私も、数回、取り上げましたが、

 

私個人の視点(ポイントは、言いたいことは)

 

社長さん、これ(これらを見たことあるのでしょうか?)

 

この「中身が、”上げ底根性の”、スカスカのサンド」

 

を、見て、(知って)

 

これは、「ひどすぎる!」

 

と、思わなかったら、

 

「まあ、”まともな(常識のある)人間”、じゃあないですね!」

 

人間を、やめたほうが良いと思います。

 

 

「言い訳は、聞きません!」

 

(コストがとか、値段を、相当あげなくちゃあならないのでーーーー)

 

というのも聞きません。

 

大人の常識ある、

 

「超・大会社の社長として、”こういう、インチキ”をして」

 

”恥ずかしくないのか!”

 

と、言うコストや価格以前の、人間としての、”まともさ”

 

の、問題です。

 

中身を、世界の共通/常識的な分量

 

 

(アメリカでは、こういうのを、

いやいや、いや、

フェイクや、コピー商品や、偽物大国の、中国でも、超・田舎の

屋台の小汚い、爆安のお店でも、

はみ出るほど、たっぷり、はいっております、

タイなど、東南アジアや

中南米でも、食べ物の分量は、

(人殺しや、窃盗や、盗難が多い国であっても)

食べ物の分量は、ごまかしません。

(自動車会社が、効かない、安物品質のブレーキを、

コスト削減だからといって、

そこまでは、

それだけは、

品質をケチらない、ボーダーラインというものがあり、

それらと同じ、理屈です、

あるいは、そういうブレーキ(効くことは聞くがーーー)

を、3か月~半年しか持たないのを装備しないのも、

常識、世界の平均、というものがこの世には、あるのです)

 

 

食べ物の、分量に関して、ゴマかすは、

 

江戸時代までは、そういうことはなかった日本ですが、

 

だんだんと、明治の末期ごろより、

 

一部のおはずかしい、日本人たちが、やり始め、通例化し、一般化し、

 

常識となり、

 

一例が、

 

人生初めてのお泊りで行く、

 

小学校の林間学校などで、

 

「初めて、親が渡してくれた、お金で、買う商品」

 

”箱根のお土産屋” の、わさび付け”(上げ底の典型です)

この、80億人いる地球上で、食べ物の

 

分量を、ゴマ化すのは、

「世界で日本だけです」

 

 

―――――値段を、それ相応に、あげれば、いいだけです。、

 

-----「何?」----売れなくなる?(馬鹿言うんじゃないよ!)

 

売れなくなるということは、

 

全ての同じ同業者達が、これらの類似商品に対して、

 

50年以上も、

 

同じことをやってきたから、同価格・類似の価格帯

 

で、やってきたから、(消費者にその価格帯を、植え付け)

 

「こういうサンドイッチの値段というのが、(いくら、間違っていても)

 

一般価格となり」

 

その平均的、一般価格から高くなると、

 

売れなくなる。----自業自得です。

 

中身を今の2.2倍~2.7倍にして、

 

50円~70円、値上げして、売れなかったら、

 

その商品(群)を、廃版にすればよいのです。

 

自分たちの、”ゴマ化し”で、

 

長年、やってきたわけですから、

 

50円値上げしたら、売れなくなった!

 

まともなして、80円値上げしたら、売れなくなった。

 

 

は、「身から出た錆です」

 

 

 

 

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こういう、インチキの、

 

こういう、嘘八百の、慣習、

 

こういう張りぼての、習わし、

 

が、心底、”見についている”  世代、年代、会社の階級

 

 

要は、95%の、シニアや、45歳以上の、だめな人間たち。

 

 

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コンビニの「中身スカスカサンド」に外国人失望、“上げ底商法”は日本の伝統芸

 

ダイヤモンド・オンライン

写真はイメージです Photo:PIXTA

 

 

 

● スカスカサンドを見過ごしてきた日本社会の罪?

 

  <日本で初めてコンビニのサンドイッチを買うまで、

 

私は日本人を100%信用していました>  

 

 

日本で生活しているカナダ人の英語教師のツイートが注目を集めている。

 

これを投稿した「ArmstrongSensei」さんは、

日本のコンビニのサンドイッチが客に見える部分だけ具を入れているだけで、実際は中身がほとんど入っていない、と図解して訴えており、

 

16日時点でこの投稿は13.3万件の「いいね」がついている。  

 

 

ネット上では数年前からコンビニの弁当や惣菜が実際の量よりもかなり多く見せて売っている、といういわゆる「上げ底商法」が問題になっていた。

 

 

その代表が「スカスカサンドイッチ」、

または「ハリボテサンド」とネット上で呼ばれる商品だ。  

 

数年前、某大手コンビニチェーンのサンドイッチが炎上した。

というのは、陳列された時に客に見える側にだけ細長いハムや卵が入っていて、奥の方にはバターやマヨネーズすら塗られていないという指摘がSNSで相次いだのだ。

 

当時、競い合うようにアップされた画像を見ると、

今回の「ArmstrongSensei」さんが描いた図通りの構造となっている。

 

 

  つまり、ネット民の皆さんからすれば、このような「上げ底商法」というのはもう何年も前からも被害が報告されていた。

 

にもかかわらず、巨大企業がゆえ、おとがめなしでスルーされてきた不正というわけだ。

 

実際、2ちゃんねる創設者で実業家のひろゆき(西村博之)氏も、投稿を紹介した記事を貼り付けてこんな私見を述べている。  

 

「大手のコンビニですら客を騙す行為を問題だと感じてないし、日本人の多くも見過ごしてる。こうやって、少しづつ劣化していくんだろうなぁ、、と」  

 

 

しかし、このような意見に対して、

「コンビニを一方的に悪者にするようなもの言いが納得できない」というような人たちも少なからずいらっしゃる。  

コンビニがこういう「スカスカサンド」をつくってしまっている根本的な原因は、原料が高騰していくのに、日本人の賃金がなかなか上がらないので価格に転嫁ができないからだという。

 

 

要するに、批判すべきは「政治」や「経済政策」であって、

苦肉の策をするまで追いつめられているコンビニではないというのだ。  

ただ、これはかなりビミョーな話だ。  

日本人は忘れっぽいので、あたかもこのような「上げ底商法」が最近になって生まれたかのように錯覚をしているが、

 

実はこれは明治時代でも確認される日本の伝統的な商法だからだ

 

 

● 日本のお家芸「スカスカ」食品はもうかる?

 

  日本における食べ物の「上げ底商法」は、政治や経済はほとんど関係ない。

 

 

高度経済成長期、バブル経済、平成不況期などいつの時代も変わらない。事業者の規模も関係なく広まっている、極めて「ベタ」な売り方だ。  

 

例えば、高度経済成長期に問題なったのは、

デパートなどの「スカスカ贈答品」だった。  

お世話になった人の結婚、出産、引越しのお祝いとして、果物や食品、赤ちゃんの衣類などを購入したところ、店で見た時は商品がぎっしりと入っていたのに、実際は発泡スチロールや丸めた紙などが大量に詰め込まれ「上げ底」にされていた…という問題だ。実際の商品が少ししか入っていないというような「被害」が多数報告されて、当時の通産省が動かざるをえなくなった。

 

 

このことは『ゴテゴテ包装・上げ底追放 通産省やっと基準作り」

(読売新聞1972年5月18日)というニュースにもなった。

 

 

  国民の生活がもっと豊かになった80年代になると、観光地での「スカスカ土産」が問題になった。会社の同僚や家族に土産物を買ったところ、箱を開けてみたらやはり緩衝材などがたくさん詰め込まれて中身がほとんどないという「被害」が多発。以下のように、役所や自治体とのイタチごっこが始まった。

 

 

 ●「“上げ底”辛子明太子、中身たった35%もーー公取警告」(日本経済新聞西部 1980年7月29日) 

 

 

 

●「過大包装や上げ底で消費者惑わすなーー栃木県、単価表示などに県独自の基準作成」(日本経済新聞1982年6月12日)

 

  これらの「上げ底商法」は原料費高騰も円安も関係ない。

 

 

追いつめられての「苦肉の策」というよりも、それぞれの事業者がもうかるという理由が全てだろう。  つまり、コンビニのサンドイッチの「上げ底商法」も天下国家の問題ではなく、コンビニのFC本部がもうけたいから、そうやっているだけなのだ。  

 

 

では、そこで気になるのは、

 

なぜ日本の事業者はこのような「上げ底商法」に流れがちなのかということだろう

 

 

● 日本人がこじらせた「員数主義」  いろいろなご意見があるだろうが、筆者は日本人の「員数主義」をこじらせた結果だと考えている。  「員数主義」というのは簡単に言えば、「とにかく数字の帳尻さえ合うのであればどんなことをしてもいい、それが多少モラルを欠いたことでも問題ない」という考え方だ。  コンビニも土産物屋もなぜ「上げ底」をするのかというと、そっちの方が売れるからだ。中身に合わせた形で容器を小さくしたりすると売れない。かといって、大きな器に見合うように中身を増やすには値上げをしなくてはいけないので、やっぱり売れない。  つまり、想定している利益、売り上げをキープできるように、「粉飾」の一環として、「上げ底」をしているのだ。  そこにあるのは、消費者の嗜好とか企業のモラルとかは一切関係ない、企業内の売り上げの計算が想定していた予算通りに達成できるのかという視点のみだ。社会からどう見られるとか、顧客の信頼がどうとかという発想はなく、組織内の数字の論理しかない。これが「員数主義」だ。  筆者はこれまで報道対策アドバイザーとして、不祥事企業を間近に見る機会が多くあったが、データ改ざんなどの不正の現場で「員数主義」には何度もお目にかかった。謝罪会見の説明資料をつくるために、不正をした人々に原因を聞くと、「数字を合わせるため」という回答が返ってくることが圧倒的に多い。数字を合わせるためには、多少汚いことをするのは「必要悪」だというモラルの壊れっぷりなのだ。  しかし、実際にその人の働きぶりや人柄を見ると、「悪人」ではない。むしろ、会社に忠誠を誓い、我が身を粉にして働く、典型的な「マジメな日本人」なのだ。  この不可解な現象はなんだろうと考えてモヤモヤしていた時、評論家の山本七平氏の『一下級将校の見た帝国陸軍』(文春文庫)を読んで、「ああ、これか」とパッと目の前がひらけた。それが「員数主義」だ

 

 

 

● 見た目を変えずに中身を変える!数字を合わせる技  従軍経験もあった山本氏は同書の中で、軍隊内で行われていた帳簿上の数と現物の数とが一致しているかを調べる「員数検査」についてかなり触れている。  軍隊というのは、軍服から銃弾ひとつとっても、すべて天皇陛下からのありがたい支給品だ。ゆえに、紛失をしてしまうのは許されない大失態だ。もし「員数検査」で部隊に支給された物品の数が合わないようなことがあれば、検査担当者からこんな罵声が飛んできたという。 「バカヤロー、員数をつけてこい」  山本氏によれば、これは「他の部隊から盗んででも数を合わせろ」と暗に言っているのだ。この「員数合わせ」という名の犯罪行為は、いじめや体罰と同様、軍隊内では表向きはご法度だったが、現場レベルではまん延していた。 「盗みさえ公然なのだから、それ以外のあらゆる不正は許される。その不正の数々は省略するが、これは結局、外面的に辻褄が合ってさえいればよく、それを合わすための手段は問わないし、その内実が『無』すなわち廃品による数合わせであってもよいということである」  このロジックは、筆者が不祥事企業で不正に手を染める人たちが語っていることと、怖いくらい同じなのだ。外面的につじつまが合っていればいい。それが後にバレて大問題になるということも頭のどこかにはあるのだが、それよりも目の前の「員数合わせ」を優先してしまう。  とにかく、つじつまを合わせなければという強迫観念があるので、検査データをいじるし、数字を改ざんしてしまうことに、罪悪感が薄れてしまうのだ。  コンビニのサンドイッチも同じだ。サンドイッチの仕様を変えて売り上げを落とすわけにもいかないし、値上げなどもってのほかだ。そうなるとできるのはデータ改ざんなどと同じ「粉飾」しかない。  見た目は何も変わらないように、中の具をどんどん減らしていくのだ

 

 

 

ただ、カナダ人の英語教師のように、おかしいと感じる人がいるのも事実だ。思い当たる節のあるような企業はぜひ自分たちが「員数主義」に陥っていないか、ちょっとだけ我が身を振り返ってみてはいかがだろうか。  (ノンフィクションライター 窪田順生)

窪田順生