東京近辺の、知人から、e-Mail が、来ておりましたが、

 

今日、回転すしやが、馬鹿混み、していた、と、余談に、書いてありました。

 

 

 

日本人、どうなっているんでしょう????

 

民度も、亡くなっていくのでしょうか?

 

 

 

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厳戒下の祭典で>五輪閉会日、ごった返す国立競技場付近 そして満床の病院

配信

 

毎日新聞

東京オリンピックの閉会式の雰囲気を感じようと国立競技場の外に訪れた大勢の人たち=東京都渋谷区で2021年8月8日午後8時29分、藤井達也撮影

 

 

 

 

 東京オリンピックが開かれた17日間、新型コロナウイルスの感染拡大は止まらなかった。祭典が終幕を迎えた8日、病院や競技会場周辺などを取材した。  午前7時、札幌市中心部の大通公園で陸上競技の最後を飾る男子マラソンの号砲が鳴った。レースが進むにつれて沿道で観戦する人が増えていく。  「観戦自粛をお願いします」との呼びかけもむなしく、同公園周辺は二重、三重の人垣ができる「無法地帯」の状態に。街中で日本語と英語で試合展開がアナウンスされていたことも自粛要請に逆行していた。  北海道外から訪れた人も多く、山口県長門市の男子大学生(19)は「こんな機会はまたとない。選手を間近で見られてよかった」と興奮した様子で話す。「もう少しコースの大枠(外側)で規制すべきだった。やり方が間違っている」。観客に自粛を呼びかけたボランティアの女性は大会組織委員会の対応にあきれていた。  午後1時すぎ、東京都葛飾区の平成立石病院。大桃丈知(たけとも)救急科部長(57)の携帯電話が何度も着信で震える。「分かりました。受け入れます」  同院は入院先が見つからないコロナ患者を受け入れる「入院待機ステーション」(20床)を会議室に設けている。この場所が初めて使われたのは7月23日の五輪開幕日。急激な感染拡大により、対応可能な上限に近い日が続いている。  45床に拡充した院内のコロナ用病床もベッドが埋まった状態で、転院が必要な重症患者3人は受け入れ先が見つからない。救急搬送で140病院に断られ、12時間かけてこの病院にたどり着いた患者もいる。  大桃部長は組織委の医療研修で講師なども務めていた。会場での医療協力は辞退を模索したものの代役が見つからず、午前中だけの条件で一度だけ会場の医療救護所に詰めた。テレビ電話で自院に指示をしながら役割を果たしたという。  「入院できない患者が続き、救える命も救えなくなってきている」。感染者が減る要素は見つからず、深刻さを肌で感じている。  臨海部のお台場にある屋外のスケボーパーク「RAIZIN SKY GARDEN by H.L.N.A」はこの日のスケボー教室を雨のために中止した。選手の活躍で小中学生を中心に会員は倍以上となり、教室の予約も満員状態が続いている。スタッフ兼インストラクターの小林龍平さん(26)は「3年後にパリ五輪がある。五輪を機に始めた人に続けてもらえるよう魅力を伝えていきたい」と未来を見つめていた。  雨がやんだ午後3時半、閉会式が行われる国立競技場(新宿区)近くの歩道に柵が設置され、警察官が「ここから先は関係者しか入れません」と見物客に声をかけた。記念撮影の場所として人気の五輪マークのモニュメントがある広場も約300メートル手前から立ち入り禁止に。家族と訪れた神奈川県平塚市の男性会社員(48)は「近くで競技場を見たかった」と残念がった。  五輪のメインプレスセンター(江東区)では午後3時40分ごろ、組織委の記者会見が始まった。橋本聖子会長が約6分間、用意した文書を読み上げ「アスリートが素晴らしいパフォーマンスを繰り広げた。多くの人々に希望をもたらした」と成果を強調した。  国内外のメディアからは、沿道に観戦する人が集まるなど運営上の問題を指摘する質問が相次ぐ。改めて大会の評価を問われた橋本会長は「100%成功したかといえばそうではない。もっとスムーズに運営できたところもある」と語った。  午後6時過ぎ、救急対応をしている中野共立病院(中野区)に新たな救急車がやってきた。山本英司院長(59)は朝から食事を取る暇もない。一般診療は休みだが、具合が悪い人からの問い合わせや患者の受け入れ要請が止まらなかった。  昼前に救急車で運ばれてきた男性(54)は激しくせき込んでいた。30病院に受け入れを断られ、男性を乗せてから2時間、停車したままだったという。男性は検査で陽性と判明したものの、満床の同院では受け入れができない。「何時間かかるかな……」。転院先を探すため、近隣の病院に電話をかけ始めた山本院長がそうつぶやいた。  受け入れ先は約1時間後に11病院目で決まったが、転院用の救急車が到着したのは夕方になってからだ。「五輪はようやく終わるけど感染拡大は当分続くだろうね」。当直を務める山本院長の勤務は朝まで続く。  午後8時、国立競技場で閉会式が始まった。近くの歩道は式の雰囲気を少しでも味わおうと集まった人たちと、五輪の反対活動をする人でごった返していた。動員された警察官が路上に出ないよう求める声がとどろく。無観客となった多くの競技会場とは正反対の騒々しさが最後まで続いた。  同じ頃、国立競技場とは別に聖火台が置かれた臨海部の遊歩道「夢の大橋」(江東区)には100人以上の若者や家族連れが来ていた。ボランティアらが距離を取るように呼びかける中、日中から記念撮影に訪れる人が止まらなかった。  午後10時14分ごろ、国立競技場の聖火と同時に遊歩道の聖火も消えた。集まった人たちは聖火がその役割を終える瞬間をじっと見守り、あたりは静寂に包まれた。

 

【春増翔太、大島祥平、荻野公一、岸川弘明、木下翔太郎、島袋太輔】