もうしばらく滞在したいとすら思ったほどだ。 しかし、翌朝には交戦中であることを改めて思い知らされた。列車でポーランド側に戻ったのは翌10日午前6時過ぎ。駅に降り立つと、林氏に同行していた外務省幹部から「ありましたよ。警報。10日の零時過ぎ。ドローンの破片が落ちてきたみたいです」と告げられた。

 

 

 

 

 

 ■空襲警報と紙一重 キーウ市を囲むキーウ州に

10日午前零時2分に、キーウ市には同1時15分に空襲警報が発令され、同2時過ぎに解除されたという。ロイターや英BBCによると、露軍はキエフ市やその周辺を狙い、少なくとも32台のドローンを発射。ウウクライナ軍は防空システムで25機を破壊したが、市内で1人が負傷、公園で火災が発生した。 林氏らと乗り込んだポーランド行きの列車の発車時刻と空襲警報の発令は、紙一重と言っていいほどの時間差だった。 ポーランドに入国後、10日未明にキーウへの空襲があったことを知った同行者の1人は、「やっぱりそういうところにわれわれは行っていたんですね。ハッと気づかされました」と話していた。(原川貴郎

 

 

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