今回RPAという形で新幹線の安全基準がアメリカのお墨付きを得た
1月4日、再考期間が終了し、テキサスの高速鉄道だけに適用される安全基準の採用が決まった。アメリカで新幹線の信頼性が認められた瞬間である。
■アメリカは「事故後の安全」前提
テキサスの高速鉄道は、アメリカの民間会社テキサスセントラルが日本の新幹線方式での導入を目指して進めているプロジェクトだ。JR東海が技術支援を行い、新型新幹線「N700S」をアメリカ仕様に改良し、ダラスとヒューストンという2大都市を90分で結ぶ。
日本側が当初考えていたのは、東海道新幹線のシステムをアメリカの安全基準に対応できるように変更するというものだった。
しかし、それは容易なことではなかった。
日本とアメリカでは鉄道の安全基準がまったく異なるためだ。
安全の土壌が日米では大きく違う。
2019年度を例に取ると、
列車同士の衝突事故は日本では1件も起きなかったが
アメリカでは114件起きた。
脱線事故は
日本では9件起きたが、
アメリカでは1333件起きた。
アメリカでは衝突や脱線事故が日本よりも文字通り桁違いに多い。
そのため、アメリカの鉄道安全基準はたくさんの衝突事故や脱線事故が起きることを前提に、事故が起きたときに被害をいかに軽減するかという点が重視される。車両に関して言えば、車両を頑丈に造ることで、客室内の安全性を高めたり脱線を防止することが求められる。
一方の新幹線は専用線を走る、ATC(自動列車制御装置)を使って運行する、厳格な軌道管理を行っているといったことから、衝突事故や脱線事故は起きないという前提で車両を設計している。
衝突や脱線に対する考え方が根本から異なるのだ。
また、新幹線車両は省エネ、環境性能、線路のメンテナンスなどの観点から車両を軽量化している。その結果、アメリカの安全基準が求める車両の軸重と新幹線の軸重は、条件によっては3倍もの差が生じることもある。
「アメリカの安全基準に合わせるとN700車両の設計が完全に否定され、新たに車両を設計する必要がある」と、JR東海海外高速鉄道プロジェクトC&C事業室の南智之担当部長が説明する。しかし、衝突耐性を考慮して車両を設計し直すと、重量が大幅に増加し、台車、ブレーキ、主回路などさまざまな設計の変更に迫られる。これでは、新幹線が培ってきたノウハウがまったく役に立たなくなる。 新幹線の安全基準を認めてもらえないか。2010年5月、日米間で高速鉄道安全基準の議論を行う合同検討会が立ち上げられた。当時のJR東海はフロリダ州で高速鉄道を整備する構想を掲げていたが、州政府の財政難から構想は白紙に。テキサス州に照準を定めることになる。
会議は4回行われたが、「安全を確保すれば衝突耐性は不要という日本側の考え方はアメリカに受け入れられなかった」と南氏が振り返る。
専用線を走るといっても、将来在来線に乗り入れる可能性があるなら在来線並みの衝突耐性が必要であると連邦鉄道局は主張した。
鉄道運転士の組合が「衝突耐性がなければ運転しない」と反発したこともあったという。
■テキサス限定で日本基準を
日米間の議論は不発に終わり、議論の場は連邦鉄道局が設置するタスクフォースに移った。
そもそも、オバマ政権が高速鉄道ネットワーク計画を策定した当時、アメリカには時速240km以上で走行する鉄道車両を対象とした安全基準は存在しなかった。高速鉄道を前提とした安全基準の策定がこのタスクフォースの目的だった。
ただ、このタスクフォースには日本の鉄道メーカーのほか、アルストム、シーメンスなど世界各国の車両メーカーが参加していた。専用線を走ることで衝突・脱線リスクが少なく、衝突耐性も小さくてすむという新幹線は世界の高速鉄道では異質のシステムである。新幹線だけに都合のよい提案がタスクフォースで承認されることはありえない。もっとも、他国の鉄道メーカーもそれは同様で、欧州メーカーは衝突耐性について欧州規格の採用を主張したが、連邦鉄道局はまったく取り合わなかった。
2012年7月頃、日本側は全米に適用される高速鉄道の安全基準と新幹線の安全基準をすり合わせることは断念し、テキサスプロジェクトに限定した安全基準(RPA=Rule of Particular Applicability)の制定を目指すという戦略に切り替えた。
日本国内では新幹線の安全性は折り紙付きだ。日本で行っていることをそのままテキサスに持ち込み、安全性に問題ないことを認めさせるというものだ。 2014年3月から2016年3月まで2年間にわたってテキサスセントラルと連邦鉄道局が議論を重ねた。その結果、防護柵でプロテクトされた専用線を構築し、営業時間帯は高速車両のみが走行する、営業時間帯と保守時間帯を分離する、踏切は排除するといった新幹線の安全を支える仕組みを全面的に採用すれば、ほかの列車との衝突リスクや脱線リスクは「無視できるレベルになる」と結論付けられた。
連邦鉄道局はRPAの前文に「東海道新幹線のサービスプルーブンな技術、運転、保守を成文化した要求を制定することにより、システム全体の健全性を保持できる」と記載している。要するに新幹線と同じ手法で高速鉄道を運営すれば安全だということだ。連邦鉄道局の安全担当責任者からこんなメッセージがあったという。「日本の新幹線の技術は心配していない。新幹線システムはアメリカでも同様に機能するはずだ。だが、扱うのはアメリカ人である。アメリカにJRの安全文化をいかに根付かせるかが最大の課題である」――。
RPAを一読して驚くことは、車両の最高時速を330kmと記載するなど、単位がメートル法で記載されていることである。
アメリカではインチ、マイルなどのヤードポンド法が主流であるにもかかわらずだ。メートル法の後にカッコ書きでヤードポンド法の単位も併記されているとはいえ、メートル法を主とする単位表記は画期的である。「メートル法で管理しないと新幹線と同じ運営はできないことを連邦鉄道局が認めたということ」(南氏)だ。
2020年3月に公表されたRPAの素案に対して、フランス国鉄(SNCF)がRPAに反対するパブリックコメントを提出した。
SNCFが運行する高速鉄道「TGV」は在来線に乗り入れるタイプであり、専用線方式の新幹線を認めるわけにはいかない。SNCFは新幹線システムは高速鉄道の安全基準に合致していない、専用線を走る新幹線は在来線に接続できないなどの主張を展開したが、RPAをくつがえすものではなかった。
■「新幹線の安全基準」海外でお墨付き
新幹線システムが全面的に採用された結果、テキサス高速鉄道で走行する車両はN700Sとほぼ同じとなる。
しかし、細部では車両の設計変更が必要な項目もあった。
アメリカは銃社会であり、窓ガラスに銃弾を撃ち込んで耐久性を検証する試験も行われた。
防火基準も連邦鉄道局の判断で変更することはできない。
こうした結果、
運転台の窓ガラス、
防火対策、
異常時の脱出・侵入窓、
脱出経路の表示、
身体障害者対応設備
といったものが、設計変更の対象となった。
アメリカが新幹線の安全性を評価した意義は極めて大きい。
新たに高速鉄道を導入しようと考える国が
欧州の規格を採用してしまうと、そこに新幹線が入っていくことは難しい。
しかし、今回RPAという形で新幹線の安全基準がアメリカのお墨付きを得たことで、海外に新幹線の売り込みを行う際にRPAをベースにすることが可能になる。
残るは、テキサスの高速鉄道プロジェクトに必要な投資額が集まるかどうかだ。
そのためには、まずアメリカ雇用プランが議会の承認により立法化され、
このプロジェクトにバイデン政権がどれだけの補助金を出すかが鍵となる。
大坂 直樹 :東洋経済 記者