キーウ:聖ソフィア大聖堂と関連する修道院建築物群、キーウ-ペチェルスカヤ大修道院(ウクライナ)

Kyiv: Saint-Sophia Cathedral and Related Monastic Buildings, Kyiv-Pechersk Lavra ( Ukraine ) OUV(i)(ii)(iii)(iv)
1990年世界遺産登録 2005, 2021年軽微な範囲変更
■黄金の玉ねぎ帽子が美しいウクライナ・バロックの傑作集
ウクライナの首都キーウには3つの聖堂「聖ソフィア大聖堂」「キーウ・ペチェルスカヤ聖堂」「ベレストヴォの救世主聖堂」があり、ウクライナで初めて世界遺産に登録されました。
共通しているのは、9世紀末~13世紀にかけて栄えたキエフ大公国(キエフ・ルーシ)の時代の名残であり、ギリシャ正教を国教として公認し、ビザンツ様式の教会や修道院が建てられていった背景があります。
キエフ大公国は国王ではなく大公=貴族出身者が統治する国を指し、
かつてのキエフ大公国は現在のロシアやベラルーシ・ウクライナを含んだ広大なエリアを起源としているそうです。13世紀頃にビザンツの衰退に伴い、またモンゴル系の侵攻によって滅亡するまでは、こうした様々な公国の集合体であったのです。
下記画像の「聖ソフィア大聖堂」はそんなキエフ大公国の最大の聖堂として11世紀に建立され、長い間主教座大聖堂でした。建築を命じたのはキエフ大公国の大公ヤロスラフ1世です。
当初は写真からも想像できるように
平面図は正十字架の構造にドーム天井を付けたビザンツ様式。
内部にモザイク・イコンが描かれており、まさに典型的なビザンツ様式であるイスタンブールの「アヤ・ソフィア聖堂」を模した形だったとか。
その後の改修により、外観は現在のバロック様式に改められ、玉ねぎ型の黄金のドームに変えられたことで、ウクライナ・バロックとも呼ばれる独自の形式に変化していきました。

アイキャッチ画像のドニエプル川岸の丘にたつ「ペチェルスカヤ大修道院」も同じくキエフ大公国の時代、11世紀に建立されたものです。
大修道院という名前は、
ロシア正教会ウクライナ支部の総本山であることからきているそうです。
また、通称「洞窟大修道院」とも呼ばれ、
中には洞窟があり、
聖人の棺が収められています。
これは修道士の住んでいた洞窟の上に建てられたことに由来するようで、巡礼者は暗い地下を蝋燭をもって巡礼するのだとか。
「ベレストヴォの救世主聖堂」はかつてキエフ大公国の離宮があった場所として、現在はその遺構のみが残されています。
「聖ソフィア大聖堂」をはじめ、
コンスタンティノープルにかわる新たなキリスト教都市としての
キエフの一面を象徴する建造物が数多く存在し、
キエフはロシア世界に正教が伝播していく上で重要な拠点であったことが評価され、世界遺産に登録されましたが、
近年の世界遺産委員会ではドニエプル川岸の開発により、
その景観への悪影響が問題視されていました。
そのうえ、ここ最近のロシアによる侵攻によって破壊される懸念も深まっているところです
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“ロシアによる侵攻を正当化”「ウクライナ正教会」大主教を自宅軟禁処分に
日テレNEWS
「ウクライナ正教会」の大主教がロシアによるウクライナ侵攻を正当化したとして、ウクライナの裁判所により自宅軟禁の処分を言い渡されたとロシアメディアが伝えました。
複数のロシアメディアによりますと、
ウクライナの裁判所は1日、
キーウにあるペチェルスカヤ大修道院の
パベル大主教が
ロシアによるウクライナ侵攻を正当化したとなどして、
2か月の自宅軟禁の処分を言い渡したということです。
パベル大主教は、
ロシアに協力して宗教的な対立をあおったとして、
ウクライナ保安庁から告訴されていました。
ペチェルスカヤ大修道院は11世紀に造られ、
モスクワ総主教庁系の大主教がトップについていました。
しかし、ウクライナ侵攻後、
信者の多くがモスクワから独立した支部を結成し、
先月29日には、
モスクワ総主教庁系に
大修道院からの立ち退きを求めるデモが起きる事態となっていました
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