“宇宙”でまちづくり 宇宙版シリコンバレーの中心をめざす北海道大樹町
人類が初めて月面に降り立ってから、すでに半世紀が過ぎた。かつては宇宙開発といえば国家規模で行われる事業だったが、近年では民間企業の参入が著しい。いまやロケットや人工衛星の製造・打ち上げに関わる産業に留まらず、さまざまな宇宙ビジネスが民間企業から生まれようとしている。その宇宙産業を支えながらまちづくりを進めているのが、北海道の大樹(たいき)町である。めざすは、多くの航空宇宙関連企業が集積する「宇宙版シリコンバレー」の中心となるスペースポートの開設だ。
大樹町は広大な十勝平野の南西部に位置し、西は日高山脈に由来する山岳地帯に、東の平地は太平洋に接している。町の面積は815km2で、大阪市(225 km2)の3.5倍以上あり、ここに5445人(2020年7月末現在)が住んでいる。基幹産業として酪農および漁業が営まれている。
ロケットの打ち上げに適した地形と気候
そもそも、なぜ大樹町が宇宙のまちづくりをめざすようになったのか。そこには、太平洋に面し、東側と南側に海が開けているという大樹町の地形が大きく影響している。通常、静止軌道に向かって人工衛星を投入する場合、より少ないエネルギーで静止軌道に到達させるには、低緯度地点から真東方向へロケットを打ち上げる。また、地球全域を観測する太陽同期軌道に人工衛星を投入する場合は、ロケットの発射方位角を南南西に取ることが望ましいとされている。
鹿児島県の種子島や内之浦にあるロケットの射場は、どちらも真東への打ち上げは可能だが、太陽同期軌道へ打ち上げる際は打ち上げ後の軌道修正に大きなエネルギーを要するという。一方、十勝平野の南西部に位置する大樹町は、静止軌道に向かっては真東にロケットを打ち上げられ、太陽同期軌道に向かっても既存の射場よりも少ないエネルギーでロケットを軌道に乗せられる。
大樹町の企画商工課航空宇宙推進室推進係の西尾真也係長は、「これらの条件に加えて、大樹町の太平洋側は平坦な土地が続いていることから、今後規模を拡張する際にも活用しやすいだろう。気候の面からも年間を通じて晴天が多くて風は弱く、落雷も少ない。さらに、冬季でも雪が比較的少ないことから、日本でロケットを打ち上げるにあたって、とても適した条件を持っている」と話す。
太平洋に面し、東側と南側に向けてロケットの打ち上げが可能な大樹町多目的航空公園(写真提供:大樹町)
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町長の夢から始まった30年を超える宇宙への取り組み
ロケットの打ち上げに有利な場所として、大樹町に目が向けられたのは最近の話ではない。北海道東北開発公庫(現日本政策投資銀行)が1984年に北海道大規模航空宇宙産業基地構想を発表した際、当時の大樹町の野口武雄町長が「これからのまちづくりには夢が必要だ」と訴え、鹿児島県の種子島・内之浦に次ぐ国内3番目のロケット射場の候補地として手を挙げたことが始まりだった。
最初は町民も半信半疑だったというが、町長のリーダーシップによる積極的な誘致活動の結果、1987年には北海道新長期総合計画の戦略プロジェクトの一つとして「北海道航空宇宙産業基地構想」が組み込まれ、大樹町が候補地として選ばれた。翌年の1988年に「大樹スペース研究会」が設立され、実際に宇宙に関わるさまざまな取り組みが始まった。大樹町における「宇宙のまちづくり」への取り組みは、すでに30年を超える歴史がある。
1995年には航空宇宙産業基地構想実現への第一歩として大樹町多目的航空公園が竣工し、土を押し固めた転圧滑走路が1km×30mの規模で整備された。この滑走路は1998年に舗装化され、国産旅客機のYS-11が離発着できる過重まで耐えうる構造となり、幅広い利用が可能になった。2003年には、航空宇宙技術研究所及び情報通信研究機構によって、管制棟や格納庫などが大樹町多目的航空公園内に整備された。
2004年の成層圏プラットフォーム定点滞空飛行の実験では全長68mの飛行船を高度約4kmの上空に常駐させて通信を行う試験を行っている。これが、大樹町におけるJAXA(宇宙航空研究開発機構)との本格的な実験の始まりとなった(成層圏プラットフォーム定点滞空飛行の最終目標は、全長250mの飛行船を高度20kmに浮遊させて衛星などとの通信に利用すること)。その後、大樹町とJAXAは2008年に連携協力協定を締結。多目的航空公園内のJAXA所有施設を大樹航空宇宙実験場として、大気球を用いた宇宙科学実験も始まった。「これらを機に、JAXAの多くの実験が大樹町で実施されることになった」(西尾氏)。
大樹町多目的航空公園内に整備されているJAXA大樹航空宇宙実験場の施設。左から、飛行管制棟、格納庫、大気球指令管制棟(撮影:元田光一
大樹町における民間企業の取り組み
大樹町で宇宙への取り組みを行っているのはJAXAだけではない。2002年には特定非営利活動法人の北海道宇宙科学技術創成センター(HASTIC)が中心となり、「CAMUI型ハイブリッドロケット」の最初の技術実験機が大樹町で打ち上げられた。このロケットは、北海道大学などと協力して、植松電機をはじめとする北海道内の民間企業によって開発が進められている。
さらに2011年には、堀江貴文氏が創業者となるSNS株式会社が初のロケット「はるいちばん」の打ち上げ実験に成功。2013年にはSNS社のロケット開発部門が、子会社としてインターステラテクノロジズを設立し、大樹町に事業所が開所された。インターステラテクノロジズは、推力1.2トン級エンジンの燃焼実験や、観測ロケット「MOMO」と人工衛星軌道投入機「ZERO」の打ち上げなど、さまざまな実験を大樹町で行い、2019年には日本では初となる民間企業単独での高度100km以上の宇宙空間到達を達成している。
大樹町で打ち上げられたロケットの一部は、大樹町多目的航空公園内の「大樹町宇宙交流センターSORA」に展示されている。「大樹町宇宙交流センターSORA」は2014年に完成(2018年にリニューアルオープン)した施設で、展示室や集会室を兼ね、子どもたちの修学旅行や研修の際の工作体験、講演会などが行われている。
「大樹町宇宙交流センターSORA」では、大樹町から打ち上げられたさまざまなロケットが実際に見られる(写真撮影:元田光一)
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民間による宇宙産業ビジネスへの期待が高まる
規制緩和や情報セキュリティ対策などの法整備が整いつつあることも、民間企業の宇宙産業ビジネスへの参入を後押ししている。従来は宇宙開発利用は研究開発が中心だったが、2008年に宇宙基本法が成立。これによって「産業振興」「安全保障」「研究開発」を三つの柱として進めることになった。2016年には「宇宙活動法」と「衛星リモセン法」の宇宙2法が成立した。「宇宙活動法」では、民間の宇宙活動を推進するため人工衛星などの打ち上げを許可制とし、人工衛星の落下などによる大規模な事故の損害賠償責任については、一定要件の下、政府による補償を可能にした。また「衛星リモセン法」によって、人工衛星で地球表面を観測したデータが悪用されない基準やルールも明確になった。
宇宙産業ビジネスで特に注目を集めているのが、小型の地球観測衛星を活用した「衛星観測ソリューション」だ。従来、地球観測衛星からの観測データは防災計画の策定や森林保護などに利用されてきたが、昨今では株価予測やマーケティングなど、これまで宇宙とはまるで関わりのなかったビジネスへの活用が期待されている。
いま民間企業の小型衛星打ち上げが多数計画されており、小型衛星を安価に打ち上げることが可能な小型ロケットの重要性も高まっている。小型ロケットの打ち上げ射場としての大樹町への期待は大きい。多数のロケットが打ち上げられるようになると、そこには多くの人が集まる。2017年に日本政策投資銀行と北海道経済連合会が発表したレポートによると、大樹町にロケット打ち上げ射場が整備されると、観光客や出張者が増え、雇用や消費も拡大し、「年間で267億円の経済効果がある」と予想されている。
いまも地元の道の駅などに宇宙コーナーを作って、宇宙食などの宇宙関連商品を販売している。しかし、大樹町 企画商工課の航空宇宙推進室推進係の女鹿智貴主事によると、「大樹町を訪れる観光客もいるが、観光で盛り上がるという事態にはなっていない」という。
大樹町にある道の駅「コスモール大樹」では、小規模だが宇宙に関連したさまざまなグッズが売られている(写真撮影:元田光一)
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「宇宙版シリコンバレー」の起点になるスペースポートをめざして
大樹町は2019年6月、ロケット打ち上げ射場の整備を加速化するための調査会社「北海道航空宇宙企画」を設立した。代表取締役に大樹町の酒森正人町長が就任し、顧問委託先にはトヨタ自動車元副社長で現豊田中央研究所アドバイザーの加藤光久氏やインターステラテクノロジズの稲川貴大代表取締役社長などが名を連ねている。
大樹町が町の将来像として描いているのが「北海道スペースポート」構想だ。スペースポートとは、長距離滑走路やロケット打ち上げ射場を備え、宇宙に行くだけでなく宇宙から帰ってくることも想定した宇宙船空港のこと。北海道スペースポートでは、大樹町多目的航空公園を拡張して、あらゆる種類の宇宙機、航空機の試験飛行を可能にする宇宙船空港が提案されている。
大樹町多目的航空公園の拡張に伴う財源確保として、大樹町では企業版ふるさと納税を募集している。2020年4月20日から2025年3月31日まで受け付けを行い、19億1560万円の寄付を募集する計画だ。クラウドファンディング事業として、「宇宙のまちのロケット開発応援プロジェクト」も進められている。2020年5月1日から2020年8月31日までの募集期間で200万円を集める予定で、集まった寄付金はインターステラテクノロジズのロケットの開発・打ち上げに必要な設備を整備するために活用される。
宇宙を軸としたまちづくりでは、環境への配慮も重要だ。この辺りは十勝海岸湖沼群など貴重な自然環境が残っており、そうした財産を次の世代に残すために、自然保護協会と情報を密にし、双方の意見を調整して進めている。「残すべき所は残し、自然環境との共生と活用に配慮しながら開発を進めていく」(女鹿氏)。ロケットの打ち上げ射場となる大樹町多目的航空公園内がある周辺は牧草地で民家も少なく、「ほとんどの町民が応援してくれている」(西尾氏)という。
大樹町では、宇宙関連団体や企業と地元住民との交流も積極的に行われている。
⼤樹町宇宙交流センターSORAでは、星空観察会やモデルロケット製作教室などが実施され、研修室で制作したモデルロケットを実際に滑走路で打ち上げた。また、漫画家の松本零士氏が理事を務める「日本宇宙少年団」の大樹分団が置かれ、ロケット打ち上げ射場の見学やJAXAの大気球の皮膜を使った熱気球の製作、ペットボトルロケットの製作教室が開催されるなど、大樹町では小学生の頃から航空宇宙と接する機会がいろいろと設けられている。
ペットボトルロケットを製作したり、実際にペットボトルロケットを打ち上げて距離を競うコンテストを毎年開催したりしている(写真提供:大樹町)
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道立北海道大樹高校においても「地域人材を活用した後援会」が毎年開かれており、航空宇宙に関する講演が行わている。また、JAXAの事業所がある市町村で年1回実施されている、全国の高校生を対象にした「JAXAスペーススクール」(主催:JAXA)も開催された。毎年10月の大樹町教育の日には「大樹町教育の日講演会」が開催され、JAXAの教授やインターステラテクノロジズの職員などによる講演が実施されている。
世界的に宇宙ビジネスが活発化する中、大樹町は日本のみならず海外のロケットやスペースプレーンも打ち上げられる開かれたスペースポートを開設し、「宇宙版シリコンバレー」の中核となるまちづくりをめざしていく。
大樹町 企画商工課 航空宇宙推進室 推進係 係長の西尾真也氏(左)と主事の女鹿智貴氏(右)(写真撮影:元田光一