こんな小国と、比較すること自体間違っている
とか、
政治体制が、著しく異なる、
とか、
民主主義の観念が、相違する、
とか、
何とか、
ではなくて、
菅総理、少しは、他国を勉強したほうがよいのではないでしょうか?
菅総理は、目つきが、おどおどして、気が弱そうに、見られますが、
実際は、
顔に似合わず、「相当頑固で、石頭ですが」
成功しているのなら、それはそれで、まあ、イイか!???
という感じですが、
成功していない(実績を上げていない)人間が、
頑固、石頭、創造性ゼロ、他人の意見を取り入れない
では、日本一のリーダーとしては、、最低です。
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シンガポールの「夜の公民館」、最終フライト コロナ下のスナックとサン=テグジュペリ
或る経営者の決断
「夜間飛行」経営者の井村亜矢さん(左)とママの敦子さん(谷口功一さん提供)【時事通信社】
5月にとうとう親しくしているスナックが閉店を決めた。シンガポールの「夜間飛行」という店だ。最初、サン=テグジュペリの小説から採られた店名かと思ったのだが、実は、ちあきなおみの名曲から採られた店名と知りうれしくなったのも、もはや懐かしい思い出だが。(東京都立大教授 谷口功一)
仕事でシンガポールに行く際、たまたまネットで見つけて以来、実際にお店にもお邪魔し、帰国後も懇意にしていたのだが、経営者の井村亜矢さんから、5月の或る日、閉店の決断をしたという知らせをもらった。
コロナ防疫の優等生とされるシンガポールではあるが、この間、サーキットブレイカー(ロックダウンにあたるもの)を経験し、日本とは比較にならない強力な法的規制の下、飲食店は厳しい状況を経験して来た。今年5月、2度目の店内飲食を禁止する規制の実施が発表された際、井村さんが閉店を心決めするきっかけになった、或る光景があったという。
「夜間飛行」は、コロナ禍に襲われて以降も、やれることはやり尽くしたと言ってもよいほど果敢にさまざまなことを試みて来た店だった。テイクアウトやデリバリーは言うに及ばず、未来ボトルからオンラインスナックに至るまで、コロナ禍の下でスナックとして出来ることはほぼ全てやり尽くして踏ん張ってきた。店内飲食が可能な時期は、限られたお客が店を支えるためにものすごい頻度で来店してくれたりもしたが、「夜の公民館」を目指した井村さんの当初の開店の志から、店の姿は離れてゆくばかりの日々だった。
今年5月、多くの常連に惜しまれながら閉店した「夜間飛行」(谷口功一さん提供)【時事通信社】
日本人駐在員を中心とした顧客層だけでなく、地元のシンガポール人にも更に楽しんでもらえるようにと今年の4月から店の体制を抜本的に改革し、さぁ新しいスタートを切ろうとしていた矢先、再び市中感染が拡大し始め、5月14日、本格リニューアルオープンの当日に再度の店内飲食禁止の実施が公式に予告された。2日後の16日から全土で店内飲食は禁止となったが、そんな中、街を歩いていた井村さんは“或る光景”を目にした。それは、前回のサーキットブレイカー時は社会全体が停止していたのに対し、今回は飲食店と屋内ジム以外の社会は全て普段どおりに動いており、自分たちだけが時間を強制停止されたように孤絶した光景だった。「二度あることは三度ある…」と悟った井村さんは18日に閉店を決めた。
その後は驚くべき速度でスムーズに閉店にまつわる諸々が進み、残ったボトルの在庫処分会も飛ぶような売れ行きで、ビール1本、サキイカひと一切れも残らないほど店のモノは何もかも売れ尽くした。閉店を惜しむお客さんたちからの餞別会場のようになったのだった。閉店を決めてから3日後には全ての残務処理が終わり、6日後の24日にはテナントの大家さんに店の鍵を返しに行ったところ、「いつでも戻って来てね」と言われ、店を閉じることにはなったものの「自分がやってきた商売は間違っていなかった」と井村さんは思ったのだった。
以上の話は、それから更に2日後の5月26日にZoomでシンガポールの井村さんから直接聞いた話なのだが、電光石火とも言える見事な幕引きは、正直すがすがしい程に天晴れなもので、井村さんの経営者としての徳に感じ入る話でさえあった
為政者の真摯さあってこその強力規制
シンガポールのリー・シェンロン首相。サーキットブレーカー実施の際、国民に協力を呼び掛けた姿が話題に【EPA時事】
今回このシンガポールのスナックの閉店という、やや変わり種の話をしたのは、私がこの話を聞いて深く思うところがあったからだ。
日本国内のスナックをはじめとする飲食店も、この間、長過ぎる出口の見えない苦境にあえいできたが、実のところ、知人づてに自ら命を絶った店主の話を聞くことも少なからずあった。ニュースにはならないが、日本中で同様のことが起こっているだろうことは想像に難くない。だからこそなのだが、この「夜間飛行」の見事な幕引きを知り、ここまで華麗に終わる必要は全くないものの「命あってこその物種」、「命大事に」と心から思ったのだった。敢えて閉店する勇気というのもあるのかもしれない。
井村さんは、全てが終わったあと、形としてのお店は無くなってしまったが、「夜間飛行」は自分とお客さんたちの心の中に残っていると話していた。これはよくあるおためごかしではなく、サン=テグジュペリの『夜間飛行』のラストと同様、悲劇を乗り越え、まごころの「郵便飛行」は続行されるのである。
なお、シンガポールは周知の通り、強力な国家統制(強制)に基づく水も漏らさぬ防疫体制を敷き、この間、称賛を集めて来たわけだが、それは我々の政治体制とは異なる素地の下で遂行されたものであって、すぐにそのまま参考に出来るものではない。ただ、サーキットブレイカーなどが発令されるたびにリー・シェンロン首相が行った国民への呼び掛けの動画を観た私は、言葉を尽くして国民に寄り添い、なぜ強力な措置が必要なのかを丁寧に説明しようとする姿に、わが国の為政者にはまったく無いものを感じた。リーは、動画の中で手元のお茶を飲むたびに、英語・中国語・マレー語と次々に言語を切り替えて演説を続け、ネットでは「魔法のお茶」などと評判を博してさえいた。ここまでの芸当を要求しようとは思わないが、せめて、苦境に立つ規制の対象となる人びとに寄り添い、真摯に根拠を説明する態度だけでも求めるのは、贅沢なことなのだろうか。いかに精緻に制度化された強権であっても、まごころが無ければ立つことはないだろう。
「夜間飛行」閉店の日、常連から花束を贈られた井村亜矢さん(谷口功一さん提供)【時事通信社】
最後に、「夜間飛行」の店名の由来として最初私が勘違いしたサン=テグジュペリだが、誰もが知る名作『星の王子さま』の中に次のような一節がある。王子さまの星は天文学者によって発見され「B612」と名付けられたのだが、そのことについて「おとなたちは数字が大好き。…おとなたちは決して本質的なことについては質問しない。…けれどももちろん人生をよく理解しているわれわれには、数字なんてどうでもいいのだ!」と。
もう一年以上、われわれは毎日垂れ流される数字に一喜一憂させられて日々を過ごして来たが、「数字」を根拠に行われるアレコレの背後には、今日ここに書いたようなスナックをはじめとする飲食店の人びとの陰影に富んだ人生があることに少しは思いを致してもよいのではないだろうか。一切の飲み屋のドアが閉ざされた夜更け、書斎で独酌しながら、本稿を書き終える。
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谷口 功一(たにぐち・こういち) 東京都立大学法学部教授。1973年大分県生まれ。大学で法哲学などを教える傍ら、日本文学・美術史、政治思想史、法学など各方面の新進気鋭の研究者と共に、「日本の夜の公共圏」というテーマでスナックを研究。内外情勢調査会の講師も務める。主な著書に「ショッピングモールの法哲学―市場、共同体、そして徳」「日本の夜の公共圏 スナック研究序説」など。(2021年7月2日掲載