キエフから西の、ジトーミルは、

 

先日、帰還しました、樺太から、ウクライナに定住しました、

 

”あの降旗さん”(”竹”冠の、降籏さんが、正しいようです?)

 

も、お住まいだった、町です。

 

 

 

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バッグには「数日分の着替え」だけ…母と3歳の娘、ウクライナから日本へ 11日間1万キロの避難

西日本新聞

避難してきたエカテリーナ・チャプリンシカさんと(右)とアナスタシアちゃん(中央)を笑顔で出迎える中島スビツラーナさん=16日正午すぎ、関西空港

 

 

 

 ブロンドヘアの姉妹が、関西空港のロビーで抱き合った。姉の胸に顔をうずめた妹は、激しい空爆が続くウクライナから3歳の娘の手を引いて、11日間、1万キロを逃れてきた。バッグに詰めることができたのは「数日分の着替え」だけ。姉が日本人の夫と暮らす福岡県田川市へ、姉の車で向かった。田川と関空の往復に記者も同行した。

 

 

  【写真】福岡県田川市へ向かう途中、止めた車の中で安心して眠る親子  

 

 

妹は、ウクライナ人のエカテリーナ・チャプリンシカさん(30)。今月16日、国際線の到着口で姉の顔を見つけて「ほっとした」。でも表情は暗い。スマートフォンに登録した現地の空襲警報は鳴り続け、故郷に残る両親と夫が心配という。そのそばで、「外国旅行よ」と聞かされている娘のアナスタシアちゃんが屈託のない笑顔を見せた。  姉妹の故郷は、ウクライナの首都キエフから西約150キロにある人口30万人ほどの地方都市ジトーミル。軍の基地があるため、連日、ロシア軍の激しい攻撃を受けている。

「夫と離れたくない」

 「夫と離れたくない」  ロシアが2月24日に軍事侵攻を始めた当初、エカテリーナさんは国外避難をためらった。姉の中島スビツラーナさん(39)が「安全な日本に来て」と求めたが、ウクライナ政府は総動員令を出しており、18~60歳の男性の出国を禁止している。国外避難は夫(33)との別れを意味した。  3月になって状況は悪化する。軍事施設を標的にすると主張するロシア軍の爆撃は、官公庁、病院、住宅地…と無差別化の様相を呈してきた。昼も夜も、空襲警報は鳴りやまない。

 

2日夜、ジトーミル市内の総合病院付近にミサイルが着弾。産婦人科病棟が大きな被害を受けた。

 

 

公式発表はないが、会員制交流サイト(SNS)では

「多くの妊産婦や新生児が死傷した」との情報が流れた。

  「このままだとアナスタシアの未来を奪うことになりかねない。避難は親としての責任よ」。

スビツラーナさんの言葉に背中を押され、5日早朝、バッグに着替えを詰めて娘を連れ、父セルゲイ・チャプリンスキーさん(61)の運転でポーランドを目指した。

国境に近づくほど渋滞はひどくなり、首都ワルシャワに着いたのは翌日の夕方だった

 

 

ポーランド人の女性「とても人ごととは思えない」

 食料や水が提供された。避難民の宿泊に自宅を提供する市民も多く、部屋を貸してくれたポーランド人の女性は「とても人ごととは思えない」と親身になって世話をしてくれた。「ロシア人に何度も侵略された歴史を持つ国民同士。連帯感のようなものかな」とエカテリーナさんは考える。  ウクライナ大使館には連日、着の身着のまま逃げてきたウクライナ人がパスポートを求める長蛇の列ができた。15日早朝、ワルシャワ・ショパン空港まで送ってくれた父は、母タチアナさん(58)がいるジトーミルへ戻った。母は「ここは私たちの土地。わが家がミサイルで破壊される時は、死ぬ時」と避難を拒んだ。

「何とか両親を説得して、日本に呼び寄せたい」

 寒さが緩んできたとはいえ、夜は氷点下10度近くまで下がる。ロシア軍の攻撃で停電も増えてきている。  エカテリーナさんは娘と一緒に、しばらく姉宅に身を寄せるつもりだ。田川市も支援に前向きな姿勢を示しており、姉妹は「何とか両親を説得して、日本に呼び寄せたい」と願う。  田川に来て1週間。ロシア軍は侵攻をやめず、ここ数日は南東部マリウポリへの攻撃が激化、市民の犠牲が増え続けていると報道される。状況はジトーミルも同じ。手元のスマホの警報音はこの瞬間も多くの命が奪われている、そんなやるせない現実を告げている。  (吉川文敬

 

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