天照大神に仕えた皇女「斎王」の宮殿 建物群の全容ほぼ判明

 
斎宮の施設のミニチュア模型が並ぶ=三重県明和町
斎宮の施設のミニチュア模型が並ぶ=三重県明和町

古代から中世にかけ、天皇に代わって伊勢神宮にまつられる天照大神(あまてらすおおみかみ)に仕えた皇女「斎王」の宮殿があったとされる三重県明和町の「斎宮跡」(国の史跡)で出土した飛鳥時代後期(7世紀後半~8世紀初め)の建物などの遺構。正殿とみられる建物は南北両側にひさしを持つ、格式の高い構造だったことなどがわかり、塀区画内の建物群のほぼ全貌が明らかになった。建設時期は制度化された最初の斎王とされる天武天皇の娘、大来(おおく、大伯)皇女(661~701年)が伊勢に赴いた時期に近く、こうした建物は初期斎宮の中枢で、祭祀(さいし)・儀式に関わる重要施設だった可能性が指摘される。一方で、「コ」の字形に並ぶ建物のレイアウトは、役所を思わせるとの見方もあり、建物の性格をめぐる議論は今後も続くことになりそうだ

 

 

 

ひさし持つ正殿

飛鳥時代の建物遺構が確認されているのは、史跡の西部で近鉄山田線の線路北側。これまでの調査で、掘っ立て柱塀の柱穴が確認されて以降、次々と建物遺構などが見つかり、今年度の調査では、中心部に位置する正殿や脇殿の建物遺構の構造や規模が判明。正殿は南北両面にひさしを持つ建物だったことが分かった。出土した土師器(はじき)や須恵器の年代観から、飛鳥時代後期の遺構と確認されている。

これまでの調査と合わせ、飛鳥時代の施設は、東西約40メートル、南北55メートル以上の長方形の掘っ立て柱塀に囲まれており、塀の東西両側にそれぞれ四脚門を設置。その内側は、北側中央に両面ひさしを持つ、東西約13・2メートル、南北約10・4メートルの掘っ立て柱建物を配置。施設の中心で正殿とみられる。その両側には、それぞれ南北約13・6メートル、東西約4・9メートルの細長い建物が2、3棟ずつ縦列に並ぶ。東側は「東第一堂」「東第二堂」…、西側は「西第一堂」「西第二堂」…、と呼んでいる。正殿と東第一堂の間、東第二堂の前には、目隠し塀とみられる遺構があった

 

 

 

【歴史シアター】天照大神に仕えた皇女「斎王」の宮殿 建物群の全容ほぼ判明 - 産経ニュース (sankei.com)