下の記事とは関係ありませんが、

 

老いや数字的な年齢とは関係なしに、

 

頭が、老いた、しかも頑固な中年以上の日本の社会の、

 

あまり、向上―――的とは思われない、人たちは、

 

もし、ある程度の格や地位などについているのなら、

 

後輩や

 

若年層に、譲るべきです。

 

政治家

 

企業の経営陣や、中間管理職

 

そういう、あまり、日本の未来にプラスにならない人たちは、

 

 

 

 

 

 

 

 

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NYタイムズも過激と評した「集団自決」論を説き続ける成田氏は何がしたいのか

ニューズウィーク日本版

<子どもたちにまで「老人が自動的にいなくなるシステム」が必要だと思わせる非道>

集団自決論は大量虐殺に結びつく(写真はイメージです) Boule-shutterstock.

先月のコラムで、イエール大学アシスタントプロフェッサーである成田悠輔の「集団自決」発言の問題性について取り扱った。今月12日に『ニューヨーク・タイムズ』が同発言を記事にしたことによって、この発言は再び注目されるようになった。同記事では成田氏は自分の発言は世代交代を表すメタファーだったと弁明している。彼とともにYouTubeチャンネル「日経テレ東大学」の番組『Re:Hack』でパーソナリティをつとめているひろゆき氏もTwitterで、記事では成田氏のメタファーが恣意的に切り取られていると擁護している。彼のように、『ニューヨーク・タイムズ』の記事が出て以降も成田氏を擁護するメディア関係者やファンは多い。

 

【藤崎剛人(ブロガー、ドイツ思想史)】 

 

 

 

 

【動画】「ジャッキーはどこだ?」後期高齢者バイデンのヤバい言動 

 

 

 

しかし先月のコラムでも指摘したように、「集団自決」発言はそれ自体が扇動的なメッセージとなりうるのであり、メタファーでは済まされない。また、これも先月のコラムで指摘しているが、成田氏は世代交代のメタファーではなく、福祉削減のために高齢者の自死を推奨するメッセージとして直接的に「集団自決」あるいは「切腹」いった表現を用いていることもある。『ニューヨーク・タイムズ』は成田氏の発言を「これ以上ないほど過激」と報道しており、ドイツの『シュピーゲル』紙など各国のメディアでも成田発言に関する同内容の後追い記事が出たが、今もなお日本の大手メディアは沈黙しており、成田氏を起用し続けている。これは恐ろしい事態なのだ。 「集団自決」を広げる動画 成田氏や彼に近い人たちは、「集団自決」発言はあくまでメタファーであるとしている。しかし、そのような弁護を空虚なものにするかのように、高齢者の生命を奪えというメッセージを、成田氏が子どもたちに対して実質的に発している決定的な動画が拡散されている。先述の番組『Re:Hack』における「小中高生20人vsひろゆき&成田」という企画だ。動画では成田氏の発言を追いかけているという少年が登場し、「成田さんはよく『老人は自害しろ』と言ってるじゃないですか。老人は実際退散した方がいいと思うんですよ日本から。老人が自動でいなくなるシステムをつくるとしたらどうやってつくりますか?」と質問する

 

 

責任を放棄した大人たち

普通の大人であれば、「そんな考えは絶対に持ってはいけない」と子どもを説諭するところだ。しかし成田氏は、自分は高齢者に自決を要求したのではなく、「切腹が社会保障改革の最短経路」と言ったことはあると前置きしたうえで、「(老人が自動でいなくなるシステムは)ありうる未来」だと述べる。そして、一定の年齢に達した高齢者の生命が奪われるいくつかの映画作品の設定に言及したのちに、「それが良いと思うなら、そういう社会を作るよう頑張ればよい」と伝えたのだった。 成田氏は、「老人が自動でいなくなるシステム」の善悪判断を保留する。しかしここは大人であれば、はっきりと悪であることを主張する場面だろう。彼が「老人は実際退散した方がいい」と主張した子供に対して「それが良いと思うなら、そういう社会を作るよう頑張ればよい」と事実上の後押しをしてしまった事実は重い。その場にいた子供たちは、社会システムとして大量虐殺を企図することは問題ないと学習してしまったのだ。 企画会場には、ひろゆき氏、番組プロデューサーの高橋弘樹氏を始め、何人かの大人たちがいた。しかし少なくともこの動画内では、この少年や周囲の子供たちに対して何らかのフォローがなされた形跡は見られなかった。高橋弘樹氏は、「日経テレ東大学」の看板番組に『Re:Hack』を企画し、成田悠輔氏を世に出した立役者ともいえる。その立役者は、大人としての責任を放棄した大人だったのだ。 「老人が自動でいなくなるシステム」 「老人が自動でいなくなるシステム」という少年が発した表現は、まさに20世紀以降の大量虐殺の本質をついている。だからこそ、この言葉は即座に否定されなければならなかった。ナチスのユダヤ人虐殺は、その虐殺という言葉の禍々しさとは裏腹に、工学的に洗練され効率的に人を殺すことができるシステムによって実行されていた。そのシステムを設計したのは、優秀な科学者やエンジニアであった。アウシュヴィッツ収容所は人間の理性や文明化過程の一つの帰結に他ならないと、ドイツの哲学者アドルノは述べた

 

 

 

 

 

自分では手を下さない

工学的に洗練された車や家電製品が美しいのと同様に、洗練された殺人システムには、ある目的に対して無駄なく完成されたものに対するある種の「美しさ」(が備わっている。「美しさ」というキーワードは、こうした大量殺戮のシステムには欠かせない要素だ。成田氏が福祉削減のため高齢者の抹殺を口にするとき、美化された文化としての「切腹」という言葉を用いているのもその一種だろう。彼が主観的には老人に自害を勧めていないというのは恐らく真実だろう。なぜならそれは自分の責任で老人を殺すことになる。成田氏はその代わりに切腹という「文化」を再評価する。切腹の美学を内面化した老人が増えれば、自分の手を汚さずとも老人は「自動でいなくなる」。成田悠輔が述べているのは、大量虐殺のために、切腹という美的システムを利用せよということなのだ。 メディアは成田氏の起用を説明すべき そして、このような美学の力を借りた洗練された虐殺システムを宣伝するのが、メディアの力だ。アドルノは、映画やラジオのような大衆メディアを、人々を資本に対して従順にさせる道具たる「文化産業」と呼んで批判した。現代の視点からはアドルノの批判はやや厳しすぎるとみなされているが、福祉削減のためにあっけらかんと高齢者の大量虐殺について語る成田悠輔のような人物を面白いからといって起用し、子供への悪影響も厭わない無責任なメディア関係者が跋扈する現状では、アドルノの「文化産業」批判にも再評価の余地があるだろう。 日本のメディア関係者は、「小中高生20人vsひろゆき&成田」の動画を見て、それでも成田氏をまだ起用するのかをよく考えるべきだ。もし起用するというのなら、この動画のやりとりについての見解を公開で表明してからにしてほしい。大量虐殺の扇動者を無責任に持ち上げてよいわけはないのだ

 

 

 

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