マスク戦争? なぜアメリカ人はマスクを嫌がるのか
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マスクめぐる論争
ワシントン州が公の場での住民のマスク着用を義務付けたことに反発し、抗議する人々=2020年6月27日、米ワシントン州バンクーバー【AFP=時事】
世界一の感染者数と死者数を出し、いまだに収束の兆しすら見えないアメリカのコロナ禍。2カ月以上に及ぶロックダウンが徐々に解除される中、手洗いやソーシャルディスタンスなどとともに推奨されているのがマスク着用だ。しかし、日本人には想像しづらいだろうが、アメリカではこのマスクをめぐり激しい論争が起きている。米メディアで現地の生の姿を取材してきた日本人ジャーナリストが、アメリカ人のマスク観や、なぜ頑なに拒む人がいるのかを解説する。
【写真】美容サロンのショーウインドーに、おしゃれなデザインのマスクが並ぶ
筆者が住むカリフォルニア州オレンジ郡では、ショッピングモールや映画館、バー、フィットネスジムなどの営業が次々に許可され、経済活動が急ピッチで再開してきた。 同時に、コロナ感染拡大を抑えるため、郡政府は店内や職場、さらに6フィート(約180センチ)以上のソーシャルディスタンスを取れない場所ではマスクや布で顔を覆うよう義務付けた。 しかし、一部の住民がこれに強く反対。郡議会に詰めかけるだけでなく、マスク着用を発令したニコール・クイック公衆衛生長官の自宅前でも抗議デモを行った。 議会で発言したある抗議者は、マスクによって酸欠状態になるといったネットで拡散する情報を基に健康被害を主張。 「人がハエのようにバッタバッタと倒れ出したら、あんたを殺人罪で起訴するよう検察に申し立てる」とクイック氏を脅した。 ストレスに耐えきれなくなったクイック氏は辞任した。郡はマスク着用令を撤回したが、その後すぐに感染拡大を危惧するギャビン・ニューサム知事が州全体に同じような命令を出した。ただし、反発は根強く、オレンジ郡の保安官は、マスク着用は個人の責任であるとし、取り締まりは行わないと明言している。 こうしたマスクをめぐる争いは、人々が外出するようになり、アメリカ各地に広がっている。 スーパーやレストランでは、マスクをつけない客と店員がもめる騒ぎが頻発。ミシガン州では、客と口論になったディスカウント店の警備員が銃で撃たれて亡くなった。 また、フェイスブックなどのソーシャルメディアでマスクについての投稿があると、決まって擁護派と反対派の間で激しい議論になる。 マスクは筆者が繰り返し強調してきたアメリカ分断の象徴にすらなっている。多くのアメリカ人はマスク着用を他人の健康を守るマナーだと考えるが、価値観の押しつけやコロナへの過剰反応だと捉える人もいるのだ。
米国のマスク観
5月から夏にかけて海水浴で賑わうカリフォルニア州オレンジ郡のビーチだが、ところどころにソーシャルディスタンスを呼びかける標識が置いてある=2020年5月、米ニューポートビーチ【志村朋哉氏撮影】
コロナ以前からマスクが日常に浸透していた日本などのアジア諸国とは違い、アメリカでは公の場でマスクを付ける人はほぼ皆無だった。目にするのは、病院や工事現場くらいでだった。 健康な人が身を守るのにマスクは効果がない、病気の時は外出しないという考えが浸透している。マスクをつけていると、よほど重病なのか、伝染病が流行っているのかなどの恐怖を与えてしまう。 筆者がアメリカの新聞社で働き始めた当初、日本の感覚で風邪を引いた時にマスクを付けて出社したことがあるのだが、その時の周りの反応は忘れられない。会う人みんなが恐怖の表情を浮かべ、「どうしたの?」と尋ねてきた。同僚たちの近づくなオーラが凄まじかった。 また、アメリカで顔を隠すのは犯罪を連想させる。 顔を隠して黒人に脅迫や暴行などを行っていた白人至上主義団体クー・クラックス・クランを取締るため、公の場でのフェイスマスク着用を禁じる法律が定められた州もある。(医療用マスクやコロナ禍のような非常時は適用外。) 人種偏見も絡んでくる。 黒人男性の間では、マスクをつけていると、警察に呼び止められたり、店員や歩行者などに不審に思われたりするとの不安もある。 なので、コロナが広がり街中を歩いている人のほとんどがマスクを付けている光景を目にした時は衝撃だった。(色や柄が多様で、西部劇の列車強盗のようにバンダナを巻いている人も多いのはアメリカらしい。)アメリカでこんな日が来るなんて、とコロナ禍で一番の驚きだったかもしれない。
男性に強い抵抗感
米国で一気に広がった人種差別や警察暴力に対する抗議デモ。国会議事堂をバックに抗議のポーズを取る男性のマスクには「息ができない」のメッセージが=2020年6月24日、米ワシントン【EPA=時事】
マスクを着けた感想を聞くと、息がしづらい、眼鏡がくもる、顔に自分の吐いた息があたるなど、やはり不快だという人が多い。コミュニケーションを取りづらいとの声も聞かれる。 「人間のアイデンティティーにとって、顔以上に重要なものはない」とオレンジ郡在住のグレッグ・リップフォードさん(61)は話す。「相手の顔が見えないと、その人と一緒にいる気がしない。人とのつながりが薄くなってしまう気がするので、一刻も早くマスクを付ける必要がなくなってほしい」 男性の方がマスクに対して抵抗感が強いとの調査もある。マスクをするのに、「恥ずかしい」「ダサい」「弱さを示す」などの印象を持っているという。 アメリカでは日本に比べて、男性が「たくましさ」を重視する傾向がある。男は筋骨隆々であるべき、トートバッグや小さなバッグを持つのは格好悪いなどの偏見を持つ男性にとっては、マスクも同じように「女性的」だと映る。 ドナルド・トランプ大統領が断固としてマスクを付けないのも、弱々しく見えるのを嫌がるからだと言われている。 男性の方がコロナで重症化しやすいというデータもある中、男性のマスク着用率が低いのは皮肉である。 しかし、染み付いた習慣や美徳は、なかなか変えられない。筆者もアメリカに住んで15年以上になるが、いまだに家の中で靴を履いて生活するのには抵抗感があるのと同じだろう。 たかがマスクなのに、とは簡単に言えない背景があるのだ。
政府の方針転換
美容サロンのショーウインドーに、おしゃれなデザインのマスクが並ぶ=2020年6月17日、米ワシントン【AFP=時事】
マスクに関するガイドラインの変化も混乱の原因になっている。 世界中で感染が広がった2月、3月にかけて、コロナ対策の中心を担う米疾病対策センター(CDC)は、症状のない一般市民のマスク着用は推奨しないとの意見だった。 医療従事者用のマスクが不足するのを防ぐためだった、と連邦政府のコロナ対策の顔であるアンソニー・ファウチ国立アレルギー感染症研究所所長は振り返る。医学的根拠の乏しさや着脱時の感染リスク、マスク着用をしている安心感でソーシャルディスタンスを取らなくなる危険性をあげる専門家もいた。 しかし、4月に入り、CDCは立場を一転。症状がなくともソーシャルディスタンスを取れない場合は、マスクや布で口と鼻を覆うようにと呼びかけ始めた。無症状の感染者が咳などの飛沫でウイルスをうつしていると分かってきたからだ。これを受けて、街中でも一気にマスクをする人が増えた。 ただし、このガイドラインが発表された際も、トランプ大統領は、専門家の声を無視するように、あくまで推奨であって義務ではないと強調した。 「マスクを付けてもいいし、付けなくてもいい。私はしないことを選ぶ」 早い段階でのマスク着用が東アジア諸国での感染抑制に貢献し、逆に米政府の遅い対応が死者の増加につながったとの研究も出てきている。 ロックダウンが解除される中、感染を食い止めるには、70?80%の人がマスクをする必要がある、とサンフランシスコ大学でデータ分析を研究するジェレミー・ハワード氏はニュース解説メディアVoxに語った。 カリフォルニアのように感染拡大が心配される州や地方自治体は、独自に着用令を出し始めた。 「あなたがマスクを付け、他の人もマスクをつけることで、お互いを守り合う」とファウチ所長はCNNのインタビューで述べた。
思想の違い
マスクをして卓球をするニューヨークの市民=2020年5月2日、米ニューヨーク【EPA=時事】
嫌がる人が多いのは事実だが、ほとんどのアメリカ人はマスクは必要だと考えている。 CDCが5月に行った調査では、74%が公共の場では常に、もしくは頻繁にマスクをしていると答えた。ほとんど、もしくは全く付けない、と答えたのは17%だった。筆者の観察でも、店内など着用が義務付けられている場所では、ほぼ全員がルールを守っている。 しかし、政治思想や地域によって意見の相違は顕著になる。 さまざまな世論調査で一貫して、リベラルな民主党支持者はマスク着用、義務化に賛成する割合が高い。 「社会全体が協力して、一人一人が小さな犠牲を払うことで、多くの命が助かる」と民主党支持のデービッド・チャンさん(32)は言う。「他の人のためにちょっとした我慢ができないのは自分勝手」 反対に、全体で見れば少数ながら、マスクを拒否する人の多くが保守の共和党支持者だ。 アメリカの保守思想で重要視されるのが、個の自由である。保守派が信奉するトランプ大統領やフォックスニュースなどは、民主党や主流メディアがコロナウイルスに過剰反応していると伝えてきた。コロナは風邪と大して変わらないと考える人々にとって、マスクの義務化は政府による不必要な介入としか映らない。 「マスクをしろと命令されるのには本当にうんざり」と共和党員のリサ・コリンズさん(54)は言う。「体調が悪い時はちゃんと家で待機する。みんなに強制するのはやりすぎ」 実感の違いも保守とリベラルの分断に影響を与えている。 ニューヨーク・タイムズ紙の分析では、民主党寄りな地域の方が共和党寄りな地域よりも感染者数が多い。密度の高い都市部にリベラル派、田舎に保守派が多く住んでいることは要因の一つだろう。 また、民主党の支持基盤である黒人やヒスパニックに感染者や死者が多いことも影響している。こうしたコミュニティーでは、コロナは差し迫った恐怖なのだ。前出のCDCの調査でも、大都市のニューヨークやロサンゼルスでのマスク着用率は9割近い
そろわぬ足並み
ホワイトハウスの庭で開かれた記者会見で、マスクを着けた記者団と、着けないトランプ米大統領=2020年5月11日、米ワシントン【AFP=時事】
各州や市区町村の対応にも政治思想の差が表れている。 リベラルなカリフォルニア州でマスク着用が義務化された一方、保守的なネブラスカ州のピート・リケッツ知事は、マスクを義務付ける地方自治体にはコロナ助成金を与えないと警告した。 民主党が過半数を占める連邦下院議会では、公聴会でのマスク着用が命じられたが、拒否する共和党議員もいてヤジが飛び交った。 一部の保守派にとって、マスクを拒否することは、トランプ大統領への忠誠心を示す手段にすらなっている。トランプ自身、マスクをする人の中には、他者を守るためでなく、単に自分への不支持を示そうとしている者もいる、とウォール・ストリート・ジャーナル紙に語った。 個の自由と公益のバランスを巡っては、アメリカでは過去に何度も衝突が起きている。例えば、今では当たり前となった車のシートベルト義務化にも反対運動が起きた。1918年のインフルエンザ大流行でも、職場にマスクをしていくよう政府が促したが、拒否する人は多かったという。 アメリカは他国に比べて、伝統的に個の自由を重んじるため、韓国や日本などに比べて政策に従わない人が多い、とファウチ所長はワシントン・ポスト紙に語った。 こうしたアメリカの特性がパンデミックへの対応を困難にしていると専門家は言う。感染症では、ルールを守らない少数が全体に影響を与えてしまうからだ。 外出規制緩和に気の緩みも加わってか、半分近くの州でコロナ感染者が増えている。早期に規制を敷き感染者の急増を抑えていたカリフォルニア州も、ここにきて1日の新規染者数が6000件を超えて最多を記録した。 感染を抑えながら経済活動を再開していけるのであれば、マスク着用は大した不便ではないようにも感じるが、多様なアメリカではそれさえも足並みがそろわないのである。 出口は当分、見えそうにない。 (志村朋哉・在米ジャーナリスト) (時事ドットコム編集部)
https://news.yahoo.co.jp/articles/f6046026b3a65d051766e67130021e27cd60fef2?page=4