坂本九さんは(一曲だけですが)
真のアメリカでの成功者であり、勝利者ですが、
歴史上、唯一の日本人歌手です(俳優では、早川雪舟さん、のみ)
そのあと、真に、騒がれているのは、
下にご紹介した、2組のグループだけです。
後の日本人は、過去(戦後、77年、)
この2組を除いて、だれもおりません。
当たり前なのですが、
日本のかこのTV番組などを、調べましても、
(一例が、”マツコ・デラックスの番組”)
ほとんどは、日本のガールズバンド(15~20組くらい?)としての、
リスティングの一つに、紹介されているもので、
どれを見ましても、、
「このバンドは、海外でも活躍しているんですよ!」って、言う感じで、
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単なる、日本国内の女性バンドが、あまたある中で、単純に、
上記のような、こういう紹介だけで、
私が言うところの、、
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日本の音楽史上、戦後、77年、
アメリカで成功されたのは、未だに、坂本九さんのみで、
ライヴで、アメリカ各地で演奏し、
相当話題になったり、追っかけのファンがいるバンドは、
過去に、下の2組だけです。
それが、”少年ナイフ”
と、
”Band-Maid”
さんです。
とは、絶対に言いません。
要は、過去77年、日本に、
歌手や、グループが、数十万人、存在しても、
たったのお一人と2組だけです、
と言ってしまうと、
全ての日本の歌手とグループを、バカにしたことになるからです。
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平野は退所の理由を、
「自分の年齢と向き合ったときに海外で活躍できるグループを目指すのは、
もう遅いなと感じ、目標を失った」
と、説明
"完璧なアイドル"キンプリが抱えた「生きづらさ」 | テレビ | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース (toyokeizai.net)
唐突な話ではなかった
11月4日深夜、「King & Prince」(以下、キンプリ)の岸優太、平野紫耀、神宮寺勇太の3名が2023年にグループからの脱退、そしてジャニーズ事務所から退所することが発表された。2018年のデビューから5年の節目を迎えて、3人が去る――。
3人は海外進出への意欲が強かったと言われているが、そもそもグループのデビュー時から、海外進出という希望はあった。
「デビューする時から、海外で活動するというのを1つの夢として掲げさせてもらっています」
2019年に逝去した創業者のジャニー喜多川が存命していたときには、平野は世界進出という夢について、こう語っていた。
謙虚な自己評価と、世界進出という高い目標が組み合わさったとき、岸と平野の2人は、自分のいる場所と目標地点との差の距離に愕然としたのかもしれない
"完璧なアイドル"キンプリが抱えた「生きづらさ」 | テレビ | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース (toyokeizai.net)
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少年ナイフ(しょうねんナイフ、Shonen Knife)
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Internet Explorer 1.0 Commercial (1995)
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A short commercial used to advertise Microsoft's (new at the time) Internet Explorer browser that came with Microsoft Plus! for Windows 95
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RetroPixel98
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SHONEN KNIFE Late Night with Conan O Brien TV Show
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SHONEN KNIFE Late Night with Conan O Brien TV Show
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Steve Doyle
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Shonen Knife Encore - "Top of the World"
- Shonen Knife performs an encore at a summer concert under the Levitt Pavillion at the ArtsQuest Center at SteelStacks in Bethlehem, PA. (No copyright claimed.)
- VideoJourno
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- 正規メンバー
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- なおこ(山野直子、ボーカル・ギター・キーボード)
- あつこ(山野敦子、ベース・ボーカル・ドラム) ※定期的に参加
- りさ(ドラム・ボーカル・キーボード) ※ えみの後任で加入[5]
- サポートメンバー
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- なる(ベース・ボーカル)
- 旧メンバー
経歴[編集]
- 1981年、学生時代の同級生である山野直子と中谷美智枝、山野の妹の敦子の3人により大阪で結成。当時、山野直子と中谷美智枝はタイガー魔法瓶に勤務していた会社員だった。
- 1982年3月14日、大阪スタジオ・ワンにてファーストLIVE。入場者36人、入場料100円。
- 1982年8月15日、自主制作カセットテープ『みんなたのしく少年ナイフ』リリース。
- 1983年、インディーズレーベルよりアルバム『BURNING FARM』リリース。当時、日本のインディーズレコードの発掘に来たアメリカ、イギリスの音楽関係者によってレコードが海外に広まる。
- 1986年、アメリカでアルバム『PRETTY LITTLE BAKA GUY』をリリース。その後ライブ活動、コンピレーション・アルバムへの参加など海外での活動が多くなると共に、本国より海外での評価が高まっていく。
- 1992年、アルバム『Let's Knife』で国内メジャーデビュー。
- 少年ナイフのファンだったカート・コバーン率いるニルヴァーナと共に全英ツアーを行う。
- 1998年、国内海外両方で精力的に活動を続ける。またこの年に発表されたフルアルバム『HAPPY HOUR』ではジャケットデザインに当時まだ人気が出る前の奈良美智を起用し話題になる。テレビアニメ『アニメ週刊DX!みいファぷー』のエンディング曲に『バナナチップス』が使用される。
- 1999年2月、中谷美智枝が脱退。メンバーは姉妹二人になる。
- 1999年6月18日、シングル『飲茶楼で、めちゃうまかろう/はみがき』リリース(JT[飲茶楼]CMソング)
- 1999年9月、敦子がドラマーからベーシストになる。
- 2006年、ドラムにえつこ(元ピンクパンダー)が正式メンバーとして参加。
- 2008年、ベースにりつこ(元電気キャンディ)が正式メンバーとして参加。
- 少年ナイフのトリビュートアルバムにレッド・クロス、ソニック・ユースなど海外の大物アーティストが参加。
- ウェブサイト上であつこが結婚を発表。活動をロサンゼルスに移すことになりバンドから離れることに。ただし飛び入り参加などで今もライブに参加している。
- カーペンターズのトリビュート・アルバム『イフ・アイ・ワー・ア・カーペンター〜カーペンターズに捧ぐ』に参加した少年ナイフがカバーした曲「TOP OF THE WORLD」が米マイクロソフト社の全世界向けCMに使用される。日本では2005年にサントリーのチューハイのCMソングとして使われている。
- アメリカのテレビアニメーション「パワーパフガールズ」のテーマ曲に少年ナイフの曲「Buttercup (I'm A Super Girl)」が使用されている。
- 2015年4月、りつこが産休によりバンド活動を一時離脱し、6月のアメリカツアーにはバンドのオリジナルメンバーであるあつこが、5月と7月のライブではなるがサポートで復帰[8]。
- 2015年7月の国内ツアー「"712 DAY PARTY Tour 2015" SHONEN KNIFE」を最後にドラムのえみが脱退[6]。後任にBRINKYのドラマーでもある、りさが加入[5]。
- 2021年3月6日 大阪・心斎橋ANIMAにて、コロナ後の今年初ワンマン・ライブを席数限定で開催。なおこ(Vo/G)・りさ(Dr)・なる(Ba)りつこ(G)のツインギター4人スペシャル編成でのライブ。
- 2021年11月5日、りつこが脱退
Band Maid- Thrill - Seattle Oct 12, 2022