読むのが、”辛すぎます”

 

生きるって、大変です。

 

私の言えますことは、

 

「神様の、お恵みを!」

 

という言葉しか、今、ここで、思いつきません。

 

人生は、”ほんの、0.1秒で”

 

一転します。

 

 

皆様、

 

今日も、一日、

 

健康で、安全な、一日を、お送りください。

 

 

 

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新婚の夫が事故で脳挫傷 術後は徘徊、大声、妻も認識できず…絶望の淵で二人が見出した光とは

配信

読売新聞(ヨミドクター)

ココロブルーに効く話 小山文彦

 その空港のロビーにはピアノが置いてあり、いろいろな国籍の旅人たちが代わる代わる小品を弾いていきます。クラシックだったり、ロックのバラードだったり、演奏される楽曲も様々です。行き交う人々は、足を止め、ひととき聴き入り、拍手を送ります。  実は、これはテレビで放送されていた、なごやかでほほえましい光景です。この映像を見ていた時、かつて病棟で体験した、あるエピソードを思い出しました。

 

 

 

幸せな暮らしが一転……

 タカコさん、34歳、会社員。建設業を営むユウジさん(40歳)と3年間の交際を実らせ、結婚したばかりです。明るく幸せな日々を送っていましたが、しばらくして、ユウジさんが、建設現場で転落事故に遭い、脳挫傷による意識障害に陥ってしまいました。  総合病院脳外科で血腫を除去する手術を受けた後も、軽い意識障害が続き、誰とも会話がかみ合いません。そのためか、元来は温和な性格だったのに、人が変わったかのように、いつもいらだつようになり、ひどく怒りっぽくなりました。そればかりか、夜間や早朝には病院中を徘徊(はいかい)し、看護師が制すると大声で拒みます。脳外科の医師、スタッフたちも対応に困っていました。  病室で寄り添ってくれる妻のことすらも、時々、認識できないことがありました。結婚したばかりなのに、事故が原因ですっかり変わってしまった夫の姿。「楽しかった毎日は、もう帰ってこない」と、タカコさんは絶望的な気持ちで、泣いてばかりいたそうです。  ある日の深夜、勝手に病室を出ていこうとする彼を止めようとしたタカコさんは、突然、激しい動悸(どうき)と息苦しさに見舞われました。急性のパニック発作でした。  その夜、精神科の当直医は私でした。緊急コールで駆け付けると、病室の隅には、うずくまって、動けなくなっているタカコさんがおり、傍らには大柄な男性がぼう然と立ち尽くしていました。  私は急いでタカコさんを病床に移し、安心を促しながら、鎮静効果のあるヒドロキシジンをゆっくりと注射しました。とぎれとぎれに「す…みま…せん」と周囲に謝り続けながらも、タカコさんは、次第に落ち着きを取り戻しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

回復を目指して、精神科病棟へ

イメージ

 

 

 

 

 ユウジさんの脳挫傷は、まだしばらく経過を見る必要があるものの、転落によってできた血腫は除去済みで、生命にかかわることはありません。ただ、脳外科の診断では、認知のあいまいさ、それに易怒性(いどせい=怒りっぽさ)などが落ち着くまでは、少なくとも数か月はかかるとのことでした。さらに、完全に回復することが難しい可能性もあります。  タカコさんがパニック発作を起こした翌日、脳外科と精神科の合同カンファレンスが行われました。ユウジさんの経過と予後(今後の見通し・診立て)をまとめ、タカコさんにお話しするのは私の役割となりました。悔しさや悲しみなど、彼女にはいろいろ思いがあるはずです。できるだけ理解してもらいやすいように言葉を選びつつ、事実はそのままに伝えました。  前夜のパニック症状に立ち会えたことで、彼女と私の間には信頼、そして意思疎通できる素地ができていたのでしょう。タカコさんは、私の説明を気丈夫に受け止めてくれました。  ただ、病院中を徘徊し、看護師にも大声をあげてしまう夫のことが気にかかっているようで、「病院に迷惑をかけてつらい」とのことでした。  病院の脳外科病棟は、緊急性の高い患者さんが頻繁に入退院します。すでに急性期を脱し、易怒性や徘徊などの精神面の問題が残るユウジさんのケアには限界がきていました。脳外科側と調整し、彼には精神科病棟に移ってもらい、私が担当医を務めることにしました。

 

 

 

 

 

病棟での出会いと希望と

 精神科の病棟にはいくつかの種類があり、病状や問題行動の程度に応じて、開放レベル(保護と制限の範囲)の違いがあります。  ユウジさんは、回復した患者さんが退院を目指す「ストレスケア病棟」に移りました。同じ病棟には、うつ病から回復し、復職を目指すK夫さん(47)や、摂食障害を克服しつつあるY美さん(23)、家庭問題からパニック発作を繰り返したJ子さん(37)らが入院していました。  タカコさんと担当医(筆者)が付き添い、新入患者のユウジさんは「なんとなく」みんなに頭を下げます。J子さん、K夫さんらも、ていねいに挨拶(あいさつ)を返します。Y美さんは、詮索好きな微笑を見せながら、いろいろと話しかけます。そんな雰囲気に、タカコさんも安心してくれたようでした。  数日後、ユウジさんの脳波検査を行い、事故直後、それに1か月前のものと比べてみました。以前は、ぼんやりした意識状態を意味したり、けいれん発作を起こしかねなかったりといった異常所見が出ていましたが、それらはほぼ消えていました。確かな回復の兆しです。感情の起伏を抑えるバルプロ酸の内服とリハビリテーションの段階です。  タカコさんに現状を説明し、ユウジさんにも回復していることを伝えました。  「よかった。この調子で元気になって、おうちに帰ろうね!」  タカコさんは、顔をほころばせて、まるで母親のように彼を励ましたのが印象的でした。絶望しかけた心中に希望の光を取り戻せたことは、その後の彼女自身を強く支える力になったのでした。

 

 

 

 

 

彼女が演奏した「パッフェルベルのカノン ニ長調」

 

 季節は梅雨の真っただ中でした。  ユウジさんの脳波検査から2週間後、レクリエーション行事の「七夕会」が、病院のエントランスロビーで催されました。私の後輩医師がギターを弾き、看護師たちが童謡の「たなばたさま」を歌います。患者さんたちもコーラスに加わっていきます。患者さんたちは、次々と医師や看護師に伴奏をリクエストします。K夫さんも、緊張した面持ちでギターを鳴らしながら、吉田拓郎の「旅の宿」を披露しました。  私はこの日のために、自宅から電子ピアノを運んできました。Y美さんとの約束で、SMAPの「夜空ノムコウ」を一緒に歌うためでした。  看護師長も、「ピアノ、お借りしますよ~」と、「ダニー・ボーイ」(アイルランド民謡)で続きます。  ユウジさんは、椅子に腰かけ、みんなの歌や演奏を静かに聴いていました。ほほえんだり、うなずいたり、その場の雰囲気に調和していました。そのうち、「タカコのピアノが聴きたいよー」と、まだ少し大き過ぎる声で呼びかけました。  タカコさんは、ピアノ演奏が上手らしいのです。その場にいたJ子さんたちも、タカコさんの演奏を聴きたがりました。  はにかみながら、ピアノに向かったタカコさんが演奏した曲は「パッフェルベルのカノンニ長調」。やさしい調べが、吹き抜けの天井までこだまして、とても穏やかな時間が流れていきました。

彼と彼女を回復させたもの

 その後、リハビリをこなしたユウジさんは、事故からの経過を自身でたどれるようにもなりました。意識不明の重体から回復に至る、いわゆる「通過症候群※」です。やがて、記憶、感情、思考のいずれも正常に回復していきました。まだ、復職にはしばらく時間がかかりそうです。それでも、まずはタカコさんとの暮らしを取り戻すことができました。そして、タカコさんも、パニックの再発はありません。  最後に、このエピソードをふりかえってみましょう。  ユウジさんの通過症候群が回復に至ったのは、運がよかったこともありました。ただ、タカコさんの寄り添いと、ストレスケア病棟が心安らげる環境だったことも、回復を促した要因だったと思われます。一時は絶望の淵にいたタカコさんにとっても、夫の回復という希望を見いだせたことが転機となり、情動不安(=パニック)から脱することができました。  そして、あのロビーには、その場にいた人の心を癒やし、平穏な暮らしへの願いを奏でた、一台のピアノがあったのでした。 ※通過症候群:頭部外傷や脳卒中などにより脳がダメージを受けて間もない急性期から、慢性期(長い経過をとる場合)または回復に至るまでの通過段階にみられる症状群。軽度の意識障害と考えられる

 

 

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/794a63587357750edc3db521d43984744568e551?page=4

 

小山 文彦(こやま・ふみひこ)

小山 文彦

 東邦大学医療センター産業精神保健職場復帰支援センター長・教授。広島県出身。1991年、徳島大医学部卒。岡山大病院、独立行政法人労働者健康安全機構などを経て、2016年から現職。著書に「ココロブルーと脳ブルー 知っておきたい科学としてのメンタルヘルス」「精神科医の話の聴き方10のセオリー」などがある。19年にはシンガーソング・ライターとしてアルバム「Young At Heart!」を発表した。