40代になり、
”違った時間の使い方” を
したいと、考えるようになり、
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13年間勤めていた旅行会社を辞めて受け入れ
「30代の間は仕事と子育てを頑張ったつもりで、-----
『私にロシアのウクライナ侵攻の件で何か出来ることはないか』
と3月から考え始めてました」
(高橋想子さん)
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もう、2~3度、YouTubeの、ニュースに出ておりましたのですが、
やはり、超・素晴らしい実行力ですので、拍手を送りたいと思い、
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改めて、私のアメブロで、取り上げさせて、
いただきました。
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要は、(私の言いたいことは)
”えらい!”
です。
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(私の心情・信条で、あちこちで、このアメブロでも数回、何十回も、同じことを繰り返し言っておりますが、くどくて、ごめんなさい)
「人間は、”優しく”なかったら、”人”ではない!」
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親孝行と、
人だすけは、”人の道”です。
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40歳(?)のこの女性、
”素晴らしい決断力と、スピードの実行”です。
高橋想子さんに、もう一度、”BRAVO!!!!”
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ウクライナからの避難者受け入れ 身元保証人となった女性の“決断” 愛知 (22/07/05
ウクライナから避難して来る人たちを支援したい。身元保証人となり、仕事を辞めて個人での受け入れに取り組む愛知県の女性に、密着しました。 「まったく知らない」ウクライナの家族を支援へ 「面倒くさくないよ、何言ってんの。これ6個やるんだよ今から」と娘に話しているのは、愛知県安城市の主婦、高橋想子さんです。6月に、引っ越し業者が空き部屋へ運び込む荷物を、家族総出で整理していました。 「(住むのは)娘さん3人と夫婦の5人家族。ウクライナ・ハルキウから避難してきた家族。いまポーランドに住んでいて、きょうのフライトであす(12日)日本に到着します」(高橋想子さん) 迎え入れるのは、デルカッチさん一家の5人。ウクライナでは徴兵の可能性がある18歳から60歳までの男性は、原則出国が禁止されていますが、子どもが3人以上いる場合などは、例外的に認められています。 デルカッチさんと高橋さん。以前から知り合いだったのか聞いてみると… 返ってきたのは「まったく知らない方です」という予想外の答え。デルカッチさんとの交流は、SNSがきっかけだったといいます。 「SNSで知り合い、毎日何度も何度もやりとりしていますので。最初に話し始めたのが4月30日で、それから1カ月以上いろんな話をしていて、もう友達みたいな感じです」(高橋想子さん) 渡航のためのビザや仕事のほか、日本の社会保険制度についてなど、日本で生活する上で気になる情報を、何度もやりとりしたそうです。 「私は英文で。相手は込み入った話になると翻訳をかけて返してくれる。彼女にも子どもがいるので『私も同じくらいの歳の子がいるよ』と言うと、そうしたら彼女の子どもたちは、私の子どもたちの写真をとても気に入って、『(子どもたちが)日本に行きたいと言っています』となりました」(高橋想子さん) 旅行会社を辞めて受け入れ 長男「お母さんが急に『助けよう!』と…」 5月1日、デルカッチ・オレーナさんから「あなたの申し出がまだ有効なら日本に行きたい」とメッセージが入りました。 高橋さんは、13年間勤めていた旅行会社を辞め、デルカッチさん一家を受け入れる決断をしました。 「30代の間は仕事と子育てを頑張ったつもりで、40代になって違った時間の使い方をしたいと考えるようになった。『私にロシアのウクライナ侵攻の件で何か出来ることはないか』と3月から考え始めてました」(高橋想子さん) 子どもたちの反応は… 「お母さんが急に『助けよう!』と言うので、何をするのかも分からなかったし、第一感想はメチャクチャびっくりしました」(長男の悠都さん 12歳) 「パソコンをいつもパタパタしているのを見ていたので、忙しそうだなと思っていた。お母さんいいことするじゃんって感じです」(長女の仁子さん 8歳) “身元保証人”になるための手続きを始めた高橋さん。 渡航費や生活費などは、避難者への経済的な支援を行う日本財団に援助を求めました。 来日して、すぐに入居できるように、賃貸住宅を確保。寝具やエアコンなどは企業からの支援を受け、荷物の運搬は引っ越し業者が協力してくれました。 食器や家具は「ジモティー」で 地域交流サイトやSNSで広がる支援の輪 「炊飯器はジモティーです。皿もほとんどジモティー。(ティーカップは)フェイスブックですね」(高橋想子さん) 地域交流の掲示板サイト「ジモティー」などを利用して「日用品」の提供を広く呼びかけ。この日は、SNSで知り合った支援者の1人の浅井威宇さんが、食器を届けにきました。 浅井さんは「刈谷の人は友達だし、緑区の人はフェイスブックの仲間、岡崎の人はバイク仲間で協力してくれた。犬の散歩仲間からも『皿が何セットか用意してあるよ』って話があった」と言います。 家族をはじめ、たくさんの人たちとのつながりでウクライナの家族を迎え入れる準備が整いました。奮闘する高橋さんの姿に、夫の徹朗さんは。 「奥さんが『助けたい』と言わなきゃ、それこそ他人事として受け止めて動けなかった。そんな中、妻が動いてくれてやってくれていることで、僕自身も心が動く。子どもも心が動いてくれたら、『他人事じゃないよ』という感じになる」(夫の高橋徹朗さん 42歳) 来日したウクライナ家族の仕事探しにも協力 6月12日、デルカッチさん一家は、無事日本に到着しました。 夫のヴァレリさん、高橋さんと英文でやりとりを続けていた妻のオレーナさん、3人の子供たちも、新しい住まいが気に入った様子です。 ウクライナからの避難者は、入国管理局で手続きを行うと、在留カードが発行されます。地元の安城市役所で住民票を登録し、健康保険証や学校教育を受けるための手続きを行います。 やりとりで活躍するのは、翻訳機ですが…「子どもは何歳ですか?」との質問に、ヴァレリさんの答えを「6万1012」と誤翻訳!高橋さんたちは「6歳と10歳と12歳です」と笑います。 「私たちは、すべてが満足しています。ありがとうございます」(ヴァレリさん) 「みなさん、とてもフレンドリーで素敵です」(オレーナさん) 市役所から戻ると、日本人のお客さんが訪ねてきました。ウクライナでは、母国語とロシア語が使われています。ロシア語が話せる田代悠人さんが、SNSを通して高橋さんと知り合い、デルカッチさん一家に日本の生活や文化を伝えることになりました。 一方、高橋さんの娘の仁子さんは、すっかり3人の姉妹と仲良くなりました。 夫のヴァレリさんは「約10年前からリノベーションをやっています」とウクライナで住宅や施設などの内装デザインや施工に携わっていました。仕事道具を持って来日したヴァレリさんのため、高橋さんは仕事探しにも協力しています。 一方、妻のオレーナさんも絵を描くなど、芸術的な活動を続けてきました。高橋さんのすすめもあり、これまで携わっていたネイルアートの仕事を始めています。 2組目のウクライナ避難者の受け入れも そして高橋さんにも新たな動きが… 「ロンドンに避難中のウクライナ人で、SNSで『日本に来ませんか』と呼びかけたところ『行きたいです』と話してきた相手です」(高橋想子さん 6月23日) イギリスに避難していた、別のウクライナ人女性を受け入れる準備を進めていたのです。 出迎えのため、名古屋駅へ。 この日、来日したのは、チャイコフスカ・オレーナさんです。個人で取り組む、ウクライナ避難者の支援。2組を受け入れた今、改めて思いを聞くと… 「身元保証人は一定の責任はあるし、それよりも、彼らが日本にきた時に心地よく生活してもらえないと申し訳ないので、そのために出来る限りのことをやろうという気持ちはありましたし、それは今でもあります」(高橋想子さん) 高橋さんは「ウクライナに残っている家族が食料を買えるよう。クラウドファンディングでお金を支援したい」と話して、“現地へ行かなくても出来る支援のカタチ”として、取り組み始めています。 (7月5日 15:40~放送 メ~テレ『アップ!』よ