岸田さん、

 

降旗さんに、”勲章を授与しなさい!”

 

 

 

 

2度の戦争に翻弄された78歳 ウクライナ脱出し母国日本へ

TBS News

 

今回ウクライナから避難した人の中には、第二次世界大戦、そして今回のロシア侵攻と2度の戦争に人生を翻弄された78歳の日本人男性がいます。 ウクライナから車で30時間以上かけ国境を越え、ポーランドに到着した降旗英捷さん(78)。 ウクライナから避難 降旗英捷さん 「とても大変でした。ウクライナに残りたかったです」 孫の家族らとともに避難してきました。 ウクライナから避難 降旗英捷さん 「治安の良いところに連れていって、戦争が終わるまでそこに住んでほしいです」 これから向かおうとしているのは母国、日本。降旗さんは終戦後、サハリン=元の樺太に取り残された残留日本人なのです。1945年8月、ソ連が当時日本だった樺太南部を占領した時、降旗さんは2才。一家は帰国を認められず、両親は再び日本の地を踏むことができないまま亡くなりました。 ウクライナから避難 降旗英捷さん 「子どもの頃、差別されました。日本人でありロシア人ではなかったから」 過酷な幼少期を過ごしましたが、ポーランド人の妻と結婚してウクライナに移り住み、機械工をしながら幸せな家庭を築きました。妻と息子の死後、孫が住むジトーミルで暮らしていた降旗さんですが、ロシア軍の侵攻で街は何度もミサイル攻撃を受けました。 ウクライナから避難 降旗英捷さん 「ジトーミルは良い街ですが、今はサイレンやミサイルの音が響き渡り、病院と学校も空爆されました」 そして降旗さんはウクライナを出国することに。期限切れのパスポートを手にして緊急の出国。不安を抱えながら、ポーランドの日本大使館で日本のビザを申請しました。 降旗さんの孫の妻 インナさん 「最後まで信じられませんでした。もっと時間がかかると思いました」 降旗さんのひ孫、ソフィアちゃん(2)。ウクライナではいま、18歳から60歳の男性は出国出来ないため、ソフィアちゃんの父で降旗さんの孫でもあるデニスさん(30)とは離ればなれです。 ソフィアちゃんの父親 デニスさん 「心は晴れませんが、私は自分の国を守る準備はできています」 降旗さんにとってウクライナは自身を受け入れてくれた特別な国。「戦争が終わったらまた戻りたい」と話します。 ウクライナから避難 降旗英捷さん 「ウクライナは第二の祖国であり、家族です。ウクライナのために私は戦争にだって行くことができます」 2度も戦争に人生を翻弄された降旗さん。ウクライナで築いた大切な家族とともにあす、日本に向け出発します。 ▼TBS NEWS 公式サイト https://news.tbs.co.jp/index.html ▼TBS NEWS 公式SNS     ◇Twitter  https://twitter.com/tbs_news?s=20    ◇Facebook  https://www.facebook.com/tbsnews   ◇note  https://note.com/tbsnews   ◇TikTok  https://www.tiktok.com/@tbsnews?lang=ja   ◇instagram  https://www.instagram.com/tbsnews_insta/ ▼チャンネル登録をお願いします! http://www.youtube.com/channel/UC6AG8... ▼情報提供はこちらから「TBSインサイダーズ」 https://news.tbs.co.jp/newsi_sp/tbs-i... ▼映像提供はこちらから「TBSスクープ投稿」 https://news.tbs.co.jp/newsi_sp/toukou/ (17日15:29

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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十数年前から、ずっと、この方のことは、日本のTVで、存じ上げておりましたが、

 

再び、このような形での、TVで、お目にかかるとは、「涙が出て、止まりませんです」

 

何もしないで、通り過ごしたら、「岸田さん、あなたの人生の汚点になりますよ!」

 

政府でも、党でも、何もできないのなら、あなたの個人の給料からでも、

 

お食事や、何か、ご招待しなさい!

 

存命の方々の中で、

 

ソ連関連で、これほどまでに、苦労された方は

 

ほとんど、私は、存じ上げません。

 

 

”本当に、涙が出て、止まりません”

 

 

もう、お年です。

 

国から、(国民年金ではなく)厚生年金を上げなさい。

 

 

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「すごく幸せ」ウクライナから日本へ避難 空港で涙の再会(2022年3月19日

 
ウクライナからの避難者を受け入れている日本。16日までに、73人が入国しています。  キエフから避難してくる母を待つ女性:「私の母がここに来ますので、迎えに来ました。そんな理由(戦争からの避難)で会うのが悲しい気持ちもありますし、どうなるか分からないし、会うこと自体がすごく幸せ。日本に感謝しています」  空港に駆け付けた男性と女性。ウクライナから避難してくる兄弟がまもなく到着するといいます。  妹・畠山レイ子さん:「戦争が始まったから、もう会えないと思っていた。もう言葉も出ない。心臓がドキドキしている」  兄・降籏信捷さん:「弟が日本に来られて、本当にうれしいです」  降籏英捷さん(78)は日本への帰国を切望していました。  1943年、太平洋戦争の真っただ中に生まれた英捷さん。当時、一家が暮らしていたのが「樺太」です。  終戦を迎えたのは英捷さんが2歳になるころ。樺太にいた大半の日本人は本土に引き上げましたが、降旗さん一家は引き上げることができず、旧ソ連での厳しい生活を余儀なくされました。  その後、英捷さんは現地で就職。結婚を経て、妻の出身地であるウクライナに移住しました。  兄妹は20年ほど前に日本へ帰国しましたが、英捷さんだけはウクライナにとどまったのです。  そんななか、英捷さんが生活していたのはキエフの西に位置するジトーミル。ロシアによる軍事侵攻で激しい攻撃を受けた都市です。  命からがら避難した英捷さん。ポーランドを経由して19日午後、家族とともにようやく日本にたどり着いたのです。  ウクライナから避難・降籏英捷さん:「兄も妹も出迎えてくれておりまして、今回は私とともに家族も一緒に来ています。家族も元気で喜んでいます」 [テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp
 
 
ANN News
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