モスクワに残っていた、ほとんど最後のアメリカ人のロシア脱出記

ニューズウィーク日本版

ウクライナ侵攻前にロシアの友人から送られた「メッセージ」に胸騒ぎを覚えた

傷心の離陸(モスクワのシェレメチェボ国際空港、イメージ) REUTERS/Stringer/File Photo

 

 

 

 

昨年の妻への誕生日プレゼントは、ロシアの国内旅行だった。行き先に決めたのは、ダゲスタン共和国。そこはアメリカ政府からはっきりと「渡航するなかれ」との御触れが出ている地域だった。アメリカ市民にとってはテロや誘拐などの不安要素が多いからだ。

 

 

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私が客員教授を務めるロシアの大学の総長に旅行のことを伝えると、彼は渡航中止を求めつつも、ダゲスタンの知事に連絡を取り、私たちが安全に旅行ができるよう取り計らってくれた。その旅行は妻への誕生日プレゼントだけではなく、生後1カ月の娘にとって初めての旅行でもあったからだ。 こうしたことから、在ロシア米大使館は昨年の年末年始から定期的に私に注意喚起を行っていた。アメリカ人を標的にした意図的な逮捕や、折から始まっていたロシア軍の不気味な動きを懸念していたからだ。それでも私は聞く耳を持たず、モスクワに残る最後のアメリカ人の1人で居続けていた。 私は旅行に関して不思議な予知能力を持っていると、ロシア出身の妻はよく冗談を言う。これまでいつも土壇場の計画変更により、奇跡的に自然災害や旅客機の遅れをことごとく回避してきた。 2020年には、新型コロナのパンデミックでロシア政府が国境を閉ざす前の最後の旅客便でワシントンからモスクワに到着した。当初の予定では、4日後の旅客便でワシントンをたつ予定だった。もしこのとき計画を前倒ししていなければ、私はロシアで娘の誕生に立ち会えず、妻と約1年間離れ離れになるところだった。 私がロシアを講義で頻繁に訪れるようになった最初の頃は、入国審査でかなり厳しい対応を受けたものだ。たいてい別室に連行されて、パスポートを念入りにチェックされた。 それでも、この6年ほどは審査をすんなり通過できていた。ロシアの入管職員はいつも親切だったし、一般のイメージに反してにこやかに接してくれた。 ところが、この2月にワシントンからモスクワの空港に到着し、タクシーに乗ろうとすると、乱暴に腕をつかまれた。入管職員は私の荷物をくまなくチェックした。その目には激しい怒りの感情が見て取れた。ロシアのウクライナ侵攻が始まったのは、その数日後のことだった。 そんなとき、ロシア人の親しい友人がある記事を送ってきた。記事によると、アメリカ人の男性がロシア当局に身柄を拘束されていて、結核の疑いがあるのに治療を受けられずにいるとのことだった。 その友人にはいつも、「君はKGBの人間で私の行動を逐一報告するために一緒にいるんだろう」と、冗談を言っていた。彼も、「そっちこそCIAなんだろう」と冗談を返したものだ。 その彼から送られて来た記事を、私は何かの合図だと受け止めた。それまで在ロシア米大使館の警告に従わずモスクワにとどまり続けていたが、このときは胸騒ぎがしたからだ。 ワシントンで欠席できない授業があったこともあり、アメリカに帰国する道を確保するため、アルメニアへの旅客便を予約した。ちょうど、西側諸国の航空会社がロシア行きの便を中断し始めたタイミングだった

 

 

 

傷心と憂鬱と敗北感と

いま思うと、これは私がロシアから脱出できる最後の民間国際便だった可能性がある。 私はいま深い悲しみの気持ちと共に、この文章を書いている。連日痛ましいニュースが続くなか、妻はウクライナで暮らす祖父母の安否を確認するために、強い不安にさいなまれながら電話をかけている。 敗北感も抱かずにいられない。12年前にロシアの大学で教え始めたときは、米ロの地政学的対立を乗り越えて強力な2国間関係を築くための橋渡し役を担いたいと思っていた。 そのときの学長は、いま身柄を拘束されている。私がロシア国家経済・公共政策大統領アカデミーで最初に教えた教育プログラムは、ロシア検察当局により「ロシアの価値観を破壊している」と名指しされた。 今回、私はロシアを離れるときに自分の写真を1枚撮った。二度とロシアの土を踏むことがないかのように。その写真を見ると、私の顔には傷心と憂鬱の感情がはっきりと見て取れる。 けれども、ロシア出国便に搭乗してモスクワをたつと、この喪失感と敗北感を新しい力の源にすべきなのかもしれないと思えてきた。 作家キャスリン・シュルツのエッセーの、私の好きな一節にはこうある。 「消滅は物事に目を留めることの大切さを、儚はかなさは物事を慈しむことの大切さを、脆(もろ)さは物事を守ることの大切さを教えてくれる。喪失は、私たちが良心にのっとった行動を取るきっかけになる。その経験は、限りある人生を最善の形で生きるよう私たちに促す」 「人生は短い。目に入るもの全てに注意深く向き合ったほうがいい。尊いと感じるものを尊重し、人生で遭遇する全てのものが──まだ出会っていないものも、既に過ぎ去ったものも含めて──自分と切り離せない関係にあると気付くようにしよう。目を開こう。私たちは立ち止まるために生きているのではない」

サム・ポトリッキオ(本誌コラムニスト

 

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