日本女子がうらやむ国際結婚
ありとあらゆる意味で、総合的に、恵まれた結婚です。
頑張りすぎないで、
「リラックスして」
幸せになって、ください!
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中谷美紀「国際結婚、夫の一人娘……オーストリアで私を変えた新しい家族」
配信
「日本で暮らしていた頃は、仕事のために生きていたようなものだった──。生活を犠牲にし、大事なことを忘れていたのかもしれません。」
現在発売中の『婦人公論』2月24日号の表紙は女優の中谷美紀さんです。10代から女優として活躍するなかで、人間関係に縛られない人生を望み、実践。ヴィオラ奏者のティロ・フェヒナーさんと国際結婚したことにより、その考えが変化したと語る中谷さん。それはどんな変化だったのでしょうか――。発売中の『婦人公論』からインタビューを掲載します。
(構成=篠藤ゆり)
【写真】中谷さんが撮影したオーストリアの日常 * * * * * * *
◆自然と触れ合うことで心が満たされて 4年ほど前から、日本とオーストリアを行き来しながら暮らしています。
縁あって夫となったドイツ人ヴィオラ奏者のティロ・フェヒナーは、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に所属しており、
そのため私も楽団の本拠地であるウィーンか、
自宅のあるザルツブルクの山中で
1年の半分ほどを過ごすようになったのです。
けれど2020年は、新型コロナウイルスの感染が拡大し、欧州諸国同様、オーストリアもロックダウンを余儀なくされました。
夫は予定されていたツアーが次々中止となり、失業状態。
私もしばらく日本に戻れません。
思いがけず、ザルツブルクの家に長期間籠もって生活することになりました。
時間はたっぷりあります。
そこで、夫と二人で取り組んだのが庭造りです。
家の前の傾斜地には、以前の所有者が植えた花がそのままになっており、いずれ自分たちの手で植栽し直そうと考えていたのです。
夫も私も、きれいに刈り込まれた芝生や、色とりどりの花が咲き乱れる人工的な庭はあまり好みではなく、草原のような庭に憧れていました。
素人ながら、私がデザインを担い、夫が庭師となって土を掘り起こし、木の根や石を除去していきます。
作業に熱中するあまり、夫が右腕を痛めてしまうなど、アクシデントもいろいろありましたが、夢中になれる時間は貴重でしたし、自然と触れ合うことで心が満たされていくのを感じました。
◆不快なできごとも、書いてみると違って見える もちろん、田舎暮らしには苦労もつきものです。
近くには牧場があるのですが、日本の家屋のように網戸が取り付けられていないので、窓を開けると当然ハエや蚊が入ってきます。
時には牛の糞から作る堆肥の香りも……。(笑)
夏の間、日々の出来事からその日食べたものなど他愛のないことまでを日記に記していました。
毎日1時間ほどのつもりで書き始めるのですが、没頭してしまい、気づくと日が暮れていた、なんてことも。 楽しいことばかりでなく、不快や憤りを感じた出来事も綴りました。
けれど、書くという行為を通して自分の体験を俯瞰してみると、あまりつらく感じなくなるのは不思議です。また、思考が整理されるので、自分がいかに愚かだったかにも気づかされました。(笑)
日本で暮らしていた頃は、仕事のために生きていたようなものだった──。
生活を犠牲にし、大事なことを忘れていたのかもしれません。日々の営みのなかで感じたことを書き続けるうちに、そう思うようになりました
人生にほとほと疲れてもいた
夫と出会ったのは2016年。おつきあいが始まってからも、結婚などは考えていませんでした。
自分の人生において、結婚という選択肢がすべてだとは思っていませんでしたし、
ヨーロッパでは婚姻関係を結ばずに家族として生きる人がとても多いですから。
ところが私が外国人であるがゆえに、ビザの問題などが煩雑で、
結婚という形を取らないと生活に多大な不便が生じることがわかり
──決してロマンチックな理由からではなく、
自分たちが望む生活をするためには結婚しか方法がなかったというのが正直なところです。
それでも、結婚したことで、私の生活は大きく変わりました。
もっというと、「生き方」に対する考え方の転機が訪れたのです。
それまでは、仕事のために生活を犠牲にしてきました。
そうでもしないとなかなかできない職業だと思い込んでいたのです。 理想とする作品の基準に近づくために、苦しみを伴う難役を演じる際には自らの喜びを封印し、寝ずに台本を読み、食べずに撮影に集中して自分を追い込むこともありました。
白洲正子さんを演じた際は、準備のために1年間お能のお稽古だけにいそしみ、他の仕事を一切しませんでした。
一方で、そんな人生にほとほと疲れてもいたのです。
このまま役者を続けられるのだろうか。
そんな疑問を抱いていた頃に夫と出会った。そして、人生は楽しむためにあるのだと教えてくれたのが、彼の「Life is too short(人生はあまりに短い)」という言葉でした。
夫は世界で最も多忙だと言われるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に所属してほぼ毎日演奏し、合間には自分の練習やレコーディングもしています。
その一方で寸暇を惜しんでロードバイクやマウンテンバイク、登山やスキーを楽しみ、旅公演に行けば現地の美術館巡りやローカルの食事に喜びを見出してもいます。
また、仕事仲間でもある演奏家たちと、温かくていい距離感の友情も育んでいる。クオリティの高い仕事をしながらこんな生き方もできるのかと、私は驚いたものです
まさか自分が結婚という形を選ぶとは 私はどちらかというと、同じ仕事の仲間と集うよりは、作品ごとに人間関係を清算するように生きてきました。
一緒に作品に携わっている間は、もちろん皆さんに気持ち良く仕事をしていただきたいと思いますし、円滑なコミュニケーションが大切だと思っています。
その一方で、仕事を終えてまで過度に親密になることは控えてきました。
仕事で一番いいパフォーマンスを発揮するには、あえてプライベートでは接触しないほうがいいと考えています。
移り気な性質のため、あまり親しくなりすぎると、共演した際に新鮮味を感じなくなってしまうんですね。バックグラウンドが見えすぎると、シリアスな場面でも笑ってしまって演技にならなくなりますし。 仕事を越えて通じるものがあり、わずかながら交流を続けている方もいますが、その一方で、まったく異なる立場の方と親しくなることが多いです。どなたかが書かれた物語を伝える媒介のような仕事をしており、虚構の世界にいることが常だからこそ、現実の世界で地に足をつけて生きている方との接点を失いたくないと思います。 あるいは自らの手を用いて美しいものを作り出す、器の作家さんやアーティストたちのお話に耳を傾けることが好きです。 いずれにせよ、どこかのコミュニティーに縛られることなく、お互いに自立した自由な関係を好んできました。 もちろん困った時には手を差し伸べるけれど、各々を尊重し合うからこそ、依存とは無縁の関係が育まれています。 10代の頃、確か村上龍さんの小説の登場人物がどこにも属さず誰にも縛られない生き方を旨としているのを読み、それに少々感化されたのかもしれません。 そんな私が結婚という形を選び、新たな家族を築くことになるとは、自分でもまったく予想外の展開でした。
◆個人の尊重とコミュニケーションを重んじること
オーストリアで暮らすようになって感じたのは、他人との距離感の、日本との違いです。
一般的に「ヨーロッパは個人主義」というイメージがあると思います。それは事実ですが、そのうえで皆さんとてもフレンドリーにコミュニケーションを取ります。 たとえば町で偶然目が合ったら、知らない人でも「ハロー!」と挨拶するのが当たり前。
スーパーで買い物をする時も、レジ係の方と一切会話をしないと、
変な人だと思われてしまいます。
皆さんレジ台の前で、何かしら会話するのが普通。
一方で、保守的なお国柄ゆえ人種差別や、移民や難民に対する排外主義が皆無かといえばそういうわけでもなく──いろいろ難しい問題もはらんでいますが、私の場合は外国の方と家族になったことで、文化や所属する国、言語が違うからこそ許せることがたくさんあり、かえって気が楽な面もあると気づきました。
同じ日本人同士だと、つい「言わなくてもわかってほしい」と期待したり、「わかってくれているはず」と勝手に思い込んでしまったりしがちです。きちんと言葉にしてコミュニケーションをしなければ、他人の気持ちはわからないはずなのに。 私自身、過去には人様に過剰な期待をし、それが叶えられなかったことで落胆してしまった経験もあります。
その点、言語も文化も異なると、最初から「違って当然」「ときにすれ違うのも仕方がない」と思えるのです
娘の気持ちを理解するには 夫とは、当初英語でコミュニケーションを取っていました。
でもやはり彼の母国語で、オーストリアの公用語でもあるドイツ語を覚えなくてはいけないと思い、勉強を始めたのには、2つ理由があります。
まず、周囲の人に気を遣わせているのが心苦しくなってきたのです。
私と話すために、無理して英語を使ってくださる方もいるようでした。
そして何より大きな理由が、彼の娘Jの存在です。
Jは、夫が私と出会う数年前にお別れしたパートナーとの間に生まれた一人娘で、彼女に初めて会った時はまだ4歳でした。
ボキャブラリーもそう多くはなく、ドイツ語の単語を羅列するとなんとかコミュニケーションを取ることができました。
でも大きくなるにしたがい、彼女が私に伝えたいことを理解してあげられないせいで、もどかしい思いをさせていると感じたのです。
Jがわが家で過ごすのは、週に1回か2回。夫と私が英語で話していると彼女は疎外感を抱くようでしたから、彼女の気持ちを理解し、コミュニケーションを円滑にするためには、ドイツ語を学ばなければ始まらないと思いました。
彼女はお母さんと一緒に暮らしており、私たちが迎えに行く時もあれば、Jのお母さんやおばあさんがこちらに連れてきてくださる場合もあります。
ときにはお母さんが焼いたケーキをもってきてくれたり、2つの家族が一緒に食事をすることも。Jのお母さんにも新しいパートナーがおり、
お相手にはJと同い年の娘がいるそうです。
そんなふうに、別れた男女がお互いの新しいパートナーとの暮らしを尊重しながらも、協力して子育てを行うことは、ヨーロッパではごく当たり前のこと。まるで布を縫い合わせるようにつながっていく「パッチワークファミリー」は特別なものではありません。
◆家族4世代で集まって 8歳になったJが、私を理解するためにとても努力してくれていることを、ひしひしと感じています。
しかし出会った当初は、齟齬がなかったといえば嘘になります。
Jは私が作った料理を食べてくれないことも多々あり──すると私は、自分自身が否定されたような気がして落ち込んでいたのです。
でもそのうち、彼女は決して私を否定しているのではなく、単に好き嫌いが多いのだとわかってきました。
たとえば朝の卵は、エッグスタンドに立ててスプーンで食べるのが好み。
固ゆではダメで、半熟が大好き。
かといって白身がゆるすぎると、食べてくれません。
日本ではそういった子どもの好みはワガママとされ、好き嫌いせず食べるよう叱るかもしれません。
しかしヨーロッパでは、それを個性と捉えるようです。
今では彼女の希望を聞き入れつつ、彼女が出会ったことのない料理もなんとか食べてもらえるよう工夫しています。
メンチカツや春巻きを、食べず嫌いせずに平らげてくれた時は、本当に嬉しかったですね。
夫の両親はベルリンで暮らしているので、そう頻繁に会いには行けませんが、たまに訪れると心から歓迎してくれます。
義父はオーケストラ所属のヴァイオリニストとして世界各国を訪れ、来日もしていますから、もともと外国人に慣れているのでしょう。
異文化に対してとてもオープンなファミリーなので、恵まれているなと感じています。
義母は、家族に台所仕事を手伝ってほしいなどとは露ほども思っていないようです。
私も、手伝うとかえって義母に気を遣わせると思うので、お客さんに徹しています。
夫の姉には3人の子どもと孫までいるので、4世代で集まって食事をすることも。どこにも属さない根無し草のような私にこんな日が来るなんて、想像もしていませんでした
人生をなおざりにしない 夫とは、1年のうち約半年間は離れて生活しています。
彼も私も、それを寂しいとは思っていません。
彼もアーティストとして一人の時間が必要ですし、私もそう。常に一緒にいなくても、お互いに自立したうえでよい関係を築きたいというのが、私たち2人に共通した考えです。
その点で一致していなければ、たぶん結婚していなかったでしょう。
それまで私が犠牲にしてきた「生活」というものが人生に入ってきたことで、かえってオンとオフの切り替えが楽にできるようになったと思います。
私は先天性臼蓋骨形成不全という股関節の問題を抱えており、
痛みで歩行が困難になることも。
そのような肉体的なハンデがあるがゆえに、常に身体のメンテナンスを必要とするのですが、コロナ禍でそれもままならなくなりました。
そのうえ庭仕事で無理をしたため、ついには身体が悲鳴をあげてしまい……。
オーストリアの理学療法士に、身体は鍛えると同時に緩めることもとても大事だと指導されました。
体も心も緩めるときは緩めよう。
そして、何でもない日常をこそ誰はばかることなく存分に楽しもう──そう思えたことで、私の人生は大きく変わったと思います。
日記の中にも、こう記しています。
「たかが知れた演技のために人生をなおざりにして来た愚か者だったのだ」と。(笑)
(構成=篠藤ゆり)
中谷美紀