日本に行って、日本の街(まあ、おおくは、東京ですが、ときには、近郊の県、周辺)
日本の若者たちを見ておりますと、
本当に、
あやふやさ、を感じますし、
(はたから見てーーー)自信があるんだろうか?とも、感じますし、
弱弱しく見えますし、
女性に、もてなそうに見えまうす、というより、怖くて、しかも、どう話しかけたらいいのか、
全然、分からに?と感じ受けます。
しかも、日本にしか、生きていないんだなあ!!!とも見えます。
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”自信”と、呼ばれますものは、
つけようとして、つけるものではありませんし、
「ふと、気が付いた時、第三者的に、俯瞰的に自分を見た場合、ああ、全然、怖くないなあ、
ゆとりさえあるなあ、怖いと感じるなんて、考えたこともないなあ!-----
というのが、知らない間に、意識せず、着いたものが、
自信であり、
実力であり、
努力やたくさんの経験、
人の5倍くらいの勉強と試行・思考
で、つけようと思って、意識して、つけようと策略したものでもありません。
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若い人たち、
恋愛であろうと、
ナンパであろうと、
会社での仕事であろうと、
人生に対する向き方、姿勢であろうと、
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結局は、頭脳明晰に、論理的に、効率的に、勉強、努力、した人間が、
メトロで単に、しりもしない赤の他人様から、見られようが、
同僚や、上司から、観察さられようが、
女性達から、見られようが、
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そういう”見られ方”
というものは、「自ずと、不思議に、雰囲気を醸し出すものです」
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ゲームやっている時間があるのなら、
LINEばかり、やっている時間があるのなら、
人の3倍の努力と、
余分な労働時間と、
人の5倍、10倍の、思考です。
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メトロや、
渋谷の街角で、
知らない人に見られても、
「あの若者は、”何か、自信のオーラがあるなあ!”」
と、見られたいものです。
「空の自信はだめです」