まさに、私が、ほぼ、毎日のごとく言っている、

 

犯罪は、しょせん行きつくところの、”起因”

 

は、

 

(道徳教育など総合的な)教育と、

 

貧困、

 

といっておりますが、

 

まさに、この元・犯罪者・容疑者が、証明しております。

 

刑務所で、「倫理」の本を読んで、自分の悪さを理解して、更生したのです。

 

 

よって、幼稚園から、大学院まで、

 

道徳/倫理(/マナー/エチケット)などの総合教育を、するべきなのです。

 

いじめや、いたずらが、ひどいクラスや学校では、

 

毎日、朝、1分間、

 

いじめはいけないよ!

 

昨日、いじめをされたと思った人は、

 

後で、私のところに、来なさい。

 

 

と、同じことを、毎日、1分間やれば、

 

まあ、いじめや、たちの悪い、いたずらは、60%は、減少するでしょう。

毎日、この1分ができないようでは、

 

校長も、教頭も、担任も、全ての先生も、全ての教育委員会の委員も、

 

人生を、やめなさい!

 

 

 

 

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逮捕されて安堵した」 懲役5年4カ月を受けた“闇バイト”主犯が語る罪悪感と恐怖心〈AERA〉

 

AERA dot.

「闇バイトは切り捨て」だと話すフナイムさん。自身が特殊詐欺の主犯格だった頃、現金を受け取る「受け子」と直接会うことはなかったという

 

 

 

 

  警察官に取り囲まれた日のことをよく覚えている。 「やっと終わったな」

 

 

 

 

  【写真】端から端までビッシリ…フナイムさんが服役中に書きためた「獄中ノート」はこちら

 

 

 

 

 特殊詐欺事件の主犯として活動していた男性(42)は安堵した。  23歳で“闇バイト”の世界に足を踏み入れ、詐欺行為を繰り返した。当初は「使われる側」だったが、いつの間にか「使う側」になっていた。35歳のとき、高齢者から金をだまし取ったとして、逮捕された。

 

 

 

懲役5年4カ月の実刑判決を受けた。

 

 

 

 

  服役中、妻からは手紙で離婚を言い渡された。2021年に刑期を終えたが、妻と子どもには今も会えていない。  出所後は、刑務所で呼ばれていた番号「2716」から、自らを「フナイム」と名乗り、その経験を語っている。「犯罪者」が口を開くことで、批判にさらされることもある。それでも発信を続けるのは、次の加害者を生みたくないからだという。  なぜ、闇バイトに手を出したのか。詐欺だと気づいても、なぜやめられなかったのか――。150分間にわたって、アエラの取材に応じた。

 

 

 

 

 *  *  * ――闇バイトに手を出したのは。  

 

俳優を目指しながら、水商売の仕事で生計を立てていました。あるとき、客の男性から「もっと稼げる昼のバイトがある」と誘われ、事務所についていった。それが「闇バイト」でした。 ――どんなことをしましたか。  

 

 

お金を必要としている人に融資をうたい、保証金を受け取る「融資保証金詐欺」です。

 

最初は合法だと聞かされていました。

 

研修を始めて2週間くらいして、詐欺なんじゃないかと思い始めました。 

 

 

――詐欺だと気づいてもやめようと思わなかったのですか。

  身分証のコピーを取られていましたし、暴力団の影もちらつかせてきました。飲みの場では「〇〇組の人がこういうことを言っていて」とあたかも付き合いがあるかのように話す。一度、屋形船の飲み会に参加したときは、暴力団の集まりなのか、指を詰めた人もいました。東京湾の花火の日だったかな。それに、お金の魔力にも取りつかれていました。 

 

 

 

 

――すでにたくさんお金を得ていたのですか。

  月50万~100万は稼げると言われて始めましたが、実際に受け取っていたのは月20万ほどでした。でも、研修先の従業員が毎月200万~300万円を現金で受け取る姿を間近で見て、自分もああなりたいと思った

 

 

 

 

 

―その事務所には長くいたのですか。

  2カ月で40万しかもらえなかったので、違うグループに移りました。ただ、どう頑張っても月30万ほどしかもらえない。

 

リスクに見合わないと言っても、「今は経費がかかるから」「表の会社を作ったら取締役にしてやるから」と理由をつけては流されました。そこには半年くらいいて、それから闇金にシフトしました。  

 

ただ、闇金の仕事は性に合わなかった。督促の電話をかけるときには、舌をまくらせて吠える(怒鳴る)必要があるのですが、それをしたくなかった。普通にお金を借りている人をだまして闇金に落とすというのも嫌で、この仕事を「辞める」と伝えました。 

 

 

 

 

 

■めくれないと詐欺じゃない ――スムーズに辞められましたか。

  引き留められはしましたが、バックをちらつかされることはありませんでした。25、26歳のときです。 ――犯罪から足を洗った。  はい。闇金をやめてからは、もう一度芸能の仕事を目指しました。当時同棲していた恋人がいて、結婚することになりました。ただ、芸能の仕事では食べていくことはできないし、昼間もしっかり働こうと考えていたとき、知人から昼の仕事の紹介を受けました。

 

 

 

 ――仕事内容は。  未公開株の販売業です。

 

 

 ――未公開株の販売ができるのは、その未公開株の発行会社や登録を受けた証券会社に限られています。  

犯罪にあたらないか確認しましたが、事務所を借りて所在も明らかにするし、投資事業組合を作ると言われました。なら大丈夫かなと。2カ月で月収が120万円を超えましたが、だんだんグレーだと感じ始めました。

 

 

 ――具体的には。

  未公開株の販売だけだと思っていましたが、「株を買いたい人がいる」とうたっていた相手が実は身内だったんです。マッチポンプのような手法で、本当は買いたい人なんて存在しない。めくれない(バレない)と詐欺じゃない。それでも32歳くらいまで続けていました。

 

 

 

 ――やめるきっかけは? 

 本当にやりたいことじゃないなと思ったんです。若いころ、よく海外に行っていたこともあり、役者がダメなら輸出入の仕事がしたかった。それで、実際に韓国で雑貨を買い付けてネットで販売することにしたんです。  ただ、売り上げは月に40万ほど。仕入れを引くと、お金はほとんど残らない。生活が圧迫され、どうしようと思ったときに未公開株の販売を誘ってきた知人から再び連絡がきました。

 

 

 

 ――今度は何の誘いでしたか。

  老人ホームの入居権の販売マニュアルがあるから、やってみないかと連絡がありました。やり方は未公開株のときと同じで、本当は入りたい人なんていない。でも、あたかもいるかのようにみせて、権利を販売する。お金に困っていたので、手を出してしまいました

 

 

 

 

 

 

――どんなことをしたんですか。

  自分を含めて、4人で動いていました。僕は電話をかける役で、後は金銭の受け取りをする「受け子」を取りまとめるリーダー、不動産の調達担当、そしてインフラ面を整える役割を担う人がいました。

 

 

 

 

 ――罪悪感はありましたか。

  電話でアポを取っているときは、不思議と罪悪感はありませんでした。ただ、相手がお金を受け子に渡す瞬間には「やってしまった」という気持ちが湧き上がってきました。変な高揚感というか、罪悪感がゾワッと押し寄せてくる。 

 

 

 

――やめようとは思わなかった。

  その罪悪感も受け子が逃げ切ったことがわかると、なくなってしまうんです。振り幅がすごいというか。罪悪感を抱いたときには、「悪いことをしているわけではない」「自分の将来や家族のために必要なんだ」と自分に言い聞かせていました。今思えばとても利己的でした。

 

 

 

 

 

 ――現在問題になっている広域強盗事件では、指示役がフィリピンから遠隔で指示をしていたといわれています。

フナイムさんは受け子と面識はありましたか。  受け子のリーダーが取りまとめていたので、僕は直接会ったことはありません。電話で声を聞く限り、30~40代くらいかなという印象でした。

 

 

 

 

 

 

 ■「やっと終わったな」 ――その後はどうなりましたか。

  高齢者から保証金をだまし取ったとして、2015年に逮捕されました。

 

ガサ入れの前日、販売マニュアルをくれた人から

「かけ子(電話をかける)グループと連絡が取れなくなっていて、たぶん捕まりました」

「そっちもやばいから片づけたほうがいい」

と電話がありました。それで、急いで他の3人を招集しました。

 

でも、受け子のリーダーが「お金を持っていこうとしているんじゃないか」と勘ぐり始め、その日は帰ることになりました。  

 

 

翌朝、事務所でパソコンや資料を処分していたら、急に外が騒がしくなった。

ルーフバルコニーや事務所の入り口ですごい足音がして、数十人の警察官に取り囲まれました。朝11時くらいだったと思います。受け子のリーダーともう一人は、事務所近くまできていたそうですが、様子がおかしいと思って逃げたそうです。

 

 

彼らは2カ月後に自首したと聞いています。

捕まってからは会っていません。

 

 

 

 ――逮捕されたとき、どう思いましたか。 

「やっと終わったな」という安堵感がありました。ただ、すぐに恐怖心が湧いてきました

 

 

 

――恐怖心とは具体的に。 

「両親や妻になんて言おうか」

「子どもの七五三には行けないな」

「ニュースに出てしまうだろうな」

とか、そんなことが頭をよぎりました。  

 

 

逮捕された翌朝、刑事さんから「奥さんが泣いていたぞ」と言われました。

ただ、そのときは「てめぇらが来たからだろ」としか思えなかった。留置場にぶちこまれてからも、ずっと他責思考のままでした。 

 

 

 

 

――どういうことですか。  

僕には学もないし、資格もない。

そんな自分が家族や周りの人を幸せにするには、詐欺は必要なことだったと本気で思っていたんです。

 

「僕がどういう思いで詐欺をしていたか、誰もわかっていない」と感じていました。

 

 

 

 

 

 ■刑を軽くすることだけ考えていた 

――被害者への申し訳なさはありましたか。  

妻や子どもに対して悪いという気持ちはありましたが、被害者の方への償いの気持ちはありませんでした。

 

 

 ――起訴され拘置所に移ってから、被害者への感情は変化していましたか。

  このときも申し訳ない気持ちはなく、刑を軽くすることだけを考えていました。

 

 

 

 

 ――判決は。  懲役5年4カ月の実刑判決でした。

刑務所に入ってすぐのころも、償いの気持ちをあまり持てていませんでした。ただ、高卒認定試験の勉強を始めて、自分の常識が世間と違うことに気づきました。 

 

 

 

――どんなところが違ったのですか。  

倫理の教科書を読んだのですが、最初は「たかが道徳でしょ」と軽くみていました。国語は得意だったし、余裕で理解できると思ったんです。なのに、書いてあることの意味がまったくわからなかったんです。 

 

 

 

――わからないとは、どういうことですか。  

きれいごとばかりだと思ったんです。何百年も前から当たり前のように言われていることなのに、どうして自分は違う考え方なんだろうと疑問を持ちました。なぜこんな考え方をしているのか不思議になり、1冊の教科書を4カ月くらいかけて何度も読み返しました。 

 

 

 

 

 

※記事の後半では、倫理の教科書を読み込むなかで利己的だった自分に気づき、被害者に謝罪の気持ちを抱くようになった心情や特殊詐欺への後悔について、聞いています。 <<妻の手紙から「大好きだよ」の言葉がなくなった 特殊詐欺の主犯格だった42歳男性の後悔>>に続く。 

 

(構成/編集部・福井しほ)

 

 

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