アイス・コーヒーのみならず、
コールド・パスタ、
冷やし中華、
l
l
l
l
l
番外ですが(私の少しこじつけも)
ラタトゥイユのアイス版は、日本の(夏野菜の)”煮びたし”
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
しかし、この番組の司会は嫌いです。
============================================================================
日本の「アイスコーヒー」、じつは「外国人」には「衝撃的」だった…! その「意外なワケ」
----------
NHK BSの人気番組『cool japan』の司会者として、世界を旅する演劇人として、人気脚本・演出家が世界の人々と聞いて議論した。世界の人々が日本を体験して感じた「クール!」と「クール?」と「クレイジー!」 これを知れば、日本がもっと楽しくなる!
【マンガ】外国人ドライバーが岡山県の道路で「日本すごい」と驚愕したワケ
*本記事は鴻上 尚史『クール・ジャパン!? 外国人が見たニッポン』(講談社現代新書)の内容を一部抜粋・再編集したものです。 ----------
「アイスコーヒー」の衝撃
二〇〇六年四月からNHKのBS放送で『cool japan』という番組の司会をするようになりました。ありがたいことに、番組はずっと続いて、一〇年目に突入しました。 番組では毎回テーマを決めて八人の外国人と一緒に話し合います。八人の外国人は、タレントではなく、学生や仕事で日本に来たり、夫と共に赴任した人たちです。 番組が始まった当初、「日本でこれはクール(かっこいい・優れている・素敵だ)と思ったものはなに?」と質問しました。 彼ら彼女らは、「洗浄器付き便座」「ママチャリ」「アイスコーヒー」と言いました。 司会をしていた僕は、まず「アイスコーヒー」に驚きました。「どうして『アイスコーヒー』がクールなの?」と素朴に訊くと、イタリア人が「私の国にはなくて、日本に来て初めて飲んで感動したから」と答えました。番組に出ていた他のヨーロッパ人やブラジル人、ロシア人がうなづきました。 彼ら彼女らは口々に「日本に来て、夏、暑い時にアイスコーヒーを飲んで、本当に美味しかった、自分の国ではどんなに暑くても、コーヒーはホットしかない」と言いました。 僕は本当に驚きました。 調べてみれば、「アイスコーヒー」は、どうも日本発のもののようでした。ただし、どこで、誰が始めたのかという学術的で歴史的な研究にはまだ出合っていません(どこかにあって欲しいものです)。大正時代とか明治の終わりからとか、いろいろな説があるようです。 ヨーロッパやブラジルの人たちがアイスコーヒーを発想しなかったのは、「コーヒーは香りを楽しむものだ」という絶対のルールがあるからです。冷たくしてしまうと、香りを楽しめなくなると思っているのです。 日本発の缶コーヒーがまだ世界に広く受け入れられてないのは、これが原因です。缶に入れたコーヒーにちゃんとした香りがあるわけがないと思われているのです。が、日本の技術力によって、やがて、世界が驚く芳醇な香りの缶コーヒーが生まれるかもしれません。そうなれば、それも「クール・ジャパン」を代表する商品のひとつになるでしょう。 しかし、どうして日本人はアイスコーヒーを生み出したのでしょう。
最初に「アイスコーヒー」を作ったのはいったい誰なのか。定説がないので勝手な空想が広がります。
大阪のおばちゃんが「こんなクソ暑い日に熱いコーヒーなんか飲めるかい。おっちゃん、氷、入れて!」と、味にこだわるマスターの意向を無視して、氷を要求したのかもしれません。この場合、マスターは最初、泣いたでしょう。
大正時代のモダンな雰囲気の中、喫茶店の名物を作るために、名古屋の人が「氷を入れたら、冷たくておいしいみゃ~」と宣伝を始め、それが名古屋独特のモーニングサービス文化になったのかもしれません。海外から来たものだから、その飲み方にこだわりがなく、「暑い時は、氷」という単純なことだったのかもしれません。 とにかく、日本人は熱いコーヒーに氷を入れて、アイスコーヒーを作った。それがやがて、アジアに広がり、そして世界的に知られ始めている、というのが現状です。 今では、アメリカの大手のコーヒー・チェーンもアメリカでアイスコーヒーを売っていますから、アイスコーヒーはヨーロッパやブラジルでも定着するかもしれません。 ただし、海外のアイスコーヒーと日本のアイスコーヒーは、作り方が微妙に違うようです。 日本のアイスコーヒーは、アイスコーヒーに合う豆を選んで、少し濃いめに作って、それに氷を入れる──という作り方が主流です。が、海外では、普通に#淹{い}れたコーヒーに氷を足す、というケースも多いのです。日本のアイスコーヒーに慣れた人には、少し物足りなく感じるでしょう。 ちなみに、世界的に、アイスティーは認知されています。ただ、欧米のお店に入って「アイスティー」と注文すると、コンビニやスーパーで売っているリプトンのボトルが出てくることが多いです。それを、そのまま飲んだり、氷の入ったグラスに移したりしていました。熱湯で紅茶を作り、それに氷を足すという方法は、本当に少数派です。 ともあれ、日本でアイスコーヒーを初めて飲んだ時、「なんだこれは!?」と抵抗を示した外国人も、何回か飲んでいるうちに、「これは美味しい」となる人がほとんどのようです。 「アイスコーヒー」は、日本人の知らないところで、「クール・ジャパン」なのです
日本をちゃんと知る
九年前、『cool japan』という番組を始めた時は、まさか、こういうものが外国人にとってクールなもの、つまり、「クール・ジャパン」と思われているとは夢にも思いませんでした。やがて、番組を続けていくうちに、どうも、日本人が考える「クール・ジャパン」と、外国人が感じる「クール・ジャパン」は、違うんじゃないかと思うようになりました。 現在、(番組ではなく、一般的な意味での)「クール・ジャパン」は、いつのまにか、「官主導の『マンガ・アニメ』を中心とした売り込み戦略」みたいに思われ始めました。国が「クール・ジャパン」と名付けて、なんでもかんでも売り出そうとしている、そんなイメージです。これに反発するのは、ある意味当然かもしれないと思います。 特に、「マンガやアニメ」は、サブカルチャーを代表するものです。つまりは、個人が自分なりに、または気の合った仲間たちと、楽しみ、共有するものです。大切に愛でて、育てて、没頭したものです。そこに、個人の一番対極にある「国家」が入ってきて、「国が税金を使って売るから。だから、それに見合う成果を上げないと」なんて言われたら、反発するのは当たり前のようにも思えます。 経済産業省が二〇一〇年にクール・ジャパン室という部署を作ってから、じつは、番組にも反発するメールがくるようになりました。国の方針に従った番組だと思われているのです。 「クール・ジャパンはでっちあげだ」「クール・ジャパンは少しもかっこよくない」「クール・ジャパンなんて海外じゃあ、誰も知らない」。こんな言い方で、クール・ジャパンを批判する日本人が増えました。 そんなメールをもらうたびに、僕はじつにもどかしい思いをしていました。その文脈で語られている「クール・ジャパン」は、僕が出合った「クール・ジャパン」とずいぶん違ってるんじゃないか。それが、この本を書く動機のひとつになりました。 そもそも、僕が、『cool japan』という番組の司会を引き受けさせてもらったのは、日本のことをちゃんと知りたいと思ったからです。番組が始まった当初、ちょうど、自虐史観が話題になっていました。自分の生まれた国を全面否定する人と、全面肯定する人が対立していましたが、どちらも現実を具体的に見てないような気がしました。全面肯定と全面否定は、結局はコインの裏表で、抽象的な議論だけに終わっているんじゃないかと思ったのです。 日本の良いところと悪いところを、日本人が願望や感情で決めるのではなく、外国人の具体的な言葉で知りたいと思いました。 さらに続きとなる<日本に来た「外国人」が気に入って買って帰る「二大商品」が「なんとも意外なもの」だった…! >では、日本が誇る意外な「あの商品」を紹介しています。
鴻上 尚史