英国は中国との対決姿勢にかじを切ったのか
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香港の国家安全法制に抗議する人々=香港で2020年5月24日(AP)
https://news.yahoo.co.jp/articles/cd3089025288f04f29ad0eea7bcab12df98c3fb5
中国が、香港の統制を強める「国家安全法制」の新設を決定したことを受け、香港の旧宗主国・英国が対中姿勢を硬化させている。香港返還に当たり、「1国2制度」を50年間保障することで中国と合意した英国では、中国政府が進める近年の香港への統制強化に対し、少しずつ懸念が募ってきていたが、香港の高度の自治を危うくする法制の新設決定で不信感が一気に噴出した形だ。【欧州総局長・服部正法】 【集会禁止の香港】公園に1万人超、暗闇に無数のロウソク 香港問題だけではない。中国通信機器大手の華為技術(ファーウェイ)を巡る問題や、新型コロナウイルス感染拡大への中国当局の対応などを通じて、英国で醸成され強まってきた「中国警戒論」は、今後の両国関係を変え、中国を取り巻く国際関係に影響を与える可能性もある。英国が中国への対決姿勢を強める背景には、どんな思いがあるのか。 ◇英国人に募る中国への警戒感 新型コロナ禍で英国全土がロックダウン(都市封鎖)となったのは3月23日。これより約2カ月前の1月中~下旬、私は英国内の著名な歴史家や国際政治学者らにインタビューを重ねていた。取材テーマは1月31日に迫ったブレグジット(英国の欧州連合=EU=からの離脱)。このころ、英国における最大の関心事は「ブレグジット後」がどうなるかで、専門家の考えや分析を尋ねて回っていたのだが、面白いことに、相次いでほぼ同じ内容の「逆質問」を受けた。インタビュー後の雑談の際、「ところで、中国は将来どうなると思いますか」と尋ねてくるのである。 刑事事件の容疑者の香港から中国本土への引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正案を巡り、香港では2019年6月以降、これに反対する大規模な抗議活動が展開された。「中国の将来」を尋ねる彼らは、香港の状況に言及した。 中国と関係の深い日本から来たジャーナリストの意見や分析を聞いてみたい――との思いだったのだろうが、いかんせん、私は中国問題の門外漢。披歴できるほどの見識を持ち合わせておらず、しどろもどろに私見を述べただけで、残念ながら彼らをがっかりさせてしまったに違いない。ただ、私にとっては、香港問題が英国人にとってはやはり強い関心事であり、香港問題を中国政府について考える一つの重要な要素と捉えていることや、中国が価値観の相いれないグローバルパワーになっていくのではないかと専門家の間に不安感や警戒感が強くなっていることが、強く印象づけられる機会となった。 ◇国家安全法制に対する英政府の激烈な反応 そして、5月28日、中国の国会に当たる全国人民代表大会(全人代)が国家安全法制の新設決定を可決した。言論や集会の自由が保障されている香港で、香港の議会に当たる立法会での議決を経ないまま、反政府活動を取り締まる法律を制定できるようにするという「禁じ手」である。 これに対する英国の対応はスピーディーで、反対姿勢は鮮明だった。 香港には、香港返還(1997年)以前に香港に居住していた人で希望する人に対して英国が発行した「英国海外市民」という旅券を持つ市民が30万人以上いる。英国海外市民は、英国本土にビザなしで6カ月滞在できるが、英国での労働などの権利はない。 パテル内相は28日にツイッターで「(法制が香港に)適用されれば、私とラーブ外相は英国海外市民の市民権(取得)に道を開く選択肢を検討する。英国は香港市民の権利と自由を守り続ける」と投稿。ラーブ外相も同日、「中国が法制実現に進み続けるなら、英国海外市民旅券保持者の地位を変更する」として、その場合、英国海外市民の滞在限度を12カ月まで延長し、労働の権利も認めて市民権取得の道筋をつける意向を表明した。 さらに、ジョンソン首相は6月3日付の英紙タイムズへの寄稿で、ラーブ氏が表明した市民権取得の対象について、現在英国海外市民旅券を保持している人だけでなく、同旅券の申請資格を有する約250万人も念頭に置いていることを明言。「多くの香港の人々の暮らしが脅かされている。中国がこの脅威を正当化しようとするなら、英国は良心に鑑みてこれを放置することはできない」と述べ、断固たる姿勢で中国に臨む姿勢を強調した。 ◇リフキンド元英外相「中国に法の支配ない」 ジョンソン氏の寄稿がタイムズ紙に掲載された3日、私はマルコム・リフキンド元英外相(73)に電話でインタビューする機会を得た。 リフキンド氏は保守党サッチャー政権(1979~90年)、メージャー政権(90~97年)でさまざまなポストの閣外相・閣僚を歴任。メージャー政権で国防相と外相を務めたことから、英外交・安保政策の重鎮として知られる。香港返還は97年7月1日。その直前の5月に行われた総選挙で保守党が労働党に敗れて下野するまでリフキンド氏は外相を務めており、香港への思い入れは深い。英国の人権活動家、ベネディクト・ロジャーズ氏が2017年に創設した、香港の自由や人権状況を監視するNGO「香港ウオッチ」の賛助者にも名を連ねる。 リフキンド氏は、国家安全法制適用について1国2制度を明記した英中共同宣言に違反すると非難する声明文を、「最後の香港総督」だったクリス・パッテン氏とともに作成し、各国の議員に署名を呼びかけ、898人(6月16日現在)の賛同を集めた。また、保守、労働両党の党派の違いを超えた英外相経験者6人とともに、英国がリードして中国に圧力を加える国際的連携を構築すべきだとする書簡を英政府に送付。対中包囲網の形成のため、積極的に活動している。 香港立法会での議決なしに国家安全法制を香港に適用するのは「容認できない」というリフキンド氏が強調するのは、「法の支配」を巡る問題だ。 「根本的なことは、香港には法の支配があるが、中国にはないということだ。中国に法治はあり、法律はある。しかし、彼ら(中国政府)は彼らの政治システムの推進のため、また、反対勢力を犯罪者として取り扱うために法を利用する」 「法の支配がない」ことについてのリフキンド氏の中国に対する懸念と不信感は、かなり以前までさかのぼる。リフキンド氏は16年に著した自身の回顧録の中で、こんなエピソードを紹介している。 香港返還直前、外相のリフキンド氏がカウンターパートである中国の銭其琛外相と会談した際に「法の支配」について持ち出すと、銭氏はリフキンド氏に「心配は無用。中国政府も法の支配を信じている」との趣旨で応じ、さらに「中国では、人々は法に従わねばなりません」と付け加えたという。リフキンド氏は「西洋では、人々だけでなく政府も法の下にあるのだと私が指摘した時、彼(銭氏)はそんな考えは理解できないようだった」と記した。リフキンド氏はこの挿話を、国家安全法制が全人代で可決された翌日の5月29日付の英紙デーリー・テレグラフへの寄稿でも触れ、中国共産党の「法の支配」理解の危うさを訴えている。 リフキンド氏は私のインタビューに対し、「今起きていることは一過性の出来事ではない。国家安全法制の問題は中国政府がこれまで行ってきた、あるいは今後行う一連の戦略の中で起きていることの一つに過ぎない。彼らが行おうとしているのは、香港の自由をひと切れずつ切り取っていく、我々のフレーズで言うところの『サラミ戦術』といったものなのだ」と述べ、中国の香港政策が長いスパンを見据えた戦略に基づいているとの見方を示した。 中国が長期戦略を描くのであれば、英国にもそれに対応する戦略が必要になる。そこでリフキンド氏ら7人の英元外相は次のように英政府に提言した。「我々の提言は国際的に連携するグループの発足だ。これは、北京(中国政府)が何か議論を呼ぶことをしたとき、いちいち最初から国際的な対応を調整する必要がないように、即座に各国が協力し、欧州だけでなくできればアジアの国々も含めて、集約的な対応が可能になるようにしようというものだ」 中国に法の支配はなく、またそれに対し無理解である。そして人々から自由をサラミのように少しずつ削り取り、1国2制度という約束をないがしろにしていく――こういったリフキンド氏が抱く認識は、英国で共有されている中国への今の不信感の根っこにあるものを一定程度代弁しており、英国が中国への態度を硬化させている背景にあるのではないか。 アヘン戦争の末、中国から奪われた香港は英国の植民地統治の長い期間、普通選挙は行われず、「民主はないが、自由はある」(「香港 中国と向き合う自由都市」岩波新書)状態だった。だから、返還が近づいたころになって民主化を進めた「旧支配者」の英国が民主主義の大切さを説き、中国を批判することに、中国側が反発する面もあるかもしれない。しかし、現状では香港市民が、中国とはまったく異なった政治的な自由を謳歌(おうか)しているのも事実であり、それを支える1国2制度の形骸化を見過ごし、許容すべきだとの理由にはまったくなり得ないと私は思う。 ◇コロナ禍が増幅させた中国への不信感 リフキンド氏はまた、こうも言う。 「新型コロナウイルス感染拡大の危機の中、世界中の政府が国内問題と感染抑止対策に専念しているため、それほど反発がないことを中国は期待したのではないか」「香港問題はとても大きな重要な問題だが、コロナ対策でも彼ら(中国政府)はウイルス発生源の特定や発生初期段階で何が起きたのかの確認などについて、国際協力のための現実的な方法を拒んだ」。新型コロナのパンデミック(世界的大流行)を巡って中国が増幅させた不信感も、火に油をそそいでいるようだ。 英国では、中国企業から大量購入した新型コロナの抗体検査キットの信頼性が低いために、結果的に使用できなかったことが報じられ、物議を醸した。保守系の英雑誌「スペクテ-ター」の政治記者、ジェームズ・フォーサイス氏は5月30日の電子版の記事で「『コロナ後』の世界はどう異なるか。明らかに異なるだろうということが一つある。英政府の中国に対するアプローチだ」と述べ、感染防護具を含めた医療物資などの中国からの輸入に象徴されるような、これまで拡大してきた貿易面などでの過度な中国依存からの脱却を英政府が進めていくだろうとの分析を明らかにした。 ◇ファーウェイ問題を巡る新たな動き 中国依存からの脱却という文脈に当てはまる一つの例が、ファーウェイ問題だろう。 ファーウェイ製品・機器を通じて中国政府がスパイ活動を行ったり、サイバー攻撃をしたりするのではとの警戒感から、米国のトランプ政権は各国に同社製品・機器の排除を要求してきた。外交・安保上の米国の盟友である英国だが、次世代通信規格「5G」については今年1月下旬、ファーウェイ製機器の使用を条件付きで容認することを決めた。英国では既に、現行規格「4G」の基地局でファーウェイ機器の使用が浸透しており、全面的なファーウェイ機器の排除は整備の遅れやコスト高を招くとの判断から、そう判断したのだ。ただ、軍施設関連などの通信設備では使用を認めず、使用が認められた設備でもファーウェイ機器の使用比率の上限を35%に抑えることにした。 しかし、その後、与党・保守党の中からファーウェイ機器の5G採用に反対する声が出て、22年12月末をもってファーウェイ機器を排除する修正案が議会に諮られた。同案は否決され、ファーウェイ排除に向けた具体的なタイムスケジュールは設定されなかったものの、採決では保守党から38人が政権に造反し、賛成する事態となった。 そして、英紙タイムズ(電子版)は5月29日、英政府が主要7カ国(G7)にオーストラリア、韓国、インドを加えた、民主国家10カ国の新たな枠組み「D10」で、5Gのファーウェイ依存に対抗していく姿勢を見せていると報道。また、ロイター通信は6月3日、英国当局者が日本のNEC、韓国のサムスン電子と5G関連で協議していると伝えた。 先述のフォーサイス記者は自身の記事の中で、ジョンソン首相に極めて近い人物がフォーサイス氏に対し「元の案(ファーウェイ機器の条件付き容認)は死んだ。問題はどう(政策)転換を設定するかということだけだ」と述べたと明らかにし、5Gからのファーウェイ機器の完全排除か期限付き使用の容認かに選択肢は限られていると記した。今後の動きは読みにくいが、事態はファーウェイ排除の方向に動き始めているのは確かだろう。 ◇「針の穴」を通す英国の対中姿勢 つい最近まで英中関係は良好だった。成長する中国との関係強化を国益増進につなげようというキャメロン政権(10~16年)時のオズボーン財務相が進めた対中戦略は「オズボーン・ドクトリン」とも呼ばれ、「(英中関係の)黄金時代」や「西側で最良のパートナー」を目指すなどといった言葉がメディア上などで躍るなど、突出した接近志向が目立った。その後のメイ政権、現在のジョンソン政権ではそれほどの蜜月ぶりは目に付かず、一定の距離を置いた関係で推移してきた。では、ここに来て英国は対中政策をオズボーン・ドクトリンから正反対の対決姿勢へと大転換させたのだろうか。 「英国の根本的な(対中)政策は、『関与』と『敵対』という(両極の方針の)間で、針に糸を通そうとするような試みが続いていると思う」。英王立防衛安全保障研究所(RUSI)の上席アソシエートフェローで中国問題に詳しいラファエロ・パントゥッチ氏は、ウェブ会議システム「Zoom(ズーム)」を使った私のインタビューにそう答えた。 パントゥッチ氏は「英国が世界的な気候変動対策や発展途上国の問題において何らかの成果を得ようとするなら、中国とともに協力しなければならないし、英国が開かれた市場経済を維持したいと思うなら、中国から切り離されることはあり得ないということを認識せざるを得ない」と、英国にとって中国への積極的な関与、関係強化が重要であることを説明。一方で、「中国との間では根本的な問題がいくつかあり、特に中国が香港で行っていることは英国にとって道徳的な意味で大きい。英国には香港に関してある種の責任があるからだ」とも指摘、「英国は今後の政策をどうしていくか、まとめ切れていない」と分析する。 中国は9月までに国家安全法制を香港で実施したい考えと見られている。英国と中国の関係、そして、それが西側各国の今後の動きにどう波及するか、目が離せない状況が続きそうだ