川端健嗣さん「アナウンサー辞めるつもりで」51歳の初異動…フジテレビ元アナウンサー第二の人生(5)
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51歳で初めての異動の時を迎えた川端健嗣さんは「アナウンサーを辞めるつもりでBSフジに行きました」と振り返った(カメラ・頓所 美代子)
会社員にとって避けられない人事異動の瞬間は華やかにテレビ画面を彩るアナウンサーたちにもやってくる。高倍率を勝ち抜き、フジテレビに入社。カメラの前で活躍後、他部署に移り奮闘中の元「ニュースの顔」たちを追う今回の連載。3人目として登場するのは現在、宮内正喜会長(77)の秘書を務める川端健嗣さん(59)。端正なルックスでニュースキャスターから看板音楽番組「FNS歌謡祭」の司会までマルチに画面を彩ってきた「ミスター・フジテレビ」は来年2月の定年を前に「キラキラしたフジテレビを僕がいる間に取り戻したい」と意気込む。(構成・中村 健吾)
ニュースキャスター、バラエティー番組MCに「FNS歌謡祭」の司会と、あらゆるジャンルをこなし、「ミスター・フジテレビ」と言ってもいいほどの存在だった川端さん。176センチの長身に端正な顔立ちで、82年から93年まで12年連続で視聴率「三冠王」に輝いたフジ黄金時代の象徴的存在だった。 「入社2年目で担当した『3時のあなた』が木曜と金曜。寺島(現・富司)純子さんと司会をした頃で、長女の寺島しのぶさんがまだ中学生でした。また、今の『めざましテレビ』の時間帯に、1年後輩で入ってきた長野智子さんと『モーニングコール』という月から金曜帯の番組の司会をやって、土、日には『プロ野球ニュース』でゲーム取材と出演。本当に休みがなかったです」
フジテレビ激動の時代をアナウンサーとして駆け抜けてきた川端さんがアナウンス室からの異動を命じられたのが2013年。51歳の時だった。 「アナウンス室でデスク統括担当部長をやっていて。アナウンサー全体のスケジュール管理をしており、自分に来た仕事も経験を積ませるために後輩に振ったりすることがありました。『大きすぎる仕事でできません』と弱音を吐く若手もいて、『チャンスなのになあ』と思いつつ、後輩を救ってやれない忸怩たる思いもあって、どうしたらいいんだろうと悩んでいる時ではありました。そんな状況が何年か続いていましたね」
一方で新聞協会の放送分科会に社を代表して参加。各局の言葉のスペシャリストたちが放送用語について協議する会議に出席していた。 「用語委員として局の垣根を越えて言葉に携われていることが楽しくて、心の均衡をそこで保っていたところがありました」
33歳の時から「FNS歌謡祭」の司会を16年間に渡って務めていた。タキシード姿の端正な進行ぶりは高い評価を集めていたが、そんな看板番組の司会が50歳目前で卒業となった。 「これでひと区切りがついたなという気がしました」
アナウンス室での立場と自分の居場所もベテランゆえに把握していた。 「番組に出続けていた自分というのがなくなって迷いが生まれました。デスク統括担当部長という立場にはジレンマがあって、いつまでもこの状態で社に居続けることに疑問を感じていました。フジテレビには社に提出する『未来リポート』というものがあって。将来、自分はこう進みたいと希望を書けるのですが、そこに『会社にお任せします』と書いたんです」
そして、51歳にして初めての異動の時が来た。BSフジの広報局専任局長への異動の内示だった。 「僕は心に決めていたことがあって。それまでアナウンス室を出なきゃいけなくなった人たちを送り出す時に『会社の決めたことだから文句を言うな。外に出ることは悪いことじゃないと思うよ』と、自分が言ってきました。だから、自分の時にジタバタするのはおかしいって。異動内示の時、『分かりました。ありがとうございました』と、その二言だけ言いました」
そして、始まったBSフジ広報としての日々。 「BSフジでもアナウンスの仕事をして欲しいと言われましたが、『僕はアナウンサーをやめるつもりで来ました』と言って、まあ、死にものぐるいで広報の仕事を一から覚えました。いろいろな媒体に番組を売り込みに行くのですが、新聞社などに行くたびに記者の方々が僕のことに気付いて取材しようとしてくれて。『自分ではなく番組の売り込みをさせて』って言うのがもどかしかった。後輩アナが司会をする前で広報の仕事をする時、僕の顔を見つけると萎縮させちゃうと思って、隠れて質問チェックするなど気を遣いました。とにかく覚えなければならないことが山ほどあったので、大忙しの日々が続きましたね」
しかし広報の仕事に慣れた頃にはBSフジが制作した映画の舞台あいさつや番組での司会など、アナウンサーとしての仕事も増えていった。 「時間の使い方を覚え、広報の仕事もすごく面白くなって。仕事量を圧縮できたことで、BSフジでの広報の仕事とアナウンサーの仕事は、半々くらいになっていきましたね」
BSフジ3年目には大きな出会いもあった。 「フジテレビ専務から岡山放送の社長になっていた宮内正喜さんがBSフジの社長になった。宮内社長の下でBSフジの業績も好調に伸びていきました」
そんな時、節目の時が来た。 「BSフジに異動して4年目、55歳になる時でした。BSフジは絶好調だったけれど、フジテレビは決して調子がいいとは言えない状況でした。そんな時に『なんの力にもなれないっていうのはなんなんだろう』って悩んだんです。フジは57歳で役職離脱となる。異動するなら、ここがそのタイミングかなと思って。会社に自分の希望を伝える際、『最後に恩返しをしたい。今、フジテレビでできることがあるなら幸いです』と書いたんです」
その直後だった。17年6月の株主総会でフジテレビ社長に就任することが内定していた宮内氏に呼ばれ、社長室に行くと、「嫌かも知れないけど、フジテレビ社長の秘書をやってみないか?」と笑顔で内示された。 「これはフジに恩返しができるチャンスだと思いました。『喜んでやらせていただきます。よろしくお願いします』と、すぐに答えました」
決意をもって古巣への復帰を決めた川端さんが今、その決意を後押しした、ある大物タレントの言葉を明かす。(16日配信の後編に続く)
◆川端 健嗣(かわばた・けんじ) 1962年2月21日、東京・銀座生まれ。59歳。84年、立大経済学部卒業後、フジテレビ入社。アナウンサーとして「3時のあなた」、「FNNスピーク」メインキャスターなどを務め、「FNS歌謡祭」の司会も16年間に渡って務める。00年にFCIニューヨークに。13年、BSフジに出向し広報局専任局長に。17年、フジに帰任し、秘書室社長秘書役として勤務。現在は宮内正喜会長の秘書役を務める。