まるで“子どもの刑務所”」ロシアに連れ去られたウクライナの子どもたち・・・“謎の施設”で養子縁組を迫られ
今年2月、7歳の女の子はお気に入りのぬいぐるみを私たちに見せてくれた。 「シンバとプンバだよ」
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そして、こう続けた。
「私のようにここまで来るにはいろいろあったんだ」 子どもたちが語ったのは、親と離れ離れになった子どもを取りこみ、養子縁組を迫るロシア政府の姿だった。
長男・マトベイ君 「普通の生活が出来なくなって、とても怖かった」 取材を受けてくれたのは3兄妹。
長男のマトベイ君(13)、
長女のスヴャトスラバちゃん(9)、
次女のアレクサンドラちゃん(7)(年齢は取材時)。
3人はバルト3国の一つラトビアで避難生活を送っている。
3人はウクライナ南東部マリウポリで父親と暮らしていた。
去年、家はロシア軍にめちゃめちゃに壊され、避難先に向かう最中の検問所で父親が親ロシア派勢力に拘束された。
かつてウクライナ軍に関連する仕事をしていたのが理由だった。
親と引き離された兄妹はその場でバスに乗せられた。
1か月半の間、2つの施設(ベジメンネ、ノボアゾウシク)で過ごし、3人の健康診断も行われた。 そして東部ドネツクの施設に移動する。
マトベイ君 「最初のころは3人だけでしたが、ドネツクでは子どもが集まりました。
(自分たち含め)31人の子どもがいました。他の子たちがどこから来たのかは知りません」 集められた31人の子どもについての資料が残されている。当時、ロシアが一方的に独立を承認した“ドネツク人民共和国”の“公式文書”だ。 文書には、
▽31人の名前 ▽全員がマリウポリ出身であること
▽子どもたちをリハビリ名目でロシアに送り、1か月以内にドネツクに戻すこと などが記されていた。 3兄妹は、文書の内容どおり翌日にロシアに移動することが告げられた。
マトベイ君 「いろんなことを経験したので、療養所で休む必要があると言われました。療養所での滞在期間は2週間だと言われました」 子どもたちは飛行機でロシア・モスクワ州に移動し、ある施設に到着する。
後にJNNが確認したところ、入り口は厳重な警備が施され、「ロシア大統領府総務局子どもの医療センター」という看板が掲げられていた
HPによると、最新の設備を取り入れた子どものリハビリ施設だという。 マトベイ君 「男の子は1階、女の子は2階に泊っていました。スケジュールはとても忙しかったです。断ることは出来ませんでした」 朝6時に起床し、体操のあと朝食。その後は勉強をしたり、ゲームをしたりする時間もあった。時にはダンスパーティーやモスクワ市内の見学もあったという。そして、こんなことも…。 スビャトスラバちゃん 「ある日、講堂に全員集められプレゼントが配られたよ。
私たちはゲームをもらった。Nintendoです」 実はマリウポリの31人の子どもがモスクワ州の施設で過ごした事実は、ロシア政府が堂々と公表している。その中心にいるのが、子どもの権利を担当するマリヤ・リボワベロワ大統領全権代表だ。
自身のSNSで、子どもたちと一緒に歩いたり、3兄妹の長女・スビャトスラバちゃんを抱きしめたりする映像も公開している。リボワベロワ氏は動画の中で活動の意義を強調していた。
マリヤ・リボワベロワ氏 「31人は非常に厳しい運命にある子どもたちです。医療支援や心理的なサポートを受けられるようモスクワ州に来るよう提案しました。最も重要なのは、子どもたちの未来の根幹を作ってあげることです」 そして、施設で過ごす予定の2週間が過ぎた。
すると2人の職員がマトベイ君のもとにやってきて、こう告げたという。 マトベイ君 「『砲撃が行われているのでドネツクに連れ戻せない』と」 「『養子になるか孤児院に行くかを決めなければならない』と言われました」 職員は、特にロシアで養子になることを強く勧めたという。 一方、親ロシア派に拘束された3兄妹の父・イェフフェンさん。 ウクライナ軍との関係について繰り返し尋問を受け、ときには拷問を受けた。50日後に突然釈放され、その日の朝に3兄妹がロシアに連れて行かれたことを聞かされたという。 父親・イェフフェンさん 「私はヒステリックになり、大声を上げました。私はどうやったら子どもたちに会えるのかを考え、いろんな人に子どもたちの情報はないかと尋ねました。子どもたちは私が生きていることを知れば、最後の最後まで私を待っていることを知っていましたから
すると、奇跡的ともいえる事実を知る。マトベイ君が偶然にもイェフフェンさんの携帯電話を持っていて、知人と連絡を取っていたのだ。 再びつながった親子。 マトベイ君はロシアの職員から養子を勧められた際も父親に連絡することを職員に告げた。 マトベイ君 「お父さんのアドバイスなしでは決められない、と職員に話しました。職員は僕に養子になることを求めましたが、自分の意志を強く持ち続けました。職員らは、お父さんと電話をすることを許してくれたけど、『どれくらいかかるの?』、『早く電話を切るように』と言ってきました」 電話を受けた父親のイェフヘンさんは、「すぐに迎えにいく」と伝え、養子を断るよう言い聞かせた。そして3日後、NGOの協力を得て施設にたどり着いた。
親子は実に74日ぶりに再会した。
イェフヘンさん 「(施設には)一緒に来ていたボランティアも入ることは許されませんでした。敷地内のそこかしこに監視カメラがあり、まるで“子どもの刑務所”でした」「子どもに会えたときは、笑いながら泣きました」 マトベイ君 「階段でお父さんの声を聞いて走っていったんだ。幸せで涙が出ました」 ウクライナ政府によると、侵攻後ロシアに移された子どもは2万人近く(4月6日時点)にのぼり、3兄妹のように親元に戻れたのは300人あまりに留まっている。
マトベイ君は、一緒にいたほとんどの子どもたちが「ロシアで養子になった」と話す。 “保護”を理由に子どもをロシアに連れて行く行為は、子どもたちから祖国や家族、アイデンティティーを奪うものだと国際社会から非難の声が高まっている。 ICC=国際刑事裁判所は3月、プーチン大統領とリボワベロワ氏の逮捕状を発行した。占領したウクライナの地域から子どもをロシアに不法に移送した戦争犯罪の疑いだ。 一方のロシア側は逮捕状の発行に強く反発し、リボワベロワ氏は容疑を否定。「子どもの最大の利益のために、家族の同意を得て行動してきた。要請があれば引き渡す用意がある」と強調し、活動継続の意思を明らかにしている。
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