「日本の店で朝、昼、晩と食べて、すっかり恋をした」
美食の国・フランスの料理人たちは、なぜ日本の料理にこれほど惹かれるのか
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ル・モンド(フランス)
Text by Léo Pajon
日本ではフランス料理の人気が高い一方で、フランスでは日本料理を楽しむ人がとても多い。日本の食事の何がフランス人を──フランスの料理人たちを惹きつけるのだろうか? 実際に和食に魅せられた料理人たちの声を仏紙「ル・モンド」が報じた。
フランス料理とは対極にあった日本料理
流行りのビストロでは柚子の人気が再燃し、ラーメン店の数は爆発的に増加中だ(パリだけで約40店)。スーパーマーケットに行けば寿司だけが並ぶコーナーも珍しくない。フランスの食文化はいまやすっかり日本熱に浮かされているというべきなのか。
そんな問いをぶつけると、にっこり笑うのは増井千尋だ。30冊ほどの料理本の著者であるこの日本料理の専門家は、フランスの名店をしばしば訪れ、カバンから日本の食材を取り出しては興味津々のシェフたちに渡すという。
日本好きのシェフとは、食欲をそそる美しい本をこれまでに何冊か作ってきた。たとえば『クリストフ・プレ ル・クラランス』(未邦訳)。苦味のあるトレビスを赤シソと混ぜるレシピなどが載っている。
増井に言わせると、日本とフランスを結びつける美食のラブストーリーは、スシ・ショップで始まる束の間の恋のようなものではなく、長いロマンスの物語なのだという。
「日本が鎖国を終えて1868年に明治の時代が始まると、天皇は使節団を西洋に送り、自国の近代化のため、西洋諸国の優れたところを真似しようとしました。その際、美食の模範とされたのがフランスだったのです」
日仏両国の結びつきは、その後の歴史で深まっていく。とくにフランス側で日本料理への関心が急激に高まったのは1960年代だった。レイモン・オリヴェ(名店「ル・グラン・ヴェフール」で三つ星を獲得)を皮切りに、ピエール・トロワグロ、アラン・サンドランス、ポール・ボキューズなどの傑出した料理人が、地球の反対側である日本まで旅するようになったのだ。
増井は続ける。
「食材の鮮度に対する日本人のほとんど病的なこだわりに、フランスの料理人は感銘を受けたようです。それまでは味が悪くなった食材でも、ソースを多めにしてごまかしていましたからね。バターもクリームも使わない、シンプルさを突き詰めるところが当時のフランス料理とは対極にあり、そこにシェフたちは魅せられたのです」
その後も日仏の蜜月関係が続いた。それはパスカル・バルボやジェローム・バンクテルといった名料理人が、日本料理に関心を持ったところが大きい。バンクテルが初めて日本を旅したのは2006年だった。そのときの記憶が強く刻まれているからなのだろうか。このシェフに日本の話題を振れば、いまもその緑の瞳がきらめく。
「日本の店で朝、昼、晩と食べて、すっかりあの国に恋をしてしまいました。ありとあらゆるものを試しました。ラーメンも、寿司も、天ぷらも。大衆食堂も高級料理店もね」
バンクテルの二つ星の店「ル・ガブリエル」は、シャンゼリゼ大通りに近いホテルのなかにある。そこで供される料理は味わう人を遠い旅へ連れ出すものだ。コースの名称は「逗留」、「探訪」、「船旅」など。世界各地の味を予感させる名称だが、とりわけ日本料理の影響が際立つ。日本酒がライスプディングに加えられ、卵黄を溶くときに味噌を混ぜ、これを鮭の背身に使ったりする。
もっともバンクテルは、ただ日本料理のコピペをしているわけではない。
「味噌をソースに使うのは日本でも珍しくありませんが、マリネに使うのは私の独自の工夫です。日本人の猿真似をするのは能がありません。どのみち日本人の完璧さに到達できませんからね。それに味覚が違うのです。納豆を食べてみれば、私が言いたいことを納得できるはずです
「規律正しさ」に憧れて
日本の食材や調理用具にこだわるフェティシストも多い。フランスのレストランの厨房を覗けば、七輪や日本の包丁があることも珍しくない。菜箸を手放すことがないと豪語するティエリー・マルクスのようなシェフすらいる
だが日本料理の影響はもっと広いところまで及ぶ。日本に行ったことのない料理人までもが、その影響を受けるようになっているのだ。
たとえばクリスチャン・ル・スケールの厨房で修業を積んだ、カミーユ・サンムルーはその一人。謙虚だがエネルギーに溢れるこの若者は、「ヴィラ9トロワ」というパリ郊外モントルイユの丘の上にある不思議な店(オレンジを栽培する温室と鶏小屋と、レトロな内装のレストランが一つになった店)で「日本化」された料理を提供している。
彼が考案したのは、蕎麦茶風味のつぶ貝のタルト、味噌漬けにしたフォワグラ。それ以外にもワカメとカツオブシを使った一皿もある。
フランス西部のナント生まれのサンムルーは言う。
「最初は安藤忠雄などの日本の建築の巨匠に興味を持っていたのですが、次第に日本の料理にも関心を持つようになりました。建築と同じで、ラディカルなところや、シンプルだけれど奥が深いところがあります」
そんなサンムルーを厨房で支えるのが、日本人スーシェフのアイコ・ミツタケ。そしてサンムルーに言わせると、日本料理に魅了される人が多いのは世代的なものだ。
「いまの世代が求めるのはヘルシーで、消化のしやすい料理です。強い味はあまり求められていません。その意味で日本料理が期待に応えられるのです」
「私は以前、牡蛎や内臓肉が苦手だったのですが、日本料理のおかげでそういった食材の味を細やかに引き出せるようになりました。要はバランスのとり方を学ぶのです。私たちの店ではウニのアイスクリームを出していますが、ウニのヨード味は豚の脂で覆うことで制御しています」
日本人の規律正しさに憧れる完璧主義の料理人たちもいる。ロイック・ヴィルマンはその一人だ。
「日本では米の炊き方の基本を身に着けさせるのに、数年かけます。それにくらべるとフランス人は急ぎ過ぎなのです。フランスの料理人は技術を見せびらかしますが、日本の料理人はその逆で努力を隠します。フランス人の料理が足し算なのに対し、日本人の料理は引き算なのです」
このシェフの店「トウヤ」では、目標として掲げられているのが日本の卓越性だ。店名の「トウヤ」は、美味しい魚を堪能できる楽園ともいうべき北海道の地名に由来する。
店はフランス北東部モゼル県のフォルクモン村の外れにあり、大きな出窓からはゴルフコースが一望できる。ここで供される品々はどれも日本流の厳格さで調理されたものだ。
ヴィルマンはフランスの料理界の未熟な点をこう指摘する。
「食材の切り方、それから色彩や食感のハーモニーの水準が高くないことがフランスではときどきあります。それから日本流の接客には客への無限の尊重があります」
彼自身、いまも自分の料理をそぎ落とすことに力を注ぐ。たとえば店のメニューにある活け締めをした後に、長期熟成させたマスだ。口のなかでとろける食感を維持するため、食べる直前に1分半だけ火を通す。
「このマスにウィスキーを塗って、ブイヨンとピクルスを一緒に出しています。前はエシャロットのフライも添えていたのですが、それを取り除きました。いまは魚にいっそう向き合えるように、ピクルスをなくしたほうがいいのかどうかを迷っています
食べ物の根本に立ち返るきっかけに
フランスの料理人たちの「日本マニア」は当分おさまりそうにない。それはこの日本料理への熱が、食材や季節の尊重という大きなトレンドに根差したものだからだろう。
一つ星を最近獲得したばかりのパリ16区の高級レストラン「ベルフイユ」のジュリアン・デュマ(41)は、緻密かつ厳格、精神を集中した、まるでサムライの雰囲気をまとうシェフだ。
「大阪で衝撃を受けました。友人の助言で、非常に洗練された料理店で懐石を食べたのです。そのときハマグリと、ハマグリが食べる海藻を同じ皿に盛った一品がありました。それがきっかけで私は食材を環境ごととらえて調理するようになったのです」
では、どんな料理を作っているのか。「セザリエ山地の小川を渡る道」という、まるで俳句のような名がつけられた一皿は、口のなかでとろけるマスの切り身を、川の形をした二本のクリーミーな薬味の線が囲む。このクリーミーな薬味は、マスの養殖場の近くに生える行者ニンニクをベースに作ったものだ。
美食の国・フランスの料理人たちは、なぜ日本の料理にこれほど惹かれるのか | 「日本の店で朝、昼、晩と食べて、すっかり恋をした」 | クーリエ・ジャポン (courrier.jp)
そのほかにも、季節を大切にしているという。日本では季節は二十四節気七十二候に分けられる。さすがにジュリアン・デュマの店でも一年で72回もメニューを変えたりするようなことはしていないが、漁師たちの話に注意深く耳を傾け、旬の食材を最大限使うようにはしているという。
また、セーヌ・エ・マルヌ県の50ヘクタールの「ノンヴィルの農園」というブドウ畑と養蜂場と有機農場をまとめた農場で農作業をすることで、直接に季節の刺戟を受けることもできている。
デュマは言う。
「昔のフランス人はいまよりも季節に耳を傾けていました。そういった基本に立ち返れるように、日本人の料理人たちは、私たちを助けてくれているのです