法隆寺は再建か 一大論争も起きた謎多き「太子のみてら」
太子信仰の聖地、法隆寺。聖徳太子創建とされ、飛鳥時代の文化財の宝庫だ。ただ、現在の建物は太子が建てた当初のものではない。没後50年ほど後に火災で焼失し、再建に取りかかって8世紀初めに完成した。かつて再建か非再建かをめぐる一大論争があったのはご存じだろうか。今も昔も太子をめぐる論争が絶えないのは、その存在あればこそともいえる。
「あかつきに法隆寺が焼けた」
「太子のみてら」と呼ばれる法隆寺は謎多き寺だ。創建の時期や仏像の由来など、今でもさまざまな議論がある。なかでも近現代、大きな謎だったのが「日本書紀」天智9(670)年4月30日の記事だ。
〈あかつきに法隆寺が焼けた。一屋も余すことがなかった。雨が降って、雷が鳴った〉
落雷だろうか、最古の正史は「全焼した」と記す。とすると、今ある寺は後の再建ということになるが、長く被災記事が疑われ、法隆寺は太子創建のままだと信じられてきた。