ロシア極東、異例の反政権デモ
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プーチン氏レームダック化か
拘束されたハバロフスク地方のフルガル知事=2020年7月10日、モスクワ
ロシア極東の中心都市の一つ、ハバロフスク市で、反政権デモが1カ月半以上も続く異例の事態となった。発端はプーチン政権が7月に捜査当局を使い、2018年に民意で選ばれていた地元知事を「殺人容疑」で拘束・連行したこと。新型コロナウイルス禍でも、いやコロナ禍にあるからこそ、釈放を求めるデモの火は燃え広がり、いつもは即時に鎮圧する政権も下手に手出しができなくなった。
背景にはもう一つ、先にわざわざ憲法改正に踏み切った事情からも分かるように、プーチン大統領のレームダック(死に体)化が実は静かに進んでいることもありそうだ。政権は最近、誤算に誤算を重ねる傾向が著しい。政権を批判する活動家、ナワリヌイ氏が毒を盛られたとみられる症状で意識不明になる事件も重なり、内政は混沌(こんとん)としてきた。(時事通信社・前モスクワ特派員 平岩貴比古)
棄民の心理
洪水に見舞われたハバロフスク地方・大ウスリー島の住民=2013年8月20日、大ウスリー島
「われわれはフルガル(知事と同じ)」「ロシアは出て行け」 ハバロフスク市の街頭を、住民がプラカードを掲げて行進し、スローガンを叫ぶ。夏真っ盛りで、マスク姿もいれば、外している人も多い。もともと、極東の住民は「首都モスクワに見捨てられた」という心理も相まり、独立気質が強いと言われる。一見奇妙な「ロシアは出て行け」との主張は、政権とその取り巻きが富を収奪する一方、自分たちの利益が軽視されているという意識の表れなのだ。 ロシアで「ご法度」の無許可デモが土曜日を中心に連日行われ、その参加者は有力紙の推計で、初日の7月11日は2万5000人、2週目の18日は4万5000人、3週目の25日は6万5000人に膨れ上がった。市の人口は約60万人であり、他都市からの「援軍」がいたことを考慮しても、その規模の大きさが分かる。実際、デモに繰り出す住民を支持する声は、極東の他都市だけでなく、モスクワにも広がった。 この市を中心とするハバロフスク地方(州と同格)のフルガル知事は7月9日朝、自宅近くで突如拘束された。捜査当局によると「容疑」は極東で04年と05年、複数の企業家に対する殺害・襲撃を首謀したという内容。ロシアで政治家を含む有力者が何らかの事件に関与したと指摘されること自体は珍しくないが、かなり昔の事件を蒸し返した(あるいはでっち上げた)という点で、住民は疑問を抱いた。拘束直後、知事報道官はフェイスブックで「フルガル氏はまともで大変誠実な人物であり、どんな知事だったかは住民が判断すること。政治ショーのようだ」と批判した。 拘束をめぐっては、プーチン大統領の続投を可能にするため6月25日から7月1日にかけて実施された憲法改正の全国投票で、ハバロフスク地方の賛成票が少なかったことが問題視されたという見方も出た。ただ、そもそも当選時点からフルガル氏は、政権にとって煙たい存在になっていた
「ノー」の象徴
北方領土に向かうイシャエフ極東連邦管区大統領全権代表=2012年7月3日、ユジノクリリスク
フルガル氏は極右・自由民主党所属。自民党は国政野党だが、プーチン政権に協力する「体制内野党」と呼ばれ、本来なら政権を脅かす存在でない。しかし、プーチン大統領が18年、最終任期の4期目に入るや否や、国民への年金支給開始年齢の引き上げを断行すると、政権支持率は急落。その年の秋に行われた知事選で、政権与党「統一ロシア」の現職候補に対する批判票がフルガル氏に集まる結果となった。 14年のウクライナ南部クリミア半島併合は、欧米の制裁によるロシア経済の疲弊をもたらしたが、固有の領土という歴史的な「正義」の実現を重視して国民は耐え忍び、愛国心を支えに踏ん張った。一方、年金改革という「懐」に手を突っ込む行為は、国民への背信行為に他ならない。フルガル知事の誕生は、ハバロフスクの住民の政権に対する「ノー」の意思表示の象徴だった。就任後の政治姿勢は、前任者に比べて清廉なものと受け止められ、人気は高かったようだ。 18年の統一地方選では、同じ極東の中心都市ウラジオストクを擁する沿海地方でも知事選が行われた。やはり現職の知事代行が、最大野党・共産党候補との決選投票にもつれ込んだ末、不正疑惑が持ち上がって勝利できず、プーチン政権がやり直し選挙をお膳立てし、統一ロシア所属の別の政治家をやっとのことで当選させた。極東の反政権機運は顕在化し、中央がにらみを利かせるための極東連邦管区の拠点は18年末、逃げるようにハバロフスクからウラジオストクに移された。 政権与党がハバロフスクの支配権を失ったことは、プーチン政権にとって衝撃だったに違いない。ちなみに翌19年3月には、フルガル氏が破った現職知事の前任者に当たる大物政治家が拘束されている。1991年からハバロフスク地方知事、09年から13年まで極東連邦管区大統領全権代表を務め、北朝鮮の故・金正日総書記の訪ロにも随行したイシャエフ氏だ。突如、極東の経済発展をめぐる汚職容疑が掛けられた。大統領府筋が有力紙に語ったところでは、イシャエフ氏は問題となった知事選で中央の意に反し、フルガル氏支持に回っていた。政権の怒りを買ったとみられている
空気が読めない政権
首相時代にハバロフスクを訪問したプーチン大統領=2010年8月26日、ハバロフスク
野党のフルガル知事の誕生から、その拘束に伴う今回のハバロフスク市のデモ発生までの流れに横たわる問題は根深い。表面的な現象だけでなく「何が起きているか」という内実を理解するためには、内政をつぶさに観察しなければならないだろう。 日本でロシアと言えば、北方領土問題を含む日ロ関係か、強権指導者というイメージのプーチン大統領個人くらいにしか注目が集まらず、いわゆるロシア専門家の間でも内政はそれほど人気がないように見受けられる。ただ、極東でのデモは、プーチン大統領の長期続投に道を開いた憲法改正の直後に起きていることもあり、政権のレームダック化を推し量る材料として極めて重要だ。巧みに権力を掌握して求心力を高めた1、2期目と異なり、最近のプーチン政権は民意を見誤っている、つまり「空気を読めていない」可能性があるのだ。 まず、なぜ7月9日にフルガル知事の拘束に踏み切ったのか。過去の何らかの事件や統一地方選を含む権力闘争で、フルガル氏が政権にとっての「レッドライン(越えてはならない一線)」を渡ってしまったことは想像に難くない。しかし、拘束を発端に数万人規模の反政権デモが起き、制御不能な事態に発展しまうシナリオが読めていなかったとすれば、政権の判断力が衰えていることを意味する。 ロシア国民は一般的に、短い夏には休暇を優先するため、デモは起きにくいと言われている。歴史を動かしたロシア革命の「二月革命」と「十月革命」(いずれもユリウス暦)も暖かい時期ではない。だからこそ、政権は16年の下院選を12月から統一地方選と同じ9月に前倒しした。「夏の選挙は大変静かで(大規模デモなど)深刻な事態に陥らない」(ロシアの政治学者)からだ。今回のような真夏のデモは珍しく、新型コロナの影響でいつも通りの夏季休暇に入っていないこともあり、9月の統一地方選への影響は不可避とみられている。18年のハバロフスク地方知事選でのフルガル氏勝利からも分かるように、かつて盤石だった政権与党・統一ロシアは、ただでさえ退潮傾向が顕著となっている。
後任人事は失敗
知事代行に任命されたデクチャリョフ氏=2017年12月1日、モスクワ
政権のもう一つの判断ミスは、フルガル知事の拘束と解任に伴う、後任の任命人事だ。プーチン大統領は7月20日、フルガル氏と同じ極右・自民党に所属する若き下院議員、デクチャリョフ氏を選挙が来年行われるまでの知事代行に充てた。デクチャリョフ氏は人事を受けて「すぐにでもハバロフスク地方に飛んでいく」と意気揚々だった。 ところが、この人事が住民の怒りの火に油を注ぐことになる。「同じ野党の自民党なら不満が収まるだろう」と政権は考えたのかもしれないが、それは中央の論理だった。拘束されたフルガル氏は「住民が選んだ知事」、デクチャリョフ氏は「クレムリンが落下傘で送り込んだ知事代行」とイメージが対照的であり、デクチャリョフ氏がハバロフスクに到着早々、デモ隊の前に姿を見せなかったことは不興を買った。 デクチャリョフ氏は、直近まで下院で体育・スポーツ・観光・青年問題委員長を務めていた。サッカー・ワールドカップ(W杯)ロシア大会開催による愛国心高揚や、ビザ簡素化など「開国」を通じたインバウンド(外国人旅行者)誘致で、功績が認められていたようだ。形式上は野党の自民党所属とはいえ、かつてのソ連・共産主義時代で言えば「ノーメンクラトゥーラ(任命職一覧表)」の中にいるエリート層で、ハバロフスクの住民がそれを肌で感じないわけがない。デクチャリョフ氏は、ロシア・アイスホッケー連盟においては、プーチン大統領の柔道・ホッケー仲間であるアルカジー・ロッテンベルク氏の下で役員を務め、政権の覚えがめでたかったとみられる。 おまけに、デクチャリョフ氏は、遠く離れた中部サマラ(旧クイブイシェフ)で生まれ、そこでの地方議員がキャリアの始まり。ハバロフスクとは縁もゆかりもなかった。自分たちで知事を選んでいた住民が「頭越し」の決定に反発するのも無理はない。 実際、ハバロフスク地方知事代行の人事発表後、反政権デモは収束せず、スローガンに「デクチャリョフ、帰れ」が加わった。住民への対応は後手に回っており、ある政治学者は有力紙に「彼の最初の一手は、その人事自体と同様、失敗に終わったようだ」と冷ややかに分析した
改憲という「弱さ」
ハバロフスクでフルガル知事の釈放を求める無許可デモ参加者=2020年8月1日、ハバロフスク
ハバロフスク市の反政権デモは結局、7月11日の開始から1カ月半以上続いた。これに呼応するモスクワなどでのデモに対し、当局は厳しく対処したものの、ハバロフスクは一部の例外を除いて基本的にノータッチの状態だった。 住民はデモに際し、中央からの独立の象徴としてハバロフスク地方旗(緑・白・水色の三色旗)を手にした上で「ロシアは出て行け」と書かれたプラカードを掲げている。こうした「分離・独立運動」は本来なら、憲法改正で禁止された「領土割譲」の活動や呼び掛けに該当しかねないが、プーチン政権は静観を決めている。 住民が信頼したフルガル知事の拘束と解任、中央が送り込んだデクチャリョフ知事代行の任命と、プーチン政権は「空気を読めない」対応が目立つが、デモ鎮圧がむしろ問題をこじらせる危険性があることだけは、少なくとも理解しているのかもしれない。現地からの情報では、治安機関要員とみられる黒い私服姿の人物がカメラを回している様子が目撃されており、デモの一部始終は監視されているもようだ。過去の政権の対応からすると、街頭行動を許容して住民の不満のガス抜きを図った上で、デモがフェードアウトする「軟着陸」を辛抱強く待っている可能性がある。 もっとも、今回と過去では状況が異なっており、注意が必要だろう。 18年の年金改革に対する国民の反発は、その4年前のクリミア半島併合で実現したプーチン大統領の高い支持率を、一気にリセットした。毎年秋の統一地方選で政権与党が負け続きだったところ、プーチン政権は大統領4期目任期が切れる24年を前に、レームダック化を回避すべく、続投を可能にする憲法改正を強行した。そもそも安定した政権であれば、制度変更は必要ないはずで、憲法改正は「プーチン政権の弱さの表れ」という側面も踏まえておく必要がある。 こうした中、新型コロナの感染拡大がロシアを襲った。欧米の制裁から立ち直っていない国内経済が、事実上のロックダウン(都市封鎖)に伴う経済活動停止と失業者増加に直面した。さらに、死者・感染者数が少なく抑えられているのではないかと国民が公式統計に不信感を持つ一方、ただでさえ防護具などが不足して危険にさらされる医療従事者が、政権によって約束された特別手当をすぐに受給できず、インターネット上で不満の声を動画にして公開する「一斉蜂起」に出た
背景にコロナ
新型コロナウイルスのワクチン=2020年8月6日、モスクワ[ロシア直接投資基金提供]
7月4日発効の憲法改正には、LGBTなど性的少数者の権利制限や領土割譲の禁止など、保守派の要望を反映させて政権基盤を固め直す狙いもあった。しかしながら、プーチン大統領の支持率を上昇させるどころか、ハバロフスク地方知事を拘束したことで、1週間後の11日から反政権デモの開始を許してしまった。 政権のもくろみを狂わす新たな要因として、新型コロナに伴う政治不信や社会不安もある。米国では5月25日、中西部ミネソタ州ミネアポリスで黒人男性ジョージ・フロイドさんが白人警官に暴行を受けて死亡し、翌日に始まった人種差別への抗議デモが全米に拡大したことが記憶に新しい。「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命は大切)」のスローガンを掲げるデモは過去にも発生しているが、今回はインターネットの影響やトランプ政権下の国民分断のほか、非白人社会がもっぱら新型コロナのしわ寄せを受けているという素地があり、デモの火が瞬く間に燃え広がった。 「コロナ」が「社会不安」を生み、その中で「デモ」が拡大するという動きは、国を問わず共通しているようだ。日本でも、スタンドプレーで目立つことを嫌う伝統からしてデモは起こりにくいものの、新型コロナ禍で不満がたまり、実社会やインターネット上で一部の人々が攻撃的になっている傾向は指摘されている。 ちなみに、プーチン大統領は8月11日、ロシア政府が世界で初めて新型コロナの国産ワクチンを承認したと満を持して発表した。ただ、承認は「見切り発車」という見方が強い。臨床試験(治験)の実施状況が不明瞭で、欧米など国際社会から安全性を疑問視されているだけでなく、当のロシア国民も「経済大国の中国がまだなのに、なぜロシアが先行できたのか」といぶかっている。 政権としては、対外的にはワクチン外交を進めてロシアの存在感を発揮し、国内では対応が遅れた新型コロナ対応の挽回をアピールしたい考えとみられる。とはいえ、ロシア国民の信頼を取り戻すのは一朝一夕では難しい。経済危機からの脱却も依然、容易ではない中、厳しい世論は、政権の長期化の可否を占う判断材料としても重要だろう。先の憲法改正で自動的に、プーチン大統領がさらに2期12年務めることが保証されたわけでは決してなく、非政府系の世論調査によれば、続投を「望む」「望まない」の回答はおおむね二分されている
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