識字障害
という日本語を、初めて見ました(知りました)が、
アメリカでは、しょっちゅう聞く言葉です。
(もちろん英語ですーー―”ディスレクシア”)
(スティーヴン・スピルバーグ、ジェニファー・アニストン、モハメッド・アリ、ヘンリー・ウィンクラー、リチャード・ブランソン、ジェイ・リノ、キーラ・ナイトリー、金融家のチャールズ・シュワッブ、トム・クルーズ、キアヌ・リーヴス、ジョン・デ・ランシーなどもなど、有名人に、多々。)
こういう何らかの障害をお持ちのお子様や大人の方々が、
生涯を乗り越えて、頑張っている姿は、
こころから、うれしく思います。
それと並行して、
この人類の体の何らかの障害、大なり、小なり、全てが、
近い将来、近未来に
解決 (ーーーといっても、色々な解釈がありますがーーーー?)
されることを望みます。
前にも、数回かきましたが、
もう一回人生があるのなら、
あるいは、18歳くらいに戻れるのなら、
人間の障害をを解決できる研究に、人生を没頭したいものです。
が、
この地球上で、
全人類が、お金もかけずに、
超・簡単に、
明日からできることは、
理解し、偏見をなくすことです。
医学や科学・化学などの治療などの分野は、何百年もかかるでしょうが、
人間の心は1っ分で、すぐに変えられます。
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Wikiより、
スウェーデン国王カール16世グスタフはディスレクシアであるが、
その長女のヴィクトリア王太子や、
長男のカール・フィリップ王子
も同様の障害がある
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柳家花緑「ようやく手に入れた『識字障害』という名の止まり木」
配信
明日2月24日(水)のNHK「あさイチ」では大人の発達障害にスポットを当てます。そこで、「婦人公論」の記事から発達障害の当事者の声を。 戦後最年少の22歳で真打ちとなった、落語家の柳家花緑さん。言葉を自在に操る巧みな芸でお客さんを笑わせる姿の裏には、「学習障害」と闘う日々がありました。〈障害〉と診断されてよかったと語る、そのわけは──(構成=篠藤ゆり 撮影=本社写真部) ***
サイン会で脂汗をかきながら書いた文字
僕には識字障害(ディスレクシア)という学習障害(LD)があります。学習障害とは、基本的に知的発達に遅れはないけれど、聞く、話す、読む、書く、計算する、推論する能力などのうち、特定のものがうまくできない障害。僕の場合は、「文字」の認識にかかわることが苦手です。そしてどうやら、ADHD(注意欠如・多動性障害)の特性もあるようです。 では、識字障害とはどういうものなのか。これを説明するのは、すごく難しいんです。たとえば「婦人公論」と紙に書いてあったとします。僕の場合、「婦人」という字を見て、それを脳が認識して言葉として理解するのに3秒くらいかかったりする。疲れていたり、ストレスがかかった状態だと、さらに文字の認識が難しくなります。 書くことも同じで、よく知っている言葉であっても、脳が疲労してくると書けなくなる。……と、抽象的に説明してもわかりにくいので、具体的な例をひとつ。 ある時、独演会で古典落語の「芝浜」をご披露しました。独演会の後は、自分の著書のサイン会。並んでくださった方には、あらかじめお名前を紙に書いておいていただき、僕はそれを見ながら書いて、自分のサインをします。 するとあるお客様から、今日の記念に「芝浜」と書いてほしい、とお願いされました。ところが独演会で疲れていた僕は、芝浜という文字がどうしても書けない。ついさっきまでやっていた演目ですし、「芝浜」という題名は、何千回、いやいやもっと見てきたはず。それなのに書けないんです。 脂汗をかきながら、なんとか書いたのが「浜」の字。なぜか浜が、先に出てきてしまった。そしてその後どういうわけか、「松」と書いてしまったんですね……。浜から連想した文字が、松だったんでしょう。しかもご丁寧に、ひらがなで「やりました」と付け加えて。つまり「浜松やりました」。お客様もびっくりしたでしょうね。(笑) 幸いその本の冒頭で、僕は自分に識字障害があることを告白しています。きっとその方は帰って本をお読みになり、あぁ、こういうことなのかと腑に落ちたと思います
教科書を音読できずクラスメイトにバカにされ
今は自分の学習障害についてこんなふうに堂々と、時にはネタにして喋ったりもしていますが、子どもの頃はハッキリ言って悲惨でした。勉強がまったくできない完全な落ちこぼれで、先生もクラスメイトも親も、「バカな小林君(本名=小林九)」と認識していた。自慢じゃありませんが、通知表の成績は1と2ばかりでした。 宿題はやってこないし、忘れ物の多さも普通じゃない。うちの祖父は五代目柳家小さんといいまして、ちょいと知られた名人でしたので、弟子が大勢いる。教室までよく忘れ物を届けてくれた祖父の弟子が、今、落語協会会長を務める柳亭市馬師匠です。当時はまだ前座でしたが、ガラッと教室の戸を開けて忘れ物を持って入ってくると、クラスのみんなが「弟子だ! 弟子だ!」と囃し立てる。会長、あの時は本当に申し訳ありませんでした! 勉強と名のつくものは一切できませんでしたが、図工や音楽は大好き。どちらも僕の中では「遊び」と認識していたので、ゲームをやるのと一緒です。絵を描いていいと言われたら、いつまででも描いていたい。レゴブロックも好きだったので、うちで何時間もやることも。だからもしレゴブロックという教科があったら、優等生ですよ。 一番つらかったのは、国語の授業で「小林君、何ページ目の何行目から読みなさい」と、立って読まされる時です。つっかえつっかえ、なんとか読むのですが、緊張するとますます読めない。漢字はとくに、まったく読めません。すると、クラスのみんなが笑うんです。今は高座で笑ってもらわなくてはいけないのですが、ウケて笑われるのと、バカにされて笑われるのでは大違い。 それでも「バカな小林君」がいじめにあわなかったのは、落語のおかげです。祖父の縁で小学生の時にテレビデビュー。当時はテレビ神話みたいなものがあったので、「テレビに出たんだって」ということで、ちょいと一目置かれる。もしそれがなかったら、いじめられていたかもしれないし、学校に行かず、引きこもりになっていたかもしれません。 考えてみたら、僕の人生はすべて落語に救われています。読み書きは苦手でしたが、落語は師匠から“口伝”で教えられたので、なんとか覚えることができたのです。 それを苦労してノートに書き、何度も何度も稽古し、リピートして覚えるわけです。今でも新作落語を覚えたりするのは大変です。大変であるということにやっと慣れた、という感じでしょうか。 そこへいくと祖父の小さんは天才肌。一切ノートなどに書かず、何百という演目を記憶していました。祖父から聞いたのですが、前座時代、午前中に師匠から稽古をつけてもらった演目をその夜の高座で披露し、しかも出演者の中で一番うまかったと名人に評価していただいたとか。とにかく記憶力が尋常ではないんです。 もしかしたら発達障害の人に時々現れる、特異な記憶力を持つサヴァン症候群だったかもしれないと推測しています。そういう点が祖父に似たら、よかったんですけどねぇ。 僕は、ADHDの特性のひとつで、喋り出したら止まらない多弁の傾向があります。とにかく、ずーっと喋り続けているんです。今日も止めていただかなかったら、たぶん3時間でも話し続けますよ。この特性も、落語家にとってはけっこうプラスに働いていると思います。
視聴者からのメールで識字障害だと自覚した
自分の障害のことを知ったのは、『ジョブチューン』というテレビ番組に出演したことがきっかけでした。番組中で中学校の時の通知表をお見せし、「こんなに勉強ができなかったけれど、今は落語家として活躍させてもらっています」といった内容でしたが、それを見たある視聴者の方が事務所にメールをくださって。うちの息子は花緑さんと同じ障害を持っています、と書かれていたのです。 でもその時点では、僕は自分に障害があるとは思っていないので、そういうレッテルを貼られて、正直なところ不快感がありました。「障害」という言葉に、過敏に反応してしまったのかもしれません。 ですから、「大変ですね。でも申し訳ありませんが、自分のは障害ではありません。テレビでは出しませんでしたが、音楽と美術の成績はすごくよかったんです。ですから、違うと思います」とやんわりと否定するお返事をしました。するとまた返信が来て、「うちの子も、美術や体育はずばぬけていい成績です。ですからやっぱり、識字障害ではないでしょうか」と。 そこで、はたと立ち止まる気持ちになったんです。待てよ。僕がずっと苦しんでいたのは、そのせいじゃないか。それが2014年です。それで自分でもいろいろ調べ始め、これは間違いなく識字障害だと理解できたのです。 受け入れたとたん、ものすごく大きな変化が起きました。わずか数年前まで、自分はダメだ、できないんだと思っていたのが、そうではない。識字障害のせいだったのだとわかった時の安堵感。精神的にものすごくラクになりましたし、恥ずかしさがなくなりました。 それで2017年に本で公表したところ、すぐにニュースになり、発達障害をテーマにしたテレビ番組にも出させていただいて。その番組内で、大阪医科大学のLDセンターというところに行き、さまざまな検査を受けました。その結果、先生からは「きれいなディスレクシアですね」とお墨付きをいただいた。ほかの知能指数は正常範囲で、識字にかかわる部分だけが欠落しているそうです。 詳しい報告書も送っていただいたのですが、識字障害なので、それが読めない(笑)。ただ最後のまとめの部分を読むと、検査してくださった専門家の方は、僕がテストにどう取り組んでいたか、その様子もじっくり観察していることがわかりました。 たとえば、中には問題ができないと「もう帰る」と投げ出したり、ヒステリックに泣き出す人もいるのかもしれません。僕の場合、自分の得意な分野を使って苦手な部分をフォローしていた、といったことも書かれていた。つまり、障害を持ちながら社会でなんとかうまく対応できるよう、自分なりに工夫してきたことの証しが、そのテストの結果に出ていたようなのです。 また、テストによってどのくらいストレスがかかったか、といったことも見てくれていました。実はテストの途中、何度も「休憩させてください」と言いたかったのです
自分なりに工夫して障害をカバーしていきたい
僕の場合、疲れたりストレスがかかると、読み書きができなくなるだけでなく、脳の疲労が肉体的な疲労にもつながり倒れてしまうのです。若い頃は体力があったので倒れるのは数年に1回でしたが、年齢を重ねるにつれて、だんだん回数が増えていった。時には救急車で運ばれることもありました。 難しいのは、「引き時」です。たとえば、疲れたからといって大事な場を中座したら失礼に当たります。でもそこで無理をすると倒れてしまう。これじゃあ、元も子もありません。 楽しいことでもダメなんです。どれだけ楽しいこと、好きなことでも、無理をしすぎて脳が疲れてしまうと、体がおかしくなる。もともと胃腸も弱いので、そこにも症状が出てしまいます。 学習障害を持っていると知るまでは、自分のことを「バカなうえに体も弱い小林君」と悲観的に考えていました。自分はなんてダメなんだろうという劣等感もありましたし、生きづらさも感じていて。一時は自殺願望もあり、正直、自分で自分をどう扱っていいかわからない時期もありました。 でも障害があることがわかったおかげで、「すみません、休ませてください」と言えるようになった。その点は本当によかったなと思います。 一方で、自分なりに工夫して障害をカバーできないだろうか。それにチャレンジしてみたい、という前向きな気持ちも湧いてきました。そのひとつが朗読の仕事です。 なんと無謀にも、浅田次郎さんの小説『天切り松 闇がたり』を丸ごと一冊朗読するお仕事をお引き受けしたのです。5章あって、1章収録するのに6時間。すごい量です。 自分で言うのもなんですが、そりゃあ膨大な稽古量でした。どれだけ稽古しても読み間違いが多い。読み間違いも識字障害の特徴ですから。 仕事を依頼してくださった方は、たぶん僕が識字障害であることを知らなかったのでしょう。落語家は一人で何人もの声を演じ分けるし、僕の落語を聞いて、これほどの適任者はいないと思ってくださったのかもしれません。それならば頑張りたい。 漢字にはすべてルビを振り、稽古を積み、収録のスケジュールもゆったり組んでもらった結果、OKをいただけるものに仕上げることができました。正直、本当に大変でした。でもその分、とてつもない達成感がありました。僕にとっては、人生で一番大きな仕事だったかもしれません
時々空から落ちていた鳥がやっと止まり木を得て
今は、自分が学習障害、発達障害だとはっきりわかって、本当によかったと思っています。「障害」という呼び名も、ちっともイヤではありません。 学習障害という診断が下ったことで、どれほど救われたか。飛びっぱなしによる疲労で時々空から落ちてしまっていた鳥が、やっと止まり木を得たのです。だから、止まり木を奪わないでほしいと思っています。 なかには優しさから、「花緑さんは障害ではないですよね」と言ってくださる方もいますが、その優しさは、実は僕にとって酷なものです。なぜかというと、それは「あなたの努力が足りなかったんだ」ということの裏返しでもあるからです。 結局、「バカな小林君」に戻ってしまう。みんなができることができない小林君。じゃあ、もっと努力してみようか、と。努力が足りないと言われるのが一番つらい。努力してもダメなんだということを、理解してほしいと思います。 そして目に見えてわかる障害を持っている人や、僕らのように一見わからない障害のある人も含めて、いろいろな人がバリアフリーで生きることができる社会になってほしい。誰にでも得意不得意があります。できないことは、できる人がカバーしていく世の中になればいいなと願っています